えげれす通信、再び

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【新】にっぽん徒然:南大東島通信_vol.06 (19/03/2026)

目覚めた時、顔面になんだか違和感がある。トイレに行き、鏡を見たら、即、松田優作になってしまった。
 
なんじゃこりゃあ!
 
顔面が血だらけだ。なんだなんだ?
 
昨夜の記憶を辿ってみる。
 

一昨日に引き続き、昨夜も、部屋呑みの後、出撃したのは覚えている。一昨日の、「おばちゃんの一歩手前くらいのママ」の店に入ったものの、地元客と盛り上がっていて、かなりの「放置」状態に置かれたので、少々腹を立ててそこは出たのも覚えている。その後、まだ入っていなかった一軒に突入したんだった。そこは、実に優しく感じの良いママと、こちらも感じの良いチーママがいて、坊主の40代くらいの地元客と、こちらも地元のおばあがいた。ここでは結構良い感じで盛り上がる。この店は、モルトなんかもずらっと並んでいたりして、なかなかちゃんとしている。
 
島の魚のことを聞いてみる。
 
「結局、大体は、マグロとサワラ、時々ナワキリ、って感じですかね?」
「そうですね、あとはダルマもあるかな」
「そう!そのダルマですよ、未だ食べられていないのは!お目にかかれず残念でした。明日帰るので」
 
略してダルマ。本当は「インガンダルマ」という。この奇怪な魚のことは、大阪の深夜番組「ごきブラ」で知った。この魚は、トロなんか及びもつかないほどの上質な脂をもっている。しかしこの脂は、なんでも、ニンゲンは消化吸収できないシロモノらしく、食べたらそのまま下に降りていき、尻からタラタラ流れてしまう、というものらしい。なので、食べる時は、みんな、オムツを履いて食べるらしい(笑)。「ごきブラ」は、トミーズ雅と赤井英和の番組だが、赤井は脂っこいものがめちゃくちゃ好きで有名である。彼は、「ワシはなんぼでも喰えるで」と豪語するので、それでは、ということで、番組で赤井に喰わせてみようじゃないかという展開になった。オムツを履いて実際に喰わせたところ、彼は「めっちゃ旨いやん、これ」と言いながら完食し、タラタラも無かったので、「やはり赤井英和はタダモノじゃない」というオチになったのだった。
 
そのダルマが、日本では通常、販売禁止で流通していないのだが、南大東では喰えるらしいのは知っていた。
 

数百メートルの深度に生息する深海魚であるが、夜間には浅場に浮上することが多いため、刺し網や延縄などにかかることが多い。

大型であり、成魚は全長2メートル以上になることもある。顔立ちはいかつく、ムツのように目と歯が大きいが、スズキ目の深海魚という共通点以外、ムツとは近縁ではない。口には鋭くて細かい歯が多く並んでいる。和名の由来は、体を覆うバラ(薔薇)の棘のような棘状の硬い鱗から採られており、素手で触れると裂傷を負ってしまうほどである。

深海魚にしばしば見られる形質であるが、体内の油脂成分のほとんどが人体で消化されないワックスエステル(蝋)でできている。そのため、大量に摂取すると皮脂漏症(皮膚から油が漏れる病気)を起こしたり、消化吸収されなかった油脂が肛門からそのまま漏れ出したりし、下痢や腹痛を起こす。多量に摂食した場合、昏睡状態に陥る重篤な症例も報告されている。

大東諸島では同じクロタチカマス科の魚であるアブラソコムツと区別せず、インガンダルマまたはダルマという別名(地方名)で呼ばれる。前者の意味は「犬が(尻から脂が)垂れる」、あるいは「犬が(下痢で)ダレる」、後者は「(人間の尻から脂が)垂れる」といったものである。これは、バラムツを食べた後、油脂が肛門から出る時、便意は一切生じず、前触れもなくそのまま垂れ流す状態になることに由来していると考えられる。

食用としては上記のように、多量に摂取すると毒性がある。しかし、しっかりとした歯応えがあり、大トロのような濃厚な脂分があり、味はとても良いとされる。そのため地域によっては食用とされる。

日本では1970年から食品衛生法第2章第6条第2号に該当する食品として厚生労働省から販売禁止指定されており流通しない。同じクロタチカマス科のアブラソコムツも同様に規制されている。(バラムツ - Wikipedia

 
うーむ、残念、と言うと、なんと、坊主の40代が厨房に消え、5分後、ダルマの刺身を持って来てくれた!うわぁ、こういう展開は嬉しいねえ。
 

ダルマ

 
冷凍モノだったから、味はイマイチだったけど、この流れは、旅には良いエッセンスになるよね。というわけで、おそらくそこで、しこたま呑んだんであろうことは想像に難くない。同時に、何も覚えていないのも、ごく当然の成り行きだw
 
…からの、突然松田優作、である(笑)。
 
とりあえずシャワーを浴びて、血を洗い流してみる。すると、どうやら傷は、額と鼻の下らしい。その他、あちこちに、擦り傷みたいなのがある。これ、コケて顔面から落ちたな。
 
何処で?外?宿?どうやって?
 
そして、メガネがないことに気づいた。部屋の何処にも無いのだ。
 
チェックアウトの時、「メガネ無くしちゃったんで、もし出てきたら連絡ください」と言うと、スタッフの一人が、見つけて渡してくれた。助かった!と思ったが、よくみると、結構曲がっている。惨劇の凄さを物語っているぞ(笑)。しかも、ここにあると言うことは、惨劇の現場は、宿の中なんだな。
 
額と鼻の下に絆創膏を貼って、飛行機に乗る。なかなか目立つビジュアルだけど、仕方ないよな。しかし、前回、那覇に来た時も、呑み屋でコケてメガネがグネッたし、やはり泡盛はキケンだわ(笑)。

 

機内には、中学生くらいの若者が多数、乗っている。何しに行くのかな、と思っていると、機長からのアナウンスで、「本日は『15の春』で、この春中学校を卒業し、島を離れて本島の高校へ旅立つお客様が多数、ご搭乗いただいています。どうか、夢に向かって羽ばたいてください」とある。なるほどね、島には高校がないから、必ずこのタイミングで島を離れなきゃならないんだな。
 

羽ばたけ

 
若者たちよ、大空に向かって羽ばたいてくれ。オレは、地面に向かって羽ばたいてしまったけどなw

 

【新】にっぽん徒然:南大東島通信_vol.05 (18/03/2026)

本日は、完全に「何もせず」の日になってしまった。見る処は見たし、やることはやった。島民との繋がりができて「何か」に発展することもなかった。各種パンフには、「島民は温かく、訪問者を受け入れてくれます」と書いてあるが、これまでの感じ、まったくそれは感じられないぞw どちらかというと壁を作って、一歩引いているような感じだ。愛想も良いとは言えないしね。なので、宿から一歩も出ず、ダラダラする。
 
昨夜は、部屋飲みをした後で、夜の町に初めて繰り出してみた。一回も偵察に行かず、というのは、僕のポリシーに反する(笑)。あのスナックたちが、夜はどのような顔を見せているのか。確認せねばならぬ。
 
ところが、実際に歩いてみると、もはややっていないような店も多く、期待したほどの数はなかった。そのうちの一軒に突入してみる。名前は・・・全然覚えていないw
 

写真は撮ったけれども・・・ここかどうかはわからぬw

 
おばちゃんの一歩手前くらいのママが一人でいて、客はなし。中は、ごくごくフツーのスナックである。カウンターに並んでいるのは、やはり、「菊の露」だ。この酒、多良間でも圧倒的なシェアを誇っていたが、どうしてなんだろうね。販売ルートの問題なのか、嗜好の問題なのか。ただし、多良間で一般的だった「ピッチャー(前割した菊の露がピッチャーで出てくるが、メニュー名は「ピッチャー」、何のピッチャーなのかは明記されていない)」スタイルは、ここではないようだ。
 
ママに飲むものを聞かれたので、お任せで、というと、菊の露のVIPというヤツを水割りにしてくれた。これ、通常ランクの赤いヴァージョンよりも高いシロモノだな。でも、まあ、良いか。
 
しばらく、島のことを聞く。聞いてみたかった、八丈島系との対立や文化の混淆など、話題を振ってみたけど、あまり展開しない。ママは「そんなのはないよ」と言う。隠している風でもないし、本当にないのか?ただし、この島には、相撲があったり、凧揚げがあったりする。それらは、八丈島文化のはず。他にもないのかねえ。ママが知らないだけか。長いこと島を離れていて、ちょっと前に帰ってきたって言ってたもんな。
 
ママに、「現在営業中のスナックは何軒あるのか」を聞いたところ、4~5軒くらいだという。確かにそのくらいだな、灯りがついていたのは。二杯だけ飲んで、河岸を変えることにする。
 
次の店も、名前も場所も、全く覚えていないw ここには先客がいた。若手カップルと、おっちゃん。僕はおっちゃんの隣に座る。ママは、オネエチャンとオバチャンの間くらいの感じ。先客たちと、いくぶん打ち解けるも、やはり、あまり盛り上がれない。多良間の時は、ここから様々な展開があったんだけどなあ。どうもしっくりこないぞ。
 
というわけで、何処の店なのか全く記憶がないのだが、少なくとも、フィールドワークは完遂した。そんなに飲んでいる訳でもないし、まだ飲み足りない気もするけど、この辺で良いか。この程度なら、僕が大江氏になることはなさそうだ。しかし彼は、いったい何処で飲んで、そんなに重篤化できたんだ?(笑)
 
まあ、そういうことがあったので、今日は本当に何もすることがない。「まあ、もう良いか」という気もしている。
 
こんなに長く、五泊もしようと思ったのは、実は、北大東島にも行けるかな、という思惑があったからでもある。ちょっと前までは、南大東島~北大東島には、「日本一短い航空路線」というものがあった。
 

JAL(日本航空)グループにおける南西諸島方面の地域航空会社として、那覇空港を拠点に、おもに離島路線を運航するRAC(琉球エアーコミューター)が2024年7月末をもって「南大東~北大東線」を運休します。この路線は直線距離にして13km。「日本一短い航空路線」として知られる名物路線でした。なぜ運休に至ったのでしょうか。
 沖縄県の南大東島と北大東島を結ぶRACの空路は1997年10月に開設されました。同路線の13kmという距離は、東京駅と羽田空港を直線で結んだのとほぼ同程度です。時刻表上の所要時間は20分ですが、もちろんこの時間は地上走行などを含めたもの。実際に飛んでいる時間は10分未満であることも珍しくなく、時期や天候によっては飛行時間が3分程度しかない場合もある、超ショートフライトです。
 使用される飛行機も珍しいものが使用されています。50席を配するターボプロップ機、ボンバルディアDHC8-Q400CCです。機番末尾の「CC」は「カーゴコンビ(貨客混載型)」を意味しており、胴体後方約3分の1のエリアが貨物室というユニークなレイアウトが特徴。このモデルは、国内航空会社ではRACしか導入していません。
 そして、同路線の2024年6月の利用率は88.1%。運休が発表されて以降、航空ファンらによる”乗り納め”需要があったと考えても、RACが運航する路線のなかでは最も高い利用率を記録しています。それなら、運休する必要はなかったのではないでしょうか。
RAC・JTA(日本トランスオーシャン航空)の広報担当者は次のように説明しています。
「この路線の搭乗率は『北大東~南大東』のみの数値ではなく、『那覇~北大東~南大東』と『那覇~南大東~北大東』の数値となります。『北大東~南大東』のみの需要は少ないのが現状です。その点とお客さまの利便性を考慮し今回の判断となりました」
 この路線は、那覇空港を基点に「三角運航」と呼ばれる、国内の定期旅客便としては珍しい運用形態が採られてきました。これは、月・金・土・日曜は那覇→北大東→南大東→那覇を、火・水・木曜は那覇→南大東→北大東→那覇の順で同じ機体を飛ばすというものです。
 高い利用率は、南大東島から北大東島経由で那覇、もしくは北大東島から南大東島経由で那覇、あるいはその逆といったように、単純な南・北大東島の移動ではなく、両島と那覇を移動するための需要が多くを占めていたためでした。このためRACは北大東~南大東の運休にともない、那覇~南大東、那覇~北大東の各路線を、1日0.5便ずつ増やす予定です。
 なお、今回RAC便が運休となることで、南北の大東島間を行き来するアクセス方法としては、大東海運の貨客船を用いた海路がメインになります。(さらば「日本一短い航空路線」 最新の利用率”9割弱”も運休へ…なぜ? 理由も他路線じゃアリエナイ…?(1/3 ページ) | 乗りものニュース

 
マニア的見地からも、ぜひ乗ってみたかったのだが、そうではなく、実際的見地からも、これがないのは痛い。今では、南大東島から北大東島に渡ろうとすると、いったん那覇まで戻らないといけないのだ。離島の航空運賃は高い。昨日のママも言っていたね。ただし「私たちは割引があるけどね」。僕はマトモに買うしかない。予算的にしんどい。
 
ならば、と、「大東海運の貨客船」に頼らざるを得ないのだが、これがまた、非常に難解である。不定期極まりないし、ルートもなんだかよくわからない。着岸する港がどこになるのか問題、天候不良の際にどうするのか問題、など、不確定要素がむちゃくちゃ多いのだ。とても、タイトなスケジュールで回らなければいけない旅人が、しかも、初見の旅人が、気安く利用できる手段には思えなかった。
 
来る前は、「南大東に着いてから、情報を集めよう」と思っていたけど、来てみて、あまりにその情報が少ないことにも気づいた。ほぼ、どこにも、「大東海運」の情報は見当たらない。唯一、各商店に、「入港日」のカレンダーが置いてあるくらい。これは、船で物資が届くからだろうね。入港日から日にちが経てば経つほど、島内の商店の在庫は厳しくなる。商品棚がスカスカになる。これは重大問題なんだろうけど、主題は「貨物」であって、「客」が焦点化されている様子はないのだ。まあ、上のRACの記事にもあるように、「南⇔北」の往来はほとんど無いんだろう。
 
南大東の宿を本拠地にして、そこからショートトリップで、北大東を往復する。この可能性を考えていたが故の、五泊という長期間のプランだったのだが、どうも現実的ではないことを肌で知った。故に、時間を持て余すことになってしまった。
 
最近、観光客受け入れを考えているっぽい南大東島なので、パンフには「モデルプラン」なるものが掲載されている。しかし、「モデルプラン」とて、最長が2泊3日である。確かに、「気象台見学」「地底湖ツアー」はやってないな。特に気象台は、そういうのがあるんなら、行ってみたい感じもあったな。ただそれでも、「モデルプラン」でも、最長は2泊なんだ。5泊?どうすれば良いの?w
 
ちなみに気象台だが、南大東島は、全国の天気予報でも必ずその名前が挙がることで有名だよね。ここには「ラジオゾンデ」という観測気球を上げる設備がある。南大東島には、格が上の「地方気象台」が設置されている。
 

ラジオゾンデは、上空の気象情報を収集するための気象観測機で、日本の気象庁ではゴム気球に取り付けて地上から高度30kmまでの大気の状態を観測しています。ラジオゾンデによる気象観測は、世界各地で毎日決まった時刻(日本標準時の9時と21時)に行われていて、日本国内で行われているのは16ヶ所。沖縄県内では、南大東島と石垣島で行われていて、観測時刻の30分ほど前に打ち上げが行われます。
観測を行っているのは「南大東島地方気象台」。南大東島は大東諸島の島々を除いては周囲約400kmにわたって陸地がなく、気象観測の重要拠点となっているため、観測所ではなく予報権限のある「地方気象台」が設置されています。(南大東島地方気象台/ラジオゾンデ | 沖縄観光情報WEBサイト おきなわ物語


 
ワタクシ、「ダム好き」と共に、実は、「天気図好き」でもあります。理系的な趣味はほとんどない中で、この二つだけは、小中時代から好きなのであります。一時は、天気図を毎日つけておりました。そうなると、気象台の見学は、行きたかったねえ。これは今、知ったぞ。今日、もう少し勤勉に過ごしていたら、行けたかもしれないな。
 

南大東島地方気象台では1日2回気球による高層気象観測を行っています。朝(08:30)の飛揚を見学することができます。(職員説明なし、予約不要)(資料閲覧・施設見学のお問い合わせ

 
さてさて、そういうことで、宿を一歩も出なかったのです。昼飯に、例の「漁協」に行って、最後の「スープ」を楽しもうかとも思ったんだけど、昨夜のウタゲの残り物がたくさんある。チャンプルーと、テビチと、ヒラヤーチーが結構残っている。これを喰うと、昼メシ代わりになるんだよなあ。もったいないしなあ。ということで、昼メシの外食も、今日は無しになった。
 
「菊の露」の一升瓶の残量と、「さんぴん茶」の残量、これらを総合すると、今夜、南大東島のラストナイトだが、やはり、「部屋飲み」一択になる。昨夜のスナックで、この町に対する期待感のようなものは、多少、プラスには増えた。しかし、各「居酒屋」の塩応対には辟易している。「外飲み」のインセンティブは極めて薄い。ラストナイト、とて、やる気は起こらない。やはり、「持ち帰り」にして、「部屋飲み」にしますか。
 
昨日の店は、「バイトなのかと思しき愛想の良いおっちゃん」と、「料理担当で、多分主人であろうかと思われる、アタリの柔らかくないおばちゃん」で構成されている。僕は電話をすることにした。17時開店なので、17:01に電話をする。
 
・・・出ない。
 
なんでだろ?開店直後で忙しいのかな?17:05にもう一度、電話をする。
 
・・・やはり、出ない。
 
どうしたんだ?電話番号が間違っているのか?今日は臨時休業なのか?
 
幸いにして、この店は、我が宿から30秒のところにある。僕はツッカケを履いて、リアル店舗の偵察に行った。
 
・・・開いとるやないかい
 
「営業中」の札がかかっている。この札をかけるのは、「バイトなのかと思しき愛想の良いおっちゃん」の仕事だと、昨日確認して、わかっている。なんだ、やっているじゃないか。では、リアル店舗にリアル凸して、注文をしてしまいますか。
 
「持ち帰りの注文、よろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ」
 
そう言いつつ、「バイトなのかと思しき愛想の良いおっちゃん」は、皿を配備する作業をやめようとしない。
 
「皿を配備する作業」は、開店直後で大事だもんな。一介の客の注文よりも、開店の方が大事だよな。もう少し待つか。
 
「バイトなのかと思しき愛想の良いおっちゃん」は、次に、箸を配備する作業に移った。
 
「箸を配備する作業」も、「皿」と同じく、開店準備としては、中核的作業だよな。一介の、一見の、客の注文よりも大事だよな。終わるまで待つか。
 
「バイトなのかと思しき愛想の良いおっちゃん」は、メニューと紙ナプキンを配備する作業に移った。
 
だよなあ。それは、・・・、おい!ええ加減にせえ。アンタ、さっき、「どうぞ」言うたやんか。なんなん、その、悠然とした「自分の仕事をこなします」感は。どういうことやねん。
 
すると、「バイトなのかと思しき愛想の良いおっちゃん」は、やおら、こちらに向き、「何か、お決まりでしたら、どうぞ」と言う。
 
いやいやいやいや。こちらは、今から、色々と注文する予定なのだよ。アナタ、伝票と筆記用具を手にしてないじゃない?覚えられるんかい?大丈夫なの?ていうか、「自分の仕事」こなし中でも、「それでも注文はいつでも聞きますぜ」という態度だったの?あれは?
 
色々と、疑問と疑惑と、釈然としなささを感じつつ、注文をする。ただしその前に、今回、まだ食べられていない、この島の名物の確認をする。
 
ナワキリ、はありますか?
 
ナワキリ。漁業が、盛んなんだか、どうなんだか、実際のところよくわからないこの島に於いて、とにかく流通しているのは、マグロとサワラ、そして、この、ナワキリなのだ。5泊もして、様々な場所で刺身を食した経験上、結局、出てくるのは、マグロとサワラなんだな。で、出てこないのは、謎の「ナワキリ」なのだ。
 

「ナワキリ」とは、正式名称「クロシビカマス」という、南大東島近海で獲れる深海魚。アゴが丈夫で、縄を切ってしまうほど歯が鋭いため、ナワキリと呼ばれています。しっかりと乗った脂が特徴のナワキリは、刺身はもちろんバター焼きや煮付け、汁など、南大東島では昔からあらゆる調理法で親しまれてきました。

見た目は白身であっさりしていそうな印象ですが、しっかりと脂が乗り、魚の旨みもぎゅっと凝縮された濃厚な味わい。地元ではナワキリの刺身は薄切りにし、ふぐのように数枚を箸でつかんで食べるのが主流なのだそうで、薄くて柔らかい身は、いくらでも食べられてしまいます。島の人は酢味噌で食べることが多いそうですが、脂がしっかりと乗っているため、あっさりが好きな方は醤油にシークヮーサーを絞って食べるのがおすすめ。言わずともがな、ビールによく合います。(https://www.tabirai.net/sightseeing/column/0010089.aspx

 
こいつだけは、まだ、喰ってなかった。なので、ラストナイトだし、聞いてみた訳だ。そうしたら、「料理担当で、多分主人であろうかと思われる、アタリの柔らかくないおばちゃん」が、厨房から一言、
 
「あるよ」
 
あるのか。それは良かった。でも、一番欲しいのは、ナワキリの「刺身」である。それはあるのかなあ?
 
一番近しいところにいる「バイトなのかと思しき愛想の良いおっちゃん」に「刺身はありますか?」と聞く。やはり、このおっちゃんが窓口の方が、心が痛まずに済むのだ。しかし、同時に、このおっちゃんは「バイトランク」とい弱点をもっている。本日あるのかないのか、それは、それに回答する権限を、実質的にもっているのは、「料理担当で、多分主人であろうかと思われる、アタリの柔らかくないおばちゃん」なのだ。
 
果たして、越境的に、
 
「ない」
 
おいおい、もう少し、アタリの柔らかい言い方って、ないもんでしょうか?それじゃ、まるで、「単語のみ」の会話ですよ。そして、愛想のヒトカケラも感じられないんだよな。やっぱり、ここに居続けるのはしんどい。
 
僕は、「バイトなのかと思しき愛想の良いおっちゃん」に、
 
・ナワキリのバター焼き(これのみ、あるとのこと)
・刺し盛り(梅)
・刺身キムチ
・おでん(大根、豆腐、昆布)
・モズク酢
 
をオーダーした。そして、「30分後くらいに取りに来ますね」と言った。
 
すると、「バイトなのかと思しき愛想の良いおっちゃん」が、「料理担当で、多分主人であろうかと思われる、アタリの柔らかくないおばちゃん」に尋ねるではないか。「30分でできますかね?」 
 
すると、「料理担当で、多分主人であろうかと思われる、アタリの柔らかくないおばちゃん」は、一言曰く、
 
「電話番号」
 
「でんわばんごう」。彼女はそう言った。「電話番号を聞いておいてね」でもなく、「電話番号を確認しておいてね」でもなく、「でんわばんごう」、そのひらがな羅列のみ、である。それを聞くや、「バイトなのかと思しき愛想の良いおっちゃん」は、「電話番号をお願いできますか?出来たら電話いたしますので」という。
 
もうね。この応対。結構、ほとほと、心底、嫌気がさしておりますよ。おっちゃんに救われるところアリ、というところでもあるけど。
 
で、30分後、電話が来ました。さっきかけて、全く出なかった、同じ番号から、ね(笑)。
 
というわけで、今宵の品揃えはこんな感じ。
 
注目すべきは、「刺身キムチ」だよね。これは、いったい、何なんだ?
 
キムチを刺身感覚で?水ナスの刺身、みたいなヤツ?それとも、本物の刺身をキムチ和えにする?でもさ、メニューではさ、「刺身」の列にあるのではなく、「枝豆」とか「冷奴」とかの「特急列」にあるんだよ。これの本体は、「キムチ」なのか、それとも、「刺身」なのか。恐らく前者だよな。
 
しかーし。目の前に展開したものは、そう、この前、「漁港」で喰った、あの、「海鮮キムチ丼」だよな!あれは、旨かった。そして、今回の奴も、旨い!旨いよ?旨いけどさ?
 
なんなの、この感じ。南大東島では、「刺身をキムチで和える」という工程が、一般的になっているということ?一つの店でしかないんなら、それは、その店の「オリジナル」ですよ。しかし、妙に「共有されている」のか?そうなると、もはやこれは「文化」なのではないか?しかし、なぜ、「キムチ」なの?韓国系のテイストは、この島で、未だ感じたことはないぞ。そういうのもあるわけ?
 

ラストサパーですよ

 
さて。なんやかんやで、ぼちぼち楽しみました南大東島、明日、離れます。
 

【新】にっぽん徒然:南大東島通信_vol.04 (17/03/2026)

南大東島は孤島であり、独自の生態系を持っているらしい。様々な生き物、様々な鳥たちが生息しているらしい。
 
確かに、窓の外からは、鳥の囀りが聞こえてくる。しかし、窓の外からの「鳥の囀り」、というよりはむしろ、廊下に響き渡る「大江氏の呻き」で、四日目の朝も目覚める。
 
ヲヲヲエ
 
悲痛な唸りが響き渡る。昨日よりも重篤化していないか?何処でそんなに呑んだんだ?盛り上がれる店を教えてくれよ。
 
さしあたり、昨夜の残り物を食べる。流石に多かったね。さわらの刺身はとんでもなく美味かったし、海ぶどうも良かったよ。しかし、イカと魚フライは食いきれなかった。豚玉も1/3くらい残った。それらと、カップラーメンの「沖縄そば」に、初日の豆腐のために購入した「沖縄そばスープ」を入れたヤツを朝食にする。
 
この「沖縄そば」のカップラーメン、マルちゃんバージョンと明星バージョンとがあって、前者の方が安いことに気がついた。それで、それぞれの商品についても、値段に注意するようになった。
 
幾つかある商店で比べると、毎日飲んでいる「菊の露」でも、店によって、最大200円くらいの価格差がある。こんなに狭いエリアなのに、そこを合わせようとはしないんだ。なんで?無頓着なの?売る方も、買う方も?
 
馴染みの「ケンチャンストア」で、三本目のさんぴん茶2リットルを買う。いつもは色々取り混ぜて買っていたから、これがいくらなのか知らずにいたが、単品で買ってわかった。なんと¥460!まあ、仕方ないか。
 
昨日食えなかった「大東そば+大東寿司」を食べる。店内はかなり混んでいる。団体らしき集団もいるぞ。
 

沖縄の離島、大東諸島に伝わる「大東寿司」は、島の特産品で郷土料理でもあります。八丈島からの移民が持ち込んだ寿司がルーツになっていて、大東ではポピュラーな食べ物です。日本で一般的に食べられている寿司とは違い、ネタをしょう油ベースの特製タレにつけて味をしみこませた後、甘酢めしとともにしっかりと握った味わい深いお寿司です。ネタは、サワラやマグロ、カジキ等が使われます。ヅケにしているため魚臭さも少なく、表面は小金色に輝いています。もっちりとした食感に、わさびが効いて、濃厚な味なのでお酒のあてにもピッタリ。(【沖縄】特製ダレと甘めのシャリの相性抜群!「大東寿司」が食べられるお店5選 - おすすめ旅行を探すならトラベルブック(TravelBook)

 
大東寿司は、八丈島移民が持ち込んだ「島寿司」がルーツだとか。漬けタレが、かなり甘いね。蕎麦も寿司も、格別のものではないけど、まぁ、旨いと言えば旨い。しかし、やはり、漁協の方が良いな。あそこの「スープ」二種は、「わざわざモン」だよな。ちなみに漁協は、本日火曜日は定休日。
 

大東蕎麦と大東寿司のセット

 
与儀商店とAコープを覗く。特別の惣菜は無し。ここにも団体が来る。…もうやめてくれよ。オレの行くところに来んな。
 
初めて役場に入ってみるも、あまりに誰もいないし、職員と思しき人が一人だけ机にいる。村の資料とかがあるかなと思ったが、ウロウロすると余計に不審者っぽく見えそうで、早めに撤退する。
 
役所の隣の「Happy Green Market」には、サニーレタスなどの生鮮野菜が並んでいた。水耕栽培のものかな。

 

【南大東】離島でも豊かな食卓を―。南大東村は本年度からコンテナで葉野菜の水耕栽培を始めた。水菜など4種類を栽培し、6月から村内5店舗で販売している。村では夏場、日照りなどで葉野菜の栽培が難しく、台風の影響でフェリーが数週間入港できないこともある。村産業課の川満廣司課長(55)は「野菜をいつも安定的に供給し、給食でも島内産の安心・安全を提供したい」と話す。村民からは「島でこんな葉野菜ができるとは夢にも思わなかった。画期的だ」と喜びの声が上がっている。

 村旧東に設置したコンテナは2棟をつないでおり面積約70平方メートル。無農薬で栽培でき、年間を通した生産計画が可能。内閣府の沖縄離島活性化事業の一環で、事業費約4千万円のうち約3千万円が国の補助だ。

 現在はリーフレタスや水菜、小松菜、チンゲンサイの4種を栽培する。スタッフ6人が交代で勤務し、月~土曜までの週6日、1日約200株を出荷。年間約7トンの出荷を見込む。

 村内5店舗で1袋税込み180円で販売するほか、ホテルや飲食店でも使用されている。学校給食の地産地消でも活用し、2017年度は島内産約31%だったが、50%を目指す。

 光熱費などの維持管理費は、本年度の状況を見るといい、川満課長は「もうけるためではなく、島民が安心して暮らせるための事業」と住民サービスの一環と強調する。村民アンケートで要望を聞き、将来的にはコンテナを増設したい考えだ。

 村内で約70年にわたり営業する与儀商店の田仲瑠美子店長(56)は、台風の影響でレタスを1個700円で販売したこともあるという。

「水耕栽培の葉野菜は台風に関係なくほぼ毎日入荷するので、みんなとても喜んでいる。採れたてでみずみずしく、とてもおいしい。サラダのバリエーションが増えた」と歓迎した。 (豊浜由紀子)(夏の野菜不足に悩む島で新鮮野菜を安定供給 南大東村

 
「モヤシが高級品」だと言っていた多良間島と同じ問題を南大東島も抱えているんだね。確かに今日は、「葉っぱ」が売られていましたな。離島における供給の問題は複雑ですな。
 
13時から午後の部が始まる「ふるさと文化センター」に行く。しかし、ヤツらがまたしてもいた。「ヤツら」といっても、羊じゃないよ。団体め。オレの行くところに来んなよ、ったく。
 
ここは、展示もさることながら、何かしら資料がないかなと期待していた。多少それっぽいのがあるが、あまり多くない。その中で唯一使えるのは『南大東村誌』である。とりあえず気になっていることが載っていそうなので、椅子に座って読んでいく。
 
僕が、ここまでで気になっているのは以下。
 
①玉置商会時代の「会社支配」の実情と、私貨幣の詳細
②八丈島移民のもたらした文化と、その混淆
③サトウキビ以外の農業と畜産業
④漁業の歴史と現況
⑤やたらと多い外国人の背景と制度
 
①はやはり、一番気になるよね。東インド会社は「会社が統治」した例だけど、あれは、「植民地」の一支配形態であって、「自国内」に会社支配の治外法権地帯を持った訳ではない。会社が通貨発行権を持つって、どういうことなんだ?
 
②は、昨日の秋葉神社を見て思ったことだね。沖縄の地で、神道は、やはり違和感があるけど、八丈島移民の社会なのであれば、信仰のみならず、八丈島の文化がさまざまもたらされて、その混淆が見られるのでは?
 
③は多良間との比較だね。あちらも農業中心で、畜産業も盛ん。もちろんサトウキビも。こちらはどうなんだろう?地形が平ら、という共通点も気になる。
 
④は、特にこの、断崖絶壁の島で、昨日見たあの恐るべき土木工事によって完成した「掘り込み式港」のおかげで、漁船の大型化が実現し、島外への輸出も視野に入れているということだけど、その現状を知りたい。
 
⑤も気になる。町中で見かける外国人の人たちは、どういう背景でこの島に来ているんだ?行政の施策なのか?どの国が多いんだ?それはなんでだ?
 
村誌は、発行年が古く、「現況」を知ることは出来なかった。だだし、①と②については、だいぶ知ることができた。以下は、該当箇所を写真に撮って、それを文字起こししたもの。
 
先ずは、アホウドリの捕獲について。
 

人間を恐れる気配もなく、長い首を伸ばして寄ってくるのを、すかさずこん棒で打ちのめす。急所は首筋で、うまく当たると一撃で死ぬ。仲間が殺されても平気で寄っては来るが、決して飛び去ることはしない。体重が重いので直ぐには飛び立てないからである。図体が大きいので、天秤棒の片方に三羽ぐらいずつ掛けて倉庫まで運び、羽毛をむしり取り、乾燥させてカマスに詰めるのであるが、これがまた大変な作業で、一羽のアホウドリからは大体百匁(375g)の羽毛が採れたようである。

 
吉村昭の『漂流』でこのあたりは知った。鳥島はアホウドリの生息地で、夥しい数のアホウドリがいる。漂流民たちは、このアホウドリを食糧とすることで生き永らえることができた。しかし、南大東島を開拓した、玉置半右衛門は、この鳥島のアホウドリに目を付け、羽毛で財を成した。乱獲に乱獲を重ねて、遂に、鳥島のアホウドリの数は激減することになった。
 
八丈島では、増える人口を受け止めるだけの食糧が足りていなかったらしく、「生き延びるため」の出移民が盛んだったらしい。この辺はマルサスを彷彿とさせる。
 

・・・(八丈島では)限られた面積で生活していくためには、どうしても人間の数を制限しなければならず、そうかといって人間の自然増加を抑えるということもこれまたむつかしく、その積極的な解決方法として、過剰人口のはけ口を広く島外に求める以外に方法はなかった。いわゆる「出百姓」「移民」である。出百姓も移民も同じ意味であるが、現代的に言うならば移民と言うことになろう。
 
・・・明治32年11月玉置半右衛門の所有船第一回洋丸で15名が(八丈島を)出島した。その後、南洋やその他の地域への移民もしだいにその数を増やしていったが、これらの出百姓、即ち、移民のほとんどが家族ぐるみの移住で、先駆者たちの活躍に目をみはり、成功を夢見て出島したのである。

 
このあたりは、例えば長野の山奥の大日向村とも似ているかな。
 

大日向村は全国に先駆けて満洲への分村移民を決断します。1945年8月、ソ連の参戦と日本の敗戦により満洲の開拓民は言語を絶する逃避行を余儀なくされ、大日向の人々もたくさんの犠牲者を出します。
 南佐久郡大日向村から満洲大日向村へ、さらに軽井沢町大日向地区へと十数年の間に二つの村を拓いた「開拓者」の足跡をたどり、長野県から満洲に渡った全国最多の3万数千人もの開拓者たちの心情に迫ります。(長野県の満洲移民・三つの大日向をたどる | 企画展示 | 長野県立歴史館

 
一番知りたかったのは、ここ。
 

砂糖の販売方法は小作人が各自生産した砂糖の販売を商会に委託し、委託を受けた商会はこれを大阪へ輸送し、大阪共立物産会社に販売を委託するという方法であったが、玉置商会は砂糖一丁について、商会が独自に発行していた紙幣代用券五円を融通することにしていた。この代用券は正しくは南北大東島通用引換券と称するもので、社名が合名会社玉置商会となった翌明治44年にも製造されているが、その印刷場所等については明らかでない。引換券の種類としては、一銭、十銭、五十銭、一円、五円、十円等の額面で、商会の売店で日用雑貨品を購入したり、農家が労働者に賃金を支給したり、商会から労銀を受け取る場合なども、総べてこの物品引換券で決済されていたから、当時の子供たちの中には、この物品引換券を本物の通貨と思い込んでいた者が多かったようである。
 
大正4年(玉置の末期)7月11日の同紙上(琉球新報)に「南村」というペンネームで、「大東島落穂拾い、日用売買取引と代用券の発行高」という見出しで、次のような記事が載っている。「大東島には個人経営の店はない。島民は総て玉置商会の販売部から日用品その他を仰いでいる。それで大東島では貨幣の必要もない。島民は自分の砂糖の販売を商会に委託し、必要に応じて荷為替を受ける。此の荷為替が即ち玉置商会発行の貨幣代用券である。代用券は単位を、一銭、十銭、五十銭、一円、五円、十円まで発行している。島民はこの代用券で取引をしているから、これが即ち大東島の貨幣と言うことになる。この様に会社は日用品の専売権と貨幣発行の権利を握っているから、大東島では大蔵省のようである。会社の責任は重大なりといわねばならない。島民の商取引に使用する代用券の発行高は、一カ年三万円から三万五千円位発行しているとのことであるが、島内には会社会計部に預金する以外貯蓄機関がない。この様な大東島の貨幣は甚だ不安な代物である。これを以て自己の財産とすることは誰しも不安としなければならぬ。若し一朝にして玉置商会が破産でもするとなれば、此の代用券は古新聞の切れ端、価値に於いて何等異る処はない。だから島民に於いても無意識ながらも、代用券の交付には不安と不満を抱いている。従って労働者の如きも彼等の貨幣たる此の代用券を甚だしく軽く見ている。為に一般に貯蓄心が乏しい。以上の事実を綜合して、私は代用券を廃止し貨幣を通用して、島民の貯蓄心を養成し、一方会社の砂糖代の精算や預金部の整理を切望する次第である。」これは玉置商会末期のことである。
 
玉置商会は、年一回住民の預金や砂糖代を精算することになっていたにもかかわらず、明治44年以降一度も実行しなかった。砂糖の販売権は玉置商会が握っており、大阪で販売すると代金は直ちに本店で預かることになる。島内では物品引換券が通用しているので現金は別に必要なかったのである。若し現金が必要であったとすれば、住民も当然決算を強く要求したであろうが、現金の必要がなかった当時の島内状況から、決算に対する関心が相方共に薄かったということは当然の成り行きといえる。
 
物品引換券の制度は、玉置後の経営者であった東洋製糖会社、大日本製糖会社の時代においても引き続き行われていたが、原料代、砂糖代、労銀など、南北大東島で流通するのに必要な資金を送金しないでもよいことになり、年間の利息だけでも会社としては大きな利益を得ることになる。住民が島を引き揚げる場合には、内地の本社や出張所で、各自所持している引換券と同額の通貨を受け取ることができた。沖縄の場合は、馬天や那覇の安田商店で受け取った。
 
生活必需品の売買には玉置、東洋製糖時代と同様に、会社が独自に発行する「物品引換券」が継続使用されていたが、太平洋戦争が勃発した昭和16年から、会社は「物品引換券」の回収を始め日本銀行の発行する通貨に切り換えることにした。
 
戦前の南・北大東島は開拓以来玉置商会、東洋製糖、大日本製糖と総べてが一企業の経営下にあり、自治による町村制は施行されたことがなく、県の出先機関として県議一名が常駐して行政事務を担当していた。町村制が施行されていないから役場もなく転籍、寄留、出生、死亡等の手続きも出来ない訳で、住民は何年島に居住しても入籍出来ないから、ただ単なる出稼ぎ人ということに過ぎなかった。
 
終戦の翌昭和21年(1946)6月11日をもって南・北大東島の経営者であった日糖社の全財産は米軍に接収され、次いで6月12日沖縄民政府の下に南大東島に村制が施行されることになった。・・・開拓以来会社の重圧の下で住民が絶えず待ち望んでいたのは自治制度であり、ここに漸く念願の村制が施行されたことはまさに島の夜明けともいうべきである。

 
いやあ、実に実に興味深い。「通貨」を支配すれば、それが流通する領域に住む人間をも支配できるからね。それが「孤島」となれば、権力は一層磨かれるだろうね。必要物資を手に入れるためには、手段はそれしかない訳だからねえ。従うしか選択肢はないよねえ。実際、あらゆる物資の「供給自体」が困難なわけだ。それは現代でも同じだけども(船の入港にすべてが依存している)。供給ルートが限定的で、それを販売する店も独占状態にあり、決済手段を完全掌握しているんだから、とてつもない権力を握っていることになるよな。しかも、「貯蓄意識」がない、というのも、実に面白い。「制度」が「感覚」を形成するという典型だね。ニンゲン、「貯蓄意識」が乏しいと、どういう行動に出るんだろう。無茶苦茶面白いじゃないか。

 

引換券


 

現存する一枚の現物

  
商会が支配していたことがわかる事例の一つに、学校の運営実態がある。
 

大正4年(1915)11月県の正式認可を得て校名を私立南大東玉置尋常小学校と呼称することになった。

 
 
尋常小学校なのに「私立」だもんね。この辺は詳しくないけど、そういう例は他にもあるんだろうか。教育学とか教育史の研究者に聞いてみたいもんだ。
 
また別の事例としては、警察の問題がある。
 

開拓当初は、合宿での共同生活であったから、家族的で犯罪もなく極く平和な生活であったが、以後、移住者の増加に伴って犯罪や事件等も発生するようになり、玉置商会は当局へ巡査の派遣方を請願し、島内の治安維持に努めた。即ちこれが請願巡査であり、当方の求めによるものであるから当然経費は一切会社負担ということになっていた。

 
「請願巡査」という制度が、これまたよくわからんけど、逮捕や拘留などを、「日本」の法律に拠って、果たして行うことはできたんだろうか?「治安維持」は、何に依拠して行ったんだろう。

 

しかし、調べれば調べるほど、知れば知るほど、フィジーと似ていると思わざるを得ない。フィジーでも、サトウキビプランテーションにインド人の年季契約労働者が入植し、フィジー国内で、独自の社会を形成した。インド人の「統治」は独特なものだったし、フィジー人とは隔離されていた。いやあ、面白すぎるでしょう。
 
文化の混淆については、「八丈島の影響が大きい」ということはわかるんだけど、信仰については、事実のみが列挙されているに過ぎなかった。
 

八丈島に天理教が普及していたことの影響から、池之沢には天理教の布教所もあったが大神宮や金毘羅宮に参拝する者も多かった。

 
しかし、やはり、八丈島からの移民がこの島の社会を作ったわけで、元は無人島だったこの島に入植したのが彼らだった訳なので、「沖縄色」が薄いのは道理だよな。地理的には「沖縄」だけど、所詮、無人島なわけで、そこに入植した人が「島民」になるんだよな。今回見た村誌には、移民たちの出身地の統計もあったけど、日本各地からの移民たちが社会を構成したわけで、そこにはやはり「混淆」の模様が現れるんだろうな。
 
いやはや、実に面白い。③④⑤についても、最新事情をどこかで知りたいもんだ。
 
さて。今夜の晩飯はどうするか。あの「当たりのキッツい大阪おばちゃん」と電話で話すのはしんどい。では、あのおばちゃんの店に引き続いて、二軒目に突入してみますか。宿のごく近所にある居酒屋に、開店と同時に突入する。
 
さっき、店に入り、「営業中」の札を出したおっちゃんが案内してくれる。彼はあたりが良いぞ。優しい応対だぞ。ここは、腰を落ち着けて飲めるかな・・・。しかし、メニューを見ると、食べたかったものが、本日は無いらしい。おっちゃんと、料理担当らしいおばちゃんが会話をしている。
 
「今日、無いヤツは、どれでしょう?」
「マジックで消してあるから大丈夫よ」
 
おっちゃんが敬語なんだ。おばちゃんが店主か?おっちゃんはバイトか??夫婦じゃないんか。
 

厨房

 
食べたかったのは、まだ一度も食べていない、南大東島の名物らしい、「ナワキリの刺身」、そして、なんだかよくわからん「魚のフギ炒め」なのだ。しかしこれらには、無情にも、マジックラインが引かれてある。
 

こちら側の面は良いのだが

 

こっち側がいかん

 
さしあたり、生を頼み、「刺身盛り合わせ(竹)」と、「トーフチャンプル」と「ヒラヤーチー」、そして、おでんの「てびち」を頼む。最初に刺身が来たが、むちゃくちゃ量が多いじゃないか。そして、「ここで居続けられるのか」問題と、「菊の露一升瓶がまだあるぞ」問題が、頭をもたげ始める。
 

命名、みたいな札が下がっている。さっき見た「八丈島からの移民」の姓名だが、「奥山」姓が多かったのだ。現代でも、やっぱり多いのね、奥山さん。

 

リスト①

 

リスト②

 

リスト③

 

現代でも「奥山」多し

  
いや、やはり、このラインナップで居続けるのは難しい。そして、やはり、全体の雰囲気が、「地元の人たちと盛り上がる」感じじゃないんだよなあ。おっちゃんだけが可能性をもっているが、僕の次に入ってきた地元客と話を始めてしまう。こうなると、なかなか難しいんだよね。
 
よし、決断だ。全部「持ち帰り」にしよう。見ると、その地元客のおっちゃんも、泡盛飲みながら、あとはすべて持ち帰りにして、それの出来を待っている状況らしい。やはりこの島の飲み屋は、「持ち帰り需要」が旺盛らしい。僕は、食べかけの刺し盛りも含めて、すべて「持ち帰り」にしてもらった。
 
ということで、今宵もまた、部屋飲みと相成りました。
 

毎日、それなりの水準を保っているよね

 
今日は、漸く仕事をした気分w さて、明日はどうなる?!
 

【新】にっぽん徒然:南大東島通信_vol.03 (16/03/2026)

三日目も快晴、暑くもなく寒くもなく、実に過ごしやすい。
 
洗濯をする。えげれすの時も、1回目は師匠亭なので洗濯機あり、2回目はコテージ、3回目はフラットでそれぞれ洗濯機あり、今回も洗濯機あり、これほど長い期間、「手洗い無し」でいけたのはあまり記憶にないな。
 
10時から半日(6時間)、¥1500で、原付をレンタルする。クルマにするか、はたまた、電動アシスト自転車にするか、悩んだが、原チャリにしよう。多分それがベストな選択だろう。
 
相当にボロボロで、ネンキモノ、大丈夫か?と心配したものの、ガルルル、と、けたたましい音を出して動いてくれる。

 

本日の相棒



 
最初は「星野洞」という鍾乳洞に行く。ここは、「星野さん」の所有地だったことからこの名前がついたようだ。 

 

入口

 

南大東島は、はるか遠く離れた海でできたサンゴ礁がプレートに乗って移動し、一度は海面の下に沈んだものの、再び隆起した島です。そのため、南大東島のほとんどはサンゴ礁を由来とする石灰岩でできており、石灰岩の隆起によってつくられる鍾乳洞は、島内に 100 以上あるといわれています。

その中で特に大きく美しい鍾乳洞が「星野洞」。この一帯が星野さんの土地であったことから、星野洞と名付けられました。広大なサトウキビ畑に囲まれた敷地内に、ぽつりと佇む星野洞入口は、一見素通りしてしまいそうなほど自然に溶け込んでいます。

ですが一足中に入るとそこは完全なる鍾乳洞!奥へ進むにつれて湿度が高まり、ひとたびドアを開けるとそこにはおびただしい数の鍾乳石が目の前に広がります。長さ375cm、約1000坪の大空間に、つららやカーテンの形をした鍾乳石が連なる神秘的な空間。

鍾乳石には洞床から天井に向けて成長する鍾乳石の石筍(せきじゅん)と、天井から下に向けて成長する「つらら石」があり、石筍とつらら石がつながった石柱は、1番大きいもので4m以上あるのだとか。つらら石が伸びる速さは100年以上でようやく1cm、石筍はその3倍ほどかかるといわれており、いかに長い時を経て造られた鍾乳洞なのかがわかります。(https://www.tabirai.net/sightseeing/column/0010088.aspx

 

なかなか見事な鍾乳洞ですな。「石筍」に「つらら石」、それらが引っ付くと「石柱」になる。小学生の時に岩手の竜泉洞に行った時、勉強した知識が残っております。鍾乳洞に行ったのは、ベトナムのハロン湾の島にあるヤツ以来だな。

 

「動く歩道」って、誰が何故にゆえに、そんなカネを出したのか

 

すげー


 

すげええーー

 

もうすぐ、くっつく?

 
次は「夕日の広場」へ。この島が「隆起珊瑚礁の島」だということがよくわかる景色ですな。見渡す限り、断崖絶壁の切り立った地形が広がる。砂浜海岸なんて、確かに、ありそうにないね。

 

隆起がすごい



 
次は「南大東漁港」へ行く。南大東村HPによれば、

 

南大東漁港は、島の北側に位置する日本でも極めて珍しい構造を持つ漁港です。
周囲を険しい断崖絶壁に囲まれた南大東島において、漁船の安全と水産業の発展を支える中枢として整備されました。
​この漁港が完成するまで、島の漁業はクレーンで船を海へ吊り下げるという過酷な環境にありました。(漁港 - 南大東村移住定住サイト - 南大東村(産業課)

 
ということである。
 
しかし、これはものすごい港だね。島全体が断崖絶壁で、港を作れるような「入江」がない。船をつけられるような場所がない。
 
ない?
ならば、作ったろやないかい
 
ということで、岩盤を内側に掘削するという土木工事で人工的に入江を作ったらしい。日本唯一の「岩盤掘込み式漁港」とのことである。
 
いやあ、とんでもない土木工事だよねえ。海との境目の岩盤は爆破したらしい。断崖絶壁の「上」に広がる「生活圏」エリアから、岩盤を掘り込んで到達する「海面」エリアまでは高低差があるから、道路はループ状になって急勾配を和らげている。その道路は、岩盤の切り通しになっている。
 

見よ、この異様な光景を

 

切り通し

 

切り開いた漁港(あそこの「開き」を、爆破したそうです)

 

漁船もいる

 

劃期的なこの漁港の完成によって、これまでは様々な制約があった南大東の漁業も、今後の発展が見込まれるそうだ。

 

南大東周辺は、マグロ、ソデイカ等の好漁場であるにもかかわらず、漁港として利用できる天然の入り江や良港がないため、漁船の大型化等を図ることができず、水産業の振興に支障をきたしていました。このため、昭和63年に第4種漁港に指定され、平成元年度から沖縄県が事業主体となり、全国でも例を見ない「掘込み式」の工法(注:陸域を開削する工法)で、泊地や岸壁等の整備に着手しました。平成20 年には概ね完成し、全面共用開始されており、今後外郭施設である防波堤の整備を推進していくこととしています。(https://www.ogb.go.jp/nousui/suisan/6428/006491) 

 

多良間と同じく、南大東でも、漁業より農業が盛んで、それは何故なのかと疑問に思っているんだけど、南大東の場合には、こういう理由があったのね。しかし、そうなると、やはり多良間の理由が気になるなあ。
 
「北港」に行く。正式名称は「南大東港北地区」というらしい。南大東に港は三つあり、メインは「西港」、「北港」と「亀池港」は、「西港」が荒天などで使えない場合に使用されるらしい。

 

北港

 

北港2

 

wikiによれば、
 

南大東島の港で北岸の北地区、西岸の西地区、南岸の亀池地区の3港区に分かれている。1972年5月15日の沖縄返還の際に北港、西港、亀池港として地方港湾に指定されたが、2000年4月1日に3港を統合して南大東港となった。西地区が主に使用され、北地区、亀徳地区は西地区が荒天で使用出来ない場合などに使用される。

各港とも外洋に面しており、急峻な地形により防波堤などの外郭施設が設けられないため、係船ブイを利用して船体を岸壁から離した状態で係留、クレーンにより荷役を行う。旅客も専用のコンテナで乗下船する。

2015年度の発着数は162隻(108,022総トン)、利用客数は1,600人(乗船854人、下船746人)である。

 
ということらしい。ここは「北」なので、北大東島が見えた。

 

北大東島が見えた!


 

同じテイストの、港

  
「バリバリ岩」は「岩が割れているところ」らしいが、歩かねばならんということでやめるw 「本場海岸」も、今日は波が荒く立ち入り禁止らしいので断念。
 
基本的にこの島は、在所と呼ばれる地区に、住居も店舗も各施設も固まっており、それ以外の地域には、農地以外は何もない。従って、道路も、どこを通っても、農地以外は何もない。そうなのだが、突如、近代的な建造物が現れて驚いた。なんじゃこれ?
 

鄙には稀な建物

 
「ノエビア南大東海洋研究所」というものらしい。ノエビアがこんなところで何をやっているんだ?おひさるをみると、
 

南大東島は隆起珊瑚で出来ており、成り立ちが他の島とまったく違うことにより、固有の植生を持っています。また、周りの海は世界でも有数の透明度を誇っています。

南大東島海洋研究所では、水面から約200Mの海水を採取し、高品質な天然海水塩や海水濃縮ミネラルをバランス良く抽出することが出来る独自のプラントにて海水からの有効成分抽出の研究を行っています。また、島固有の植物を研究対象とし、サプリメント・医薬部外品・化粧品への応用研究もあわせ行っています。(南大東島海洋研究所|研究所・工場紹介|株式会社 ノエビア

 
へええ。すごいところに目をつけるもんだねえ。具体的にどういう成果が上がっているんだろうね。見学とかできるならしてみたいねぇ。
 

島外の研究者が常駐しているんだろうか

 
着陸した時ぶりの「南大東空港」をかすめ、次は「海軍棒」へ。旧海軍の軍艦がこの島を訪れた際に、測量用に建てた棒を復元したものを「海軍棒」と呼んでいるらしい。そしてその近くには、岩礁をくり抜いて人工的に作った「プール」があり、海水で泳げるらしい。ただし本日は、波が荒すぎて閉鎖されている。とりあえず、行けるところまで行ってみる。
 

南大東空港

 

これが、海軍棒・・・なのか?

 
波がエゲツナイ。東映か!ってくらいに、ザッパんザッパん、している。…これ、泳げる日ってあるの?
 

泳げたら最高なんだろうが

 

泳げる日があるとは思えんw

 

荒れまくり

 
農業的には、今は何の作業をする季節なのか、さっぱりわからんが、緑の部分や、土の部分が混じっていて、コントラストが美しい。これ、機内から見下ろしたよね。
 

美しいコントラスト

 
「亀池港」へ行く。お馴染みの、「岩盤掘削」と「切り通し」の港だ。冬に使われることが多い模様。
 

亀池港

 
「塩屋海岸」も閉鎖につき引き返す。塩屋海岸への分岐付近から始まる「フロンティアロード」は、かつてのシュガートレインの線路跡とのこと。バイクは入れたので走ってみる。
 

塩屋海岸は閉鎖

 

フロンティアロード

 
「南大東島開拓百周年記念碑」を見て、「西港」に着く。なるほど、ここはメインなるが故に、待合室みたいなものもあるね。
 

記念碑

 

お馴染みの切り通し(石灰岩剥き出しが凄い)

 

乗船客待合所的なものがある

 
この島の「水」については、数年前に水道が完成したと昨日知った。それなら「電気」は?ETTというサイトによれば、重油を使ったディーゼルエンジンで発電機を回す「内燃力発電」であり、燃料の重油をドラム缶に入れ、船で物理的に運ぶ必要があるのだとか。
 

沖縄本島より東に360km、那覇からプロペラ機で約1時間。 “台風の通り道”と称される過酷な自然条件下にある南大東島では、島民の暮らしや産業に必要な電力をどのようにまかなっているのでしょうか?

ここでは、重油を燃料としてディーゼル・エンジンで発電機を回す「内燃力発電」を行っています。この発電のメリットは燃料(A重油)の取り扱いが容易で、また発電機を迅速に始動・停止できること。離島の電力供給に適した発電方式です。デメリットは燃料費の高さです。南大東島の場合、沖縄本島から遠く離れ、また島の周囲は深い海溝であるため、海底ケーブルによる電気の供給を行うことができません。燃料の重油は西日本地域の製油所から沖縄本島油槽所を経由し、貨客船でのドラム缶輸送を余儀なくされています。そのため燃料価格に占める輸送費がなんと40%程度にもなるそうです。

また、構内には港から運ばれてきた重油入りドラム缶が置かれ、近くでは作業員の方が注意深く、運搬車で積み下ろしていました。ドラム缶の重油は、裏手の高台にある2基の重油タンクに入れられます。「天候不良で船が来られない場合に備え、2〜3カ月分を備蓄している」と伺い、本土とは違い、島の中で何とかしなければならない“絶海の孤島”の厳しさを実感させられました。

南大東島はサンゴが隆起してできた島のため砂浜は無く、海沿いは切り立った岩壁に囲まれています。周りの海の水深は1,500mにも達するため常にうねりが高く、船が大きく揺れるため港に直接接岸できず、物資はもちろん乗客も港からクレーンで荷揚げしています。島には一般港が3カ所、陸の岩盤を掘り込んで造った避難用漁港が1カ所あります。主要港である西港には、那覇との間を約13時間で結ぶ貨客船が、ドラム缶の重油などの物資の輸送も含め月に4〜5回運航しています。ちょうど作業のタイミングとのことで、港からクレーンで荷揚げする様子を見に行きました。

港に停泊している貨客船は上下に大きく揺れている状態で、物資の荷揚げはもちろん、乗客も檻のようなカゴに入れ、桟橋のクレーンで船上へ運んでいました。重油のドラム缶はカゴではなく、1缶ずつ鎖を付けて運んでいました。海は大きくうねっていましたが、「今日はまだ良いほう」だそうで、西港のうねりが強いと船を北の補完港に着け、そこも波が荒くなると南の補完港に移動して荷物や乗客を乗せ出港することもざらにあると伺いました。(特集Vol.34 | フォーラム・エネルギーを考える

 
西港にはドラム缶が転がっており、貯蔵庫っぽい建造物もある。

ひとつひとつ、物理的に運ぶのは大変だ

 
「西港旧ボイラー小屋」は、国指定登録有形文化財らしい。「玉置半右衛門記念碑」をかすめ、いったん町に戻る。
 

「文化財」というより「遺跡」w

 

記念碑

 
まだ一度も行っていない「与儀商店」を覗く。南大東の羊羹と、まだ食べていない「ナワキリの味噌煮」のレトルトを土産に購入する。
 

ここは工具類の品揃えが豊富だった

 
昼メシは、宿の向かいの店で、「大東そば」と「大東寿司」を食べようと思っていたが、残念!、本日は定休日だそうだ。ならばと、昨日と同じ「南大東漁業組合」に行くことにする。
 
昨日とは違う、やはりミャンマーなのかどうなのかわからんが愛想の良いおねえちゃん曰く、「今日は刺身は全部終わってしまいました」という。今日こそ「さわら丼」を喰えるかと思ったのになあ。そこで、いちいち確認していくと、実は僕が、さわら丼の次点に挙げていた「海鮮キムチ丼」ならあるという!よし、それでいきましょう。…しかし、刺身系が全部無いのに、なんでこれだけはあるんだ?まさか冷凍?
 
しかし、それは杞憂だった。旨し!まことに美味し!コリコリ歯ごたえ、抜群に良き哉。
 

スープのためだけに行っても良い

 
午後は内陸の湖沼を見に行く。「瓢箪池」や「大池」など、独特の風情があるね。ただ、アウターヘブリデスの、あの、海だか川だかわからぬ、湖だか池だか沼だかわからぬ、水溜りなのか湿地なのかまるでわからぬ、あのワンダーランドぶりに比べると、まあ、なんというか、常識的な範疇に収まる景色だな。
 

内陸の湖沼群

 
「闘牛場跡」がある。もはや廃墟だが、なんでも、嘗ては、独特の闘牛が行われていたとか。どんなんだろうね。
 

1986(昭和61)年1月3日に竣工、だそうだ

 
島内に幾つかある、シュガートレインの遺構を見る。最初は、「一周線(南線)三号集積場跡」とのこと。しかし昭和58年まで走っていたのか。闘牛場といい、昭和58年って、「そんなに昔じゃない」感覚なんだけどな(笑)。
 

案内板

 

線路が残る

 
「秋葉神社」とな。沖縄の宗教というか信仰って、ちょっと独特な訳だが、南大東島には、沖縄本島とはまたちょっと違う状況があるのではないか。そしてそこに「神社」があるのか。まだ調べられていないけど、「移民社会」を考える上では、ここはひとつのモデルかもしれないんだよな。最適かもしれないんだけど、実はまだ、島民の方と、全くコミュニケーションを取れていないんだよな。今までの印象だと、あまり「グイグイ系」ではないような感じがする。与那国とも、多良間とも、なんか違うんだよな。
 
いや、閑話休題、秋葉神社ね。この沖縄の離島の地に、神社がある。秋葉神社、というか、秋葉信仰は、「火伏の神」だよね。しかしながら、秋葉信仰の本山である秋葉山(浜松市天竜区春野町)は、昭和18(1943)年3月13日、ふもとの鉱山からおきた山火事で神社の建物はことごとく焼けているのだ。「火伏の神」が、火事を避ける信仰の本山が、火事になっている・・・。これは「身代わりになって頂いた」という解釈になっているそうだが。
 
いや、またしても、閑話休題、この沖縄の地に、秋葉神社がある。南大東島でも開拓初期、木造の家や製糖工場が火事に弱かったことから、この神社が祀られたということらしい。まあ、ストーリーとしてはよくわかるけど、やはり、沖縄で「神社」というのは引っかかるよねえ。いわゆる「御嶽」とは異なる、「神道」だもんねえ。本島にも神社はあるけど、なんか、やはりここのは、違う気がするんだよなあ。移民社会、興味深し。
 
秋葉神社は、こんなに多いんだな。wikiによれば、
 

秋葉神社(あきはじんじゃ、あきばじんじゃ)は、日本全国に点在する神社である。神社本庁傘下だけで約400社ある。また、歴史地理学者・米家泰作による2017年(平成29年)の調査では1,129社を数える。(秋葉神社 - Wikipedia

 
こんなにあったのかい!ちょっと驚いた。浜松のヤツしか知らなかった。

 

参道?入口

 

本殿入口、坂なのでやめるw

 

幾つかあるシュガートレインの遺構、今度は「一周線(北線)九号集積所跡」だそうだ。
 

線路

 
「大池展望台」。「大池」の展望としては、もう少し高度を上げたら良いんちゃいますか、といったところである。中途半端やなあ。「池」は、微妙にしか見えまへんで。しかしながら、現在の農業がわからぬ僕としては、意味を理解していないのだが、現在作業中の農地が、実に綺麗だったことに満足した。
 

中途半端な高さの展望台

 

かろうじて見える「大池」

 

こっちの方が綺麗

 
役場の隣の「Happy Green Market」を覗くと、営業しているらしい。覗いてみると、「パパイヤの平成づけ」と「まぐろみそ」を売っているので購入する。「要冷蔵」なので、持って帰ることはできない。今宵の摘みだろうな。
 

何が売ってるのかな

 

南瓜は名産らしい

 
さて、この島の中心、謎の、しかも、僕個人としては、なんだかダークな印象をぬぐえない「大本山」、大東糖業(株)の領土である。会社が島を所有し、人民も統治し、独自の通貨も発行する。池井戸潤の『架空通貨』を彷彿とさせるのだ。島民たちにとって、この会社は、どういう存在なのか。「大東糖業サマには逆らえぬ」という感じなのか、それとも、「あれはタダの企業さ」という感じなのか。日本の中の治外法権地域のようなものだし、実態を知りたい。まだ、島民の人と、語り合う機会に恵まれていないので、どんな存在なのか、確かめられていない。ただ、「機会」にたとえ恵まれたとて、聞いてよい質問なのかどうかは、肌感覚を調整させてからでないとわからない。いずれにしても、この企業は、とにかく、気になる。
 

「何撮ってんだ!」とか言われそう(妄想です)

 

女子高生・麻紀の父が経営する会社が破綻した――。かつて商社マンだった教師の辛島は、真相を確かめるべく動き出した麻紀の後を追う。辿り着いたのは、「円」以上に力を持った闇のカネにより、人や企業、銀行までもが支配された街だった。 教え子を救うため、辛島は企業王国のドンに迫っていく。(『架空通貨 新装版』(池井戸 潤)|講談社

 

元商社マンで共成高校の社会科教師・辛島武史は、霧のたちこめる7月26日の深夜に教え子・黒沢麻紀から近代日本史の本を返却される。本の返却が真の目的ではないと感じた辛島は麻紀をファミレスに誘い話を聞くが、社債の期前返還について質問されるだけで真意が掴めぬままタクシーで送り返す。

翌日、麻紀が父・義信が経営する黒沢金属工業の行き詰まりで転校するとの知らせを受け、その晩に麻紀の母・恭子から「お金を取り返してきます」と書き置きを残し麻紀が失踪したと連絡が入る。辛島は麻紀が社債の返還を求めていると察し、恭子とともに黒沢金属の決算書を確認し、7千万円の社債を引き受けた田神亜鉛に連絡するも、社長の安房正純や担当者に連絡がつかない。

自宅に戻った辛島は返却された本から「壱万円」と印字された田神亜鉛の商品券のようなものを見つけ、これを麻紀からの助けを求めるメッセージと受け止め、麻紀を捜すために田神亜鉛が立地する中部地方某県山間部の町・田神町へ愛車のミニ・クーパーを走らせる。辛島はそこで麻紀と再会するが、ふたりは田神亜鉛の企業城下町である田神町で流通する田神札(田神亜鉛協力振興券)にまつわる陰謀に巻き込まれていく。(架空通貨 - Wikipedia

 

「日の丸山展望台」に行く。階段式の展望台があり、この島の360度展望が望める。島は平坦なので、標高約63メートルの日の丸山でも、島を見渡せる。しかし、究めれば究めるほど、多良間に似ているよなあ。この手の展望台、多良間でも行ったよなあ。

 

昭和55年(1980年)に設置され、島の 70%を眺望できます。 ぐるりと囲む幕林の緑と水面が光る池群をのぞみ、眼 下にさとうきび畑が広がります。
南青年団が毎朝、山上に日の丸の旗を掲げたことに由来する呼称です。戦時中は電波探知機部隊の陣地で、現在でもその壕跡が残っている。(日の丸山展望台 - 南大東村移住定住サイト - 南大東村(産業課)


 

360度の眺望

 
なんてことない、ただの農地に、むき出しの石灰岩がある。もはや「露頭」という感じでもなく、フツーに、あっけなく、そこにある。
 

そこらへんをちょっと掘ったらこんなのが出てくるんかね

 
「グレイスラム」という、ラム酒の蒸留元に行こうとしたら、突然、謎の建造物群が出現して驚く。縦縦横横の区画に同じような集合住宅棟が並んでいる。なんじゃ、これは?
 

違和感ある区画だがグーグルマップに名前がない

 
先程も書いたように、この島では、居住域は「在所」に限られる。その他の地域には、「仮」とか「作業所」とか「企業施設」とかを除いて、一般の居住者は、ほぼ、いない。ここは、「在所」からは程遠い内陸部にある。そこに、突如現れた、謎の、集合住宅群。しかも、結構な生活感がある。結構な世帯が、実際に、住んでいるらしい。
 

違和感アリアリ

 
グーグルマップにも、名称が載っていないんだよねえ。団地とかなら、名前が載るでしょう。なんで無いの?こういう謎は、やはり、地元の人と仲良くなってから、聞きたいところである。
 
「グレイスラム」は、旧南大東空港の建物を使った企業らしい。しかし、各種口コミを見ると、対応のぞんざいさが銀河級らしいw 面倒なのは嫌なのでスルーする。
 

旧空港の建物

 
さあて、半日(六時間)の原チャリの旅は、なかなか良かったんじゃないか。クルマである必要性はなく、チャリでは距離的にしんどすぎた。原チャリは、ほどほどに動けて、良かったね。やはり、この選択は、ベストでしょう。
 
今宵はどうしましょう。
 
今日は月曜日、土日の定休日縛りは脱した。しかし、この島の魚介は、その日の「トレダカ」による。あれば良いけど、なければ、本当にないんだよな。それから、昨日の店の「あしらい」ね。あのおばちゃんは、なんというか、「客あしらい」の部分で、若干の難がある。あれがこの島の「定型」かどうかはまだわからないけど、「第一印象」的なものはできてしまった。それにここまで、「島の人」と、なにかしらのアツいコミュニケーションを取るということが、できていないのだ。
 
考えた挙句、一案を捻りだした。
 
昨日の戦利品「イカの中華(Aコープ)」がある。「パパイヤの平成漬け(Happy Green Market)」と「まぐろみそ(Happy Green Market)」がある。宿の前のけんちゃんストアで買った「魚フライ」もある。これで、夕食の摘みは、成立するんじゃないか?しかし、僕は、「夜中の、腹の減り」の恐怖が、忘れられなかった。昨夜は、「何故だかわからん豚玉」で救われた。なら、今宵も、救われようではないか(笑)。たとえ、それが、「客あしらいに難があるおばちゃん」と相対する必要がある案件だったとしても。
 
口コミ等でさらに先行研究を参照すると、この、「客あしらいに難があるおばちゃん」は、大阪出身らしい!伊達に「《大阪》お好み焼き」と、看板掲げていないわな。しかし、大阪のおばちゃんならば、もう少し、「あしらい」に味をつけてくれないかなあ。交われば、そういう要素が出てくるのかなあ。現状は、苦手だなあ。なので、電話で注文し、後に取りに行く、という方針を定める。注文は、島らっきょ、海ブドウ、と、ここまでは、昨日と一緒である。これらは旨かったからねえ。そして、何故だかオレもわからんよ、心の底から納得はできていないよ、しかし、なんとなく、「この島での暮らし」には合致するのではないかとは思うよ、と、まあ、そういうテンションで、再びの「豚玉」を貰うことにする。
 
電話をする。
 
「持ち帰りでお願いできますか」
「あー」
「ええと、島らっきょ、海ブドウ、それに、豚玉です。ちなみに今日は、刺身はありますか?」
「おお。今日はあるよ。さわらもあるよ」
「では、さわらの刺身も。何時ごろ行ったらいいですかね。30分後、で良いですか?」
 
大阪おばちゃんは、平成?昭和?、いや、昭和ではないか、こういう返しをする。
 
「あ。遅れるようなら、電話しますわ。ワン切りするでな」
 
なんだよ、この、ノスタルジー。ワン切りってよ。そして、30分後、無事に「持ち帰り品」をゲットしました。今宵の品々はこういう感じ。ちなみに、毎晩飲んでいる「菊の露」は、本日から、一升瓶に、相成りましたw。

 

だんだん豪華になっていく

 

全然、喰いきれなかった。

 

【新】にっぽん徒然:南大東島通信_vol.02 (15/03/2026)

南大東島二日目。今回も、初日は、アウターヘブリデスのコテージの時と同じく、何もせず、ゆるりと過ごすことにする。しかし、快適極まりないコテージとは大きく異なり、この部屋では、優雅な時間は過ごせそうにない。小鳥の囀りで目が覚める、という、あのコテージの素晴らしい環境とはまるで異なる。何で目が覚めるのかな。
 
僕は、個室でさえあれば、部屋に対してナンヤカンヤ注文をつけたりしない。寝られれば良いのである。ただしこの部屋は、隣室や廊下との壁は「ベニヤ板か!」というほどに頼りなく、音がダダ漏れなんである。こちらの音がダダ漏れするだけではなく、当然、外側の音もこちら側にダダ漏れするんである。
 
ヲヲエ
 
ん?なんだなんだ?大江?この反響は?
 
この宿の初日の朝は、どこぞのオヤジのリバース音で目が覚めたw さらに、
 
ジョボジョボ
 
放水したかと思えば、
 
ブー
 
風まで排出しやがった。自由かよ。三点セットは、なぜか反響するこの宿中に、クリアな音を響き渡らせた。
 
さて。午前中は、チョボチョボと溜まっている仕事を片付ける。その後、昼前に、散策に出てみる。
 
まずはAコープへ。本日は日曜日で、多くのスーパーは閉まっている。しかし、Aコープは、昨日の土曜日が休みで、日曜日は開いている。うまいこと入れ子になっているんだね。惣菜か弁当があるかと期待したが、何も無し。昼メシは、どこぞで食べるしかないかなあ。
 

Aコープは、多分、最大のスーパー

 
夜のことも考えねば。昨夜は摘みを購入できたので部屋呑みにできた。しかし本日は、スーパーが軒並み閉まっている。やはり呑みに出るか。
 
とりあえずぶらぶらする。この島は、サトウキビの島であり、かつて、シュガートレインが島内を走っていた。その展示がある。
 

まさに歴史そのもの

 
第三配水池なる、やたら大きい施設がある。多良間の時もそうだけど、離島では、「水はどうするのか」「電気はどうするのか」が気になるよね。南大東でも、長らく、水には苦労してきたらしい。

 

ひときわ目立つ構造物

 

しかし、沖縄県企業局によれば、
 

沖縄県では、沖縄本島と離島との水道サービスの格差(水道水の質、量、料金など)を解消し、離島における定住条件の向上を図ることを目的として、平成28年度から本島周辺離島8村(粟国村、渡名喜村、北大東村、南大東村、渡嘉敷村、座間味村、伊平屋村、伊是名村)への水道広域化(県企業局による水道用水供給事業の拡大)に取り組んでおり、浄水場等の施設整備を進めております。南大東村への水道用水供給に必要な施設整備が完了し、令和5年2月1日に供給を開始しました。南大東浄水場の浄水方法は「海水淡水化(RO膜処理)」方式である。(南大東村への水道用水供給開始について | 安全・安心な水を届ける沖縄県企業局

 
ということで、ごくごく最近に、水道水の安定供給が実現したんだね。それまでは、この塔にあるように、「水は大切に」は、切実な問題だったんだねえ。
 
村の中枢部を歩く。郵便局があり、役場があり、診療所がある。少し離れて商工会がある。

 

郵便局

 

役場

 

診療所

 

商工会

 
池がある。この島の中央部にある湖沼群については、島根大学 研究・学術情報本部 エスチュアリー研究センターによれば、
 

南大東島は沖縄本島から東に約360 km離れた離島であり、サンゴ礁の隆起によってできた隆起環礁の島です。南大東島は縁辺部で標高が高く中央部で標高が低いお椀状の形状をしており、中央には複数の湖沼が存在しています。これらの湖沼はドリーネ湖であり、底部から海水の染み込みが発生した結果、純粋な淡水湖ではなくその多くは汽水湖となっています。(南大東島の湖沼調査を実施しました | 島根大学 エスチュアリー研究センター

 

ということであり、「ドリーネ」とは、wikiによれば、
 

雨水が石灰岩の割れ目に沿って集中的に地下に浸透する過程で周囲の石灰岩を溶かすため、地表にはドリーネ(doline: 擂鉢穴・落込穴; 語源はスロベニア語の谷、米語ではほかにsinkhole)と呼ぶすり鉢型の窪地が多数形成される。直径は10mから1,000m、深さは2mから100mくらいである。ドリーネは地下の空洞の天井部が陥没することによってもできるが、このような陥没型のものは側壁が急で、グラス形や湯呑み形が多い。沖縄県宮古島市下地島の通り池は、陥没ドリーネに海水が浸入した例である。
ドリーネが徐々に拡大して隣り合った複数のドリーネがつながってより大きな窪地に成長したものがウバーレ(uvala: 連合擂鉢穴; 語源はセルボクロアート語)である。地下水位が浅くあるドリーネでは、豪雨時に一時的なドリーネ湖が生じることがあり、珍しい(代表例: 秋吉台の帰水ドリーネ)。
雨水がドリーネを通じて地下に流入するため、一般には地上に川が生じない。そのため他種岩石の地帯のように、谷による地表地形の侵食が起こらない。地下に浸透した雨水はやがて割れ目に沿って集まり、地下川をなし、大小の洞窟をつくりながら下流へと流れ、山麓に開口した洞窟や湧泉から再び地上へと現れる。

 
ということである。いやあ、高校時代勉強したよねえ(笑)。まるで忘れているけど、コトバだけはうっすら覚えているよな。
 
そして、この池は、ため池なのか、ドリーネ湖なのか、不明である。グーグルマップには、池そのものが載っていないのだ。そして、この奇妙な機械は、やはり揚水設備なのだろうか。
 

謎の水

 

謎の機械

 
南大東漁業組合が、飲食もやっているというので、昼メシ目当てに来てみた。「漬け丼」が名物らしい。メニューが多いね。カレーからとんかつにナポリタン、そして、漬け丼やらさわら丼などなど。守備範囲が実に広い。いつも思うけど、観光地のメシやって、観光客のみを相手にしているわけじゃないんだよね。「超」観光地ならば、観光客「のみ」を相手にしても成立するだろうけど、通常の観光地では、地元客も視野に入れる必要がある。そして、地元客は、毎日毎日「名物の海の幸」を喰いたいわけじゃなく、カレーとかとんかつを喰いたいんだよな。どちらかだけに偏るとしんどいけど、ここはバランスが良いようだ。
 

バランスの良い食堂だ

 
「漬け丼」を頼む。受付のおねえちゃんは、口コミによれば、ミャンマーの子らしい。厨房を覗き見すると、なんだか多国籍軍のようである。目の前のおねえちゃんは、実に感じが良い。「今日は、さわらはなくて、漬け丼は、マグロとイカのみですけど、よろしいでしょうか?」と聞かれたので、それで良いとお願いする。
 
着丼。美味そうじゃねえか。さらに、セルフだが、飲み放題だという、魚汁とマッシュルームポタージュがある。魚汁には、魚フレークと小口ネギを入れ放題、こちらも実によろしい。
 

これは、実に旨かった

 
しかし、徐々に気づいたけど、この島の特産は、どうやら「鰆」なんだね。昨日のRACでも、機内販売で、「鰆ジャーキー」を売っていたし、ここでも結構、鰆を押し出している。今日は喰えなかったけど、滞在中に喰ってみようかと思う。
 
ちょっと歩けば、すぐそこに、ザワワー♪がある。これは、刈り取りかなんかに使うマシーンなのかね?とても巨大だけど、カタチを見ると、「何か」を移動させて、何かをふるい落とさせるような構造物があるよね。稲刈りで言えばコンバイン的なものなのか知ら。
 

ザワワー♪

 

謎の機械

 
唯一かどうかわからんが、信号を発見する。例によって、「教育のため」なのかねえ。
 

信号発見

 
南大東島随一の繁華街を抜ける。昨日は途中まで来て、引き返した。そして、昨日も今日も、まだ、本領発揮の「夜の姿」は見ていない。夜になって、果たしてどれほどの妖しい輝きを灯すのか。スナックのネーミングが実に良いよね。「ザ・スナック」という王道をいく、「かな二文字」「かな三文字」又は「カナ二文字」「カナ三文字」の屋号はそそられる。
 

スナック愛好家としては・・・いつかは行かねばならぬ

 
さて、いったん部屋に戻り、グダグダしていると、17時になった。本日は、日曜日だけに、部屋飲みに足るだけの摘みを入手できていない。故に、繰り出すことになる。
 
ただし、そうは言っても、今度は、「飲み屋」で日曜日にやっているところ、という縛りがついてしまう。「飲み屋天国」の南大東島にしても、流石に日曜日はしんどい。候補は二つ、しかし、その一つは「大連出身のママ」、もう一方は「南大東島で最古参の飲み屋」ということを口コミで知ったので、後者に突撃する。
 

ううむ

 
開店と同時に凸する。おばちゃんとおっちゃん夫婦の経営の由。おばちゃんが来て説明してくれる。曰く、
 
・刺身はほとんどないよ
・地物もほとんどないよ
・ないものの方が多いよ
・さあ、どうする?
 
いきなり難題じゃないですか。オレは何しに来たんだよ。地物を喰えなければ、ほぼ意味がないではないか。昼のミャンマーおねえちゃんが言った、「今日は、鰆はないですよ」の意味がなんとなくじわじわくる。理由は定かじゃないが、本日はどうやら、漁の方が本調子じゃなかったんだね。
 
メニューは豊富、しかし、「唐揚げ」「ピザ」「ハンバーグ」「カレー」などの領域の方が、割合として高いようだ。多良間の時も思ったけど、ランチならまだしも夕飯で、しかも、飲みたい状況の中で、「ピザ」はないよなあ。

 
困惑していると、おばちゃんが助け舟を出してくれる。
 
「あるのは、グルクンの唐揚げ、くらいかねえ」
 
おお。それは申し分ないよ。それをください。あと、生と、あのホワイトボードにある、海ブドウと島らっきょうも。
 

これは旨かった

 
おばちゃん曰く、
 
「グルクンは、時間がかかるけど、大丈夫ですか?」
 
ああ、良いとも。お願いします。
 
このやり取りの間に、地元のおっちゃんが店に入ってきた。彼は、流れるような所作で、生を頼み、何やら「持ち帰り」の品を注文した。
 
なるほど!
 
閃きました。この地では、居酒屋は、単にそこで飲み食いする場としてだけではなく、持ち帰り需要に応える場でもあるんだな。そう思ったら、次に入ってきた地元のおばちゃんは、明確に、「私の今晩のごはんが欲しいの、何があるかしら?」と言って、「カレー」をオーダーしているぞ。むしろ、Take Awayの需要が高いのかもしれない。だから、スーパーでは、実に簡易的な惣菜しか売っていないし、妙に、外食屋の数が多いのだ。なるほど。
 
この店は、オペレーションに、若干の難がある。おばちゃんは何でもやるんだけど、おっちゃんは、若干、ユースレスな感じらしいw 観察したところ、彼ができる仕事は、ビールを注ぐ、これ一択らしいw なので、実質、おばちゃんのワンオペなのだ。何があるのか、何がないのか、そこが不分明だという状況に加えて、この、オペレーションの困難、僕は判断を決めた。ここで座を落ち着けて飲むのではなく、みなさんやってはる「持ち帰り」制度を活用し、本日も部屋飲みにしようかと。
 
忙しそうに動き回り、なかなか捕捉することが難しいおばちゃんをやっと捕まえて、僕は、「時間がかかるよ」と言われたグルクンと、あと、何故か、「豚玉」を頼み、この二品を「持ち帰り」にしてくれるように頼んだ。
 
この店、看板には、「大阪お好み焼き」という文言があるのだ。なんで、南大東島まで来て、お好み焼きを喰わねばならんのだ、という、当然、必然の、自問自答を乗り超えて、
 
・これから夜を迎えるにあたり、腹は確実に減る
・開いている店自体が限られている
・じゃあ、いったい、何で、腹を満たせばよいの
・目の前には「お好み焼き」がある、しかも、「大阪」の冠付きだ
・頼まないでか、いな、頼むやろ
 
このような、脳内議論を経て、おばちゃんに、「豚玉」をお願いしたw
 
さてさて、本日の夕餉。グルクンも、豚玉も、おいしいよ。
 

何故か、豚玉

 

さて、明日は、どうするか。これ、毎日言うんだろうなw

 

 


 

【新】にっぽん徒然:南大東島通信_vol.01 (14/03/2026)

スコットランドの離島の次は、ニッポンの離島に行きましょう。このたび、南大東島にやってまいりました。沖縄の離島は、去年の夏の多良間以来である。
 

こんな位置関係

 
帰国してから、仙台に行ったりして、自宅でまだ四泊しかしていない。まだ、なんとなく、旅をしている気分である。帰国してから、寿司は食べたし、蕎麦もラーメンも食べたし、日本酒も存分に堪能したけど、なんだか、まだ、落ちつかない。フワフワしている感じ。そこへきて、いきなり、なかなかの「果て」である、南大東島にやってきたのだ。メンタルが、変化に富みすぎ、多すぎる情報を、制御できていないw
 
京王の始発に乗る。ここから成田までの道のりは、いつもの大阪通いの時と同じなので、乗り換えのタイミングとか時間とかは、身体に染み込んでいる。なので、ある意味ボヤっとしていたら、東日本橋から乗った京成が、いつもの「アクセス特急成田空港行き」ではなく、「青砥行き」だということに気づいた。いつもなら、成田に行く外国人観光客が、「引っ越しですか?夜逃げですか?」というほどの荷物を抱えて、ドヤドヤ乗り込んでくるのだが、今日の車内は、やけに静かで、閑散としている。それで「ん?」と思って行先を見たら、いつもの奴じゃない。・・・そうか、今日は土曜日、土日祝ダイヤだと、この電車は、アクセス特急ではなくなるのか。すると、成田着が、いつものパターンよりも30分くらい遅くなる。フライトは8:30なので、余裕はあるが、危なかったね。大阪の時は7:40くらいのフライトなので、今日が大阪行きだったら乗れなかった。
 
後続の、安定の夜逃げ客を多数乗せた、いつもの激混みアクセス特急に乗り換えて、成田着。まずは、ピーチMM503那覇行きに搭乗する。何事もなく、定刻より早着の11:45に那覇に降りる。
 
南大東行きRAC863は14:20発なので、少々時間がある。多良間の時は、島内で「まともな」メシを喰えなかった。今回の南大東は、多良間とは大きく異なり、飲食店、特に飲み屋の数が、信じがたい程多い島である。飲み屋の多くはランチ営業もやっているっぽいので、「まともな」メシは、多良間よりはあるのかな。しかし、スタンダードで、ある種の「正しい」沖縄メシは、多分、那覇空港で喰っておいた方が良いだろうな。そういうわけで、空港内のレストランを物色する。
 
昼飯時ということもあり、どこも行列ができている。わざわざ並んでまで食するつもりはないので、どうしたもんかなと考えていると、ハコがでかいレストランが、並ばずに入れる状況だった。そこで、汁なしソーキ蕎麦、何かの混ぜ飯、アグー豚の何らか、などのセットを頼む。美味かったけど、空港値段で、やはり高いね。でも、まあ、良いか。帰国してまだ日が浅いので、多少高いものでも、「えげれすよりは安い」と思う感覚が残っている。
 

正統的に美味かった

 
空港のラウンジに行く。那覇のラウンジは何度か行ってるけど、なんか違うような。こんなじゃなかったよな。すると、やはり、新規移転したばかりらしい。随分広々となり、落ち着ける空間になったね。ここはなかなかよろしい。生マンゴージュースが素晴らしい。やはり、生ジュースがあるところは良いよね。ベンディング飲料のみのところは、やはり、味気ない。僕はトマトジュースが好きなので、これがあるところは評価するんだけど、那覇にもありました。
 

開放感があり、居住性が良いラウンジ

 
滑走路が見えるカウンターに陣取る。隣に若者がいて、PCを広げ、何やらやっている。チラ見すると、飛行機のシミュレーターみたいな、そういう系の画面を出して、何やらやっている。目の前のリアルな飛行機の動きに同期させて、臨場感を味わっている、とかなのかな。飛行機オタクも、鉄に負けず劣らず、なかなかの迫力があるよね。
 
南大東行きに搭乗する。バスで沖止めパターンである。隣のゲートは沖永良部行き、その隣は与那国行き、さすがのRACだというべきか。RACに乗るのは、夏の多良間以来である。機体はDHC8-Q400CCである。ボンバルディアかと思ったら、デ・ハビランド・カナダ社の作品なんだね。この会社は、ボンバルディアに買収されたらしいけど。いつもながらのプロペラ機、座席はプロペラの真横だった。
 

プロペラ機

 

座席はプロペラの真横

 

農地の彩のコントラストよ

 

着きますた

 
40分強の飛行時間で、南大東空港に着陸する。南大東島は、wikiによれば、
 

南大東島(みなみだいとうじま)は、沖縄本島の約360km東方(宮崎県の真南)に位置する大東諸島の島で、沖縄県内では6番目に面積が大きい。全域が南大東村に属している。北方の北大東島とは12キロメートル離れている。島の北端から北に10キロメートルの位置にある北大東島のほか沖大東島を除いては、周囲360キロメートルに渡って陸地のない絶海の孤島である。また、島の周りの海は非常に深く、沖へ2キロメートルほど出れば水深は1,000mに達する。北大東島と同じくサンゴ礁が隆起して出来た隆起環礁の島で、現地では外部の環状地を「幕」、高台部分を「幕上」、中央の低地部分を「幕下」と呼んでいる。典型的な隆起環礁として世界の地形学の教科書では説明モデルにもなっている。
島内には大小110ほどの湖沼が存在し、そのうち23の湖沼に名前が付いている。権蔵池や栄太池など発見者の名が付けられた池が多数ある。沖縄県にある0.01km2以上の湖沼は全て南大東島に存在している。
開拓当初は人口も少なく飲料水には困らない島であった。しかし、入植者が増えたことで雨水が貴重な飲用水として用いられるようになった(1976年10月に簡易水道が開設され、1990年5月からは海水淡水化システムが導入されている)。

 
ふむ。湖沼が多い、というのは、アウターヘブリデスと同じではないか。まあ、あちらは、氷河に削られたヤツで、こちらはカルスト的な奴らしいが。そして、何より面白いのは、この島を開発した玉置半右衛門という人物と、彼が行った、ある種の「統治」である。wikiによれば、
 

玉置半右衛門(たまおき はんえもん、天保9年10月1日(1838年11月17日) - 明治43年(1910年)11月1日)は、明治時代の八丈島出身の実業家。南方諸島の開発を夢見ていた。鳥島を開拓して定期航路を開けば漂流民が助かるという建前で東京府から鳥島の借地権を得、富を得た。

 
まずは、彼が、八丈島出身だという点。これが重要だ。そして、続く。
 

1862年(文久2年)、江戸幕府が小笠原諸島の開拓民を募集すると、これに応じて父島に渡った。しかし幕府の命により開拓は中止され八丈島に帰島した。1876年(明治9年)に明治政府が再び小笠原諸島開拓を計画するとこれに応募したが、開拓局と対立し2年後には島を去った。その後、妻が八丈島名産の黄八丈の販売で、玉置は八丈島と東京を結ぶ回漕業で財をなした。しかし無人島開拓への希望を常に持ち続けていた。

 
おい。「果て研」に入部してもらいたいほど、感覚が同じだぞ。僕は「開拓」は興味がないけど、「無人島」に対する憧憬は共通ではないか。
 

鳥島でアホウドリ捕獲事業を展開した。その数は1887年(明治20年)の鳥島上陸から半年で10万羽、鳥島大噴火まで15年間で600万羽に及ぶ。アホウドリは羽毛や肉、卵や糞まで余すことなく利益となる資源であった。1887年(明治20年)、津田仙が鳥島のアホウドリの糞の重要性に気づき、鳥島への下船許可を申し出たのに対して、玉置は牧畜開拓の名目で借地の許可を申し出る。津田の申し出は却下され、玉置の申し出が受理されたため鳥島に上陸する。1888年(明治21年)3月、内務省は鳥島の借地権を認めた。東京府へ提出した開拓許可の請願書には鳥島を開拓して定期航路が開かれれば漂流民の悲劇を防げるとしていたが、実際にはアホウドリの乱獲が目的であり、上陸から1週間と経たないうちに1000羽以上乱獲している。1羽のアホウドリから約375g(100匁)の羽毛が取れたといい、その後も年平均40万羽のアホウドリを捕獲し、横浜のウインクレル商会などと取引契約を結び、1年間に10万斤を超える羽毛(アホウドリ30万羽分)を売りさばいた。この事業により巨万の財を得て、わずか数年のうちに全国の長者番付に名を連ねるようになり、「南洋事業の模範家」と賞賛され、1896年に帝国ホテルの向かいに築造した邸宅はアホウドリ御殿と呼ばれていた。しかし、その裏で港や道路、家屋などの建設を公共事業と称して労働者には給料を支払わず、現地では住民の一揆騒動も発生した。また、開拓と称しながら実際には道路も港湾も建設されず、虚偽の報告を当局へ行っていたことが視察に訪れた小笠原島司の阿利孝太郎によって判明している。

 
そうなのよ。僕の憧れでもある「鳥島」の、あの、アホウドリね。吉村昭の名著『漂流』などで、多くの漂流民が、運よく、鳥島に「ひっかかって」、難を逃れたことは有名である。江戸期の難破船が、黒潮という強大な流れにひとたび乗ってしまうと、島は皆無の、北太平洋に流されてしまい、助かる見込みはほとんど潰える。助かるかどうかは、広大にして陸地がほぼ皆無である北太平洋海域に流される前の、最後の島である「鳥島」に、運よく「ひっかかって」上陸できるかどうかにかかっていた。そして、鳥島にたどり着いた漂流民の中で、生き延びることができたのは、この島に生息するアホウドリの「活用」を、考えつけた者たちだけだった。アホウドリは渡り鳥であり、一年の半分は、姿を完全に消してしまう。『漂流』の主人公である長平は、その点にいち早く気づき、アホウドリがいなくなるまえに、捕獲したその肉を「干物」にすることを思いつき、その結果、島で唯一の食糧がいなくなる時期の飢えを、耐え忍ぶことができたのだ。
 
そのアホウドリを乱獲し、一攫千金を成し遂げたヤツ、これが、僕の、玉置半右衛門に対する評であった。つまり、基本的に、ネガティブな奴だと思っている。
 

その後、1902年(明治35年)に鳥島が大噴火し、アホウドリの捕獲に関わっていた玉置の人足ら島民125人全員が死亡した。そのため、当時はこの噴火を「アホウドリの祟り」などと噂する声もあった。しかしその頃は既に鳥島に見切りをつけて家族と共に1893年に東京に移住していたが、新聞で鳥島大噴火の惨状が伝えられると義捐金の広告を掲載して自分の事務所を受け取り窓口とし、皇室をはじめ全国から多額の義捐金を受け取った。その上、大噴火から1年と経たないうちに新たな開拓民29人を送り込み、アホウドリの乱獲を再開した。これらの開発によって鳥島のアホウドリは急速に減少、大正時代に入ってアホウドリの乱獲は終わり、鳥島は再び無人島となった。

 
これも、どうなんだか。基本的に、やはり、ネガティブだよね。『漂流』を読むと、人間に慣れていないので、近づいても全く警戒しない、ある意味愛嬌さえあるアホウドリが、あっけなく撲殺され、捕獲されるさまが描かれている。漂流民が「生きるため」とは言え、なんとも、もの悲しいわけだ。しかし、フィクションかもしれないが、吉村は、長平に、「できれば殺生はしたくないが、生きるためにはやむを得ない」という心情を持たせ、「弔い」の行動をとらせている。フィクションとはいえ、長平は実在の人物である。さらに、鳥島に漂着して、無事に日本に帰ることができた人間は、他にもたくさん存在するのだ。彼らの立場に立ってみると、アホウドリは、自分たちの「命そのもの」であり、「感謝」と「殺戮」という、非常に微妙なバランスの上に存在していた。しかし、それは、漂流民だからであって、ビジネスとして金儲けをする手段として、ということになれば、ちょっと違う感情がどうしても出てくるよね。
 
前置きが長くなったが、ここからが、南大東島の話になる。
 

玉置半右衛門は、1900年(明治33年)当時無人島であった大東諸島・南大東島へ入植者を送って開拓を行い、サトウキビの栽培により精糖事業を軌道に乗せた。入植費用と生活費は玉置が出し、30年後、入植者には現地の土地が与えられる約束であった。島には病院や学校、トロッコ鉄道や防風林も整備された。また、大東島紙幣(玉置紙幣とも)と呼ばれる紙幣に類似した商品引換券を流通させた。1900年代以降には、北大東島と南大東島は玉置商会(後に事業が売却され、最終的には大日本製糖)が、沖大東島はラサ工業が島全体を支配し、行政機能すらもこれらの私企業によって行われていた。

 
ここですよ、ここ。なんと「私通貨」を流通させ、会社が行政機能すら担うという、「日本版東インド会社」のようなものが、ここ、南大東島(と、北大東島)には、存在していたのだ。
 
・・・と、ここまでは、来島前に知ってはいた。本来なら、もっと深く切り込んで、事前調査をするべきであった。しかし、諸事情でその時間が取れず、今回は、これ以上の知識のないままに来てしまった。
 
ポイントは、
 
・玉置絡みで、南大東島には、八丈島からの移民が多数来ており、今でも、「沖縄系」と「八丈島系」は、微妙な差異を孕んでいるらしい。
・「会社券」の経済は、実際、どうだったのか。「会社統治」の実態は、どのようなものだったのか。
・多良間と同じような、断崖+まっ平の地形であり、多良間と同じく農業が盛んだが、共通点はあるか。
 
これらは、今後のテーマになるかな。今回はちょっと、下調べの時間がなかったからな。
 
しかし、あともう一つ、っても大事なポイントがあるのである。
 
・オソロシイ密度と軒数で、飲み屋がある
 
これは、南大東島の特徴として、大いに語るべき点なんである。
 

旅をするとその土地のグルメが食べたくなります。南大東島のミックスカルチャーランチといえば、大東そばと大東寿司です。八丈島など東京の島々では、近海で獲れた魚の刺身を醤油ベースのタレに漬け、甘めのシャリにのせた島寿司を食べる文化があり、それが大東諸島に渡って大東寿司となったそう。日本最南端といわれる大東島産のとうもろこしも島の名産です。夜の南大東島も魅力的です。島の人口は約1,200人ですが、人口に対して飲食店の数が多く食堂や居酒屋、スナックがたくさんあります。

沖縄・南大東島へスロートラベルのすすめ。複雑な歴史が生んだ独特な島カルチャーを体験|沖縄離島専門の旅行・観光おすすめ情報サイト【沖縄しまさんぽ】

 
「人口に対して飲み屋の数が、おかしなくらい、フツーじゃないくらい、なんやそれ、ってくらい、多い」というフレーズ、大好きです(笑)。宮崎とか高知とかね。ただし、そういった都市部ではなく、ここ、南大東島は、「離島」であり、「果ての島」である。「多いです」→「ひゃっほう(゜▽゜)♪」、という、単純な反応で終わらせてはならぬw 移民、会社支配、そして、現在の産業構造など、何か、そこに、理由があるはずなのだ。ただ、まあ、その探求は、明日以降に置いておくことにしましょう。
 
空港には、宿の送迎タウンエースが来ていたので、乗車。結構な人数が、同じホテルに泊まるらしい。一番最後にチェックインし、旧館の部屋に入る。最低限しか設備がないし、トイレ、シャワー、などは共用。まあ、構わないけどね。
 

簡素だが、十分

 
本日は初日である。僕は5泊するのだ。本当は、途中で北大東島を往復したいと思っていた。南大東島と北大東島との航路は、不定期で、不規則で、なかなか、予定を組むのが難しい。行けたら行く、という感じで、余裕を持たせたスケジュールにしたのだった。
 
多数ある飲み屋に、いきなり、行くか?しかし、本日は朝4時起き、えげれすのように【何か】は起きていないので、神経はすり減ってはいないが、長時間の移動で、まあまあ疲れている。本日は、惣菜を買って、部屋飲みにしようかな。
 
スーパーを物色する。多良間と同じような感じだね。小規模な店舗が複数、あとは、ちょっと大きめのスーパーもある。置いてあるものはあまり違わないようだ。ただし、「手作り惣菜」みたいなものは、多良間よりは、生産-流通、しているっぽい。弁当の類も、今日は時間が遅く、売り切れ状態だったが、早い時間に行けば、色々とありそう。
 

スーパー

 

手作りっぽい豆腐

 
というわけで、初日の部屋飲みメシは、こんな感じ。多良間で毎日飲んでいた「菊の露」、ああ、懐かしや。「さわら天ぷら」「まぐろ天ぷら」は、手作り惣菜、「あじくーたーシージャーキー」は南大東島の名産らしい、ジーマーミー豆腐に、何故か生ハムw←半額だったから。最後に、思いついて買った「手作り豆腐」。えげれすで、重量を考えて、リュックに入っていた、ありとあらゆる「小袋入り調味料」を廃棄してしまったままであったので、なんと、醤油が全くない。豆腐に何もかけずに食べるのか?もう一度、目の前のスーパーに行って、醤油を買おうとしたが、デカい奴しかないし、390円もするんだよな。うーむ、なんだかなー、アウターヘブリデスで、使いきれないであろうバターを買うのとは、意味が違うんだよな。悩んでいると、「沖縄そばだし」を発見した。これは小袋5つ入りで315円だ。これなら、余しても罪悪感がないし、何なら持って帰ることだってあり得るぞ。

 

これは我ながら良きアイデア

 

というわけで、豆腐には、沖縄そばのだしをかけて食す。なかなかうまいですよ(・∀・)イイ!!
 

初日はヒトリウタゲ

 
さて、酔っぱらってきました。明日は何をするかな。

 

 

 

 

 

【新】えげれす通信2026_vol.17:マーボーで〆る編 (06/03/2025)

クアラルンプール空港で出発ゲートに入る。ゲートでも、2回目のセキュリティチェックがあるんだよ。1回やったから終わりと思っているとやられるんだよ。
 
ラウンジで美味そうな生グアバジュースがあったから、機内で飲んでやろうと持ってきたら、その2回目のチェックにクリティカルヒットした。そりゃそうだよなあ。ガチ液体だもんなあ。しかし、1回やったら、あとは大丈夫だと思うじゃないの。
 
さあて、僕の一番嫌いな時間に突入だ。住んでいた時、なぜ、KLMを使っていたか?なぜ、ジャルアナを使わなかったのか?僕は、海外で「日本人」に会うのが大嫌いなんである(笑)。個人的な出会いならいざ知らず、「集団」としての日本人とは、離れていたい。特に、日本出国の時ではなく、帰国の時に、この感覚は鋭敏になる。
 
自分なりに理由を考えてみた。言葉がわかりすぎる、ということもある。長いこと言葉が分かりにくい環境に居たため、全身の感覚を相手の言葉に集中する癖がついているから、普段以上に「拾えてしまう」ということもある。日本ではない国の感覚に慣れてきた時に、日本人のしゃべりの独特さを急に浴びることへの嫌悪感もある。
 
今も、隣の椅子に座っている若き女性二人組が、
 
「ワンチャン、あるよねー」
「そうだよねー」
 
と、やっている。普段からこの言葉が大嫌いなのに、急にクアラルンプールで聞きたくないんだよ。何が「ワンチャン」なのよ?「ワンチャン↓」ならまだ分かるけれども。「ワン↑チャン↓」なら構わないけれども。
 
思うに、英語の世界で会話を行う際には、普段以上に、文法に気をつかうようになっているからかもしれない。グラマティカルな文脈で、「ワンチャン」てのは意味がわからん。「one chance」は名詞だろうが。副詞的に使うんじゃないよ。
 
クアラルンプール空港のこの時間は、ヒースロー行きも二便くらいある。成田も二つ、その他、関空もあり、なんだか「その手の人たち」が溢れている。
 
さて。座席は、真ん中の、機体のボディが膨らんでいるあたりは「2-4-2」、僕のところ(後方)からは「2-3-2」となるA330-900である。これは行きと同じかな?僕は二人がけの通路側だが、隣は、マレー系のお兄ちゃん、しかし、股を大開けしている。また、時々、貧乏ゆすりをする。…大丈夫か?コレ?さしあたり、あなたの領域を超えて、脚が、こちらの領空を侵犯しておりますが?
 

領空侵犯

 
ぎりぎりまでラウンジで飲み食いをしていたし、ワインも随分飲んでいたので、機内食は割ともう、どうでも良くなっていた。最初の機内食は、軽食で、あれは何だ?なんか、サモサちっくなやつ。写真は撮り忘れた。酒もいいや。とにかく寝よう。
 
二回目の朝食は、「チキンテリヤキ」か「オムレツ」とのこと。オムレツを貰うが、火が通りすぎで、卵がパッサパサである。どうも、マレーシア航空のメシは、いまいちピリッとこないねえ。
 

卵がパッサパサ

 
そんなわけで、久方ぶりに成田に帰ってきました。今回は、和食に飢えているとか、すぐにとろろ蕎麦が喰いたいとか、そういう渇望は薄いな。やはり、セルフケータリングが効いたのかな。
 
ただし、これは、別だw あのコーフンをそのままに、こちらでも再現だ!

 

成田から直行

 

見よ、このしずる感

 

アーセナルグッズ

 

ここで見て、本当にホルボーン店に行ったんだから、感慨深い

 

ホルボーンの「揚げ出し豆腐」にはなめこが入っていて妙だなと思ったが、ここのも入っているのか!(これはこちらでは喰ったことがない)

また来年!

 

 

 

【新】えげれす通信2026_vol.16:デビルマン編 (05/03/2025)

このホテルの部屋には、ホテルの説明の冊子がまるで存在しない。何階に何があるとか、それらを利用するにはどうするとか、一切がわからない。僕はやる気はないけど、無料のフィットネスクラブがあるらしい。しかし、どこにあるのか、どうやって使うのか、何時にやっているのか、何にもわからない。誰もわからない。誰も知らない。知られちゃいけない。

 

デビルマンかよ。
 
さしあたり、朝食をどのようにして取ればよいのか。昨日、チェックインした時には、「明日、ここ(フロント)で尋ねてもらえば、案内いたします。別の建物なので」と言っていた。時間も言ってくれたが、その時は、またあとで「説明冊子」で確認すればよいかなと思って、真面目に聞いていなかった。
 
AIさんに聞いてみたところ、朝7時からだという。口コミを見ても、「朝7時からというのは、少し遅い」というのが出てくる。それはそうだけど、僕は本日もまた、半日以上の暇つぶしが待っている。チェックアウトは12時なので、それまで目いっぱい、時間を潰さねばならぬ。そうなると、朝食時間も、遅い方が良いのだが、この後は、例によって、空港でのラウンジホッピングを予定している。腹いっぱいで喰えないとよろしくないので、朝食は早めの方が良いかなと思っていた。
 
7時に、フロントに行く。すると、この、会社のような、ホテルっぽさは微塵もないような、がらんどうのスペースに、「いかにも仮ですよ」みたいな風情で備わっているフロントは、閉まっている。そして、何たることか、「フロントは8時から開きます」という表示がある。チェックアウトでカードキーを返す箱はあるから、最低限度の用事は、無人でも済ませられるんだろうけど、何かあったらどうするのよ?しかも、朝食の場所がわからないから、8時まで喰えないじゃないの。
 
部屋に戻り、さらにAIさんに、「このホテルの朝食会場はどこ?」と聞いてみる。すると、近所のカフェの名前が出てきた。次のそのカフェの場所をグーグルマップで調べてみる。すると、「営業開始は9:00」とある。もう、なんなの?!
 
口コミをさらに読んでみる。いつも思うことだけど、「枕が固い」だの「防音が悪い」だの、まあそれはそうかもしれんが、そんなに言わんでもええがな、的なコメントが並んでいる。それはいつものことなんだが、それ以外に、「フロントに人がいなくて最低」「朝食会場がどこなのかさっぱりわからん」「フロントは、まったくホテルらしくないし、サービスを期待しない方が良い」などなど、独特なものが並んでいる。「フロントは暑すぎる」というのもある。がらんどうで、吹きっさらしみたいなポジションだからね。ほんと、それはそうだよな。
 
8:15に、再度、フロントに降りてみると、幸運なことに、おばちゃんが座っていた。場所を聞くと、「ここを出て、右にちょっと行ったところの、なんちゃらハイナンコーヒーで」と言う。さっき、AIさんに候補を調べてもらい、その中に「ハイナン」の文字があったのを覚えていたので、無事に辿り着けた。
 
しかし、まぁ、なんということでしょう。もはやこの展開なので、諦めてはいたが、楽しみにしていたバイキングではない訳だ。だって、この「Hometown Hainan Coffee」は、ただのカフェなんだから。あーあ、朝食バイキングは、かなりの楽しみだったんだがなあ。まぁ、ラウンジで似たようなモノが喰えるから、よしとするか。
 
ホテルのカードキーを見せると、マレー系の優しそうなスタッフくんは、「朝食無料の客かどうか」を調べに行った。ほぉ、意外とちゃんとしているねぇ。
 

なかなか感じの良いカフェだった

 
スタッフくんは戻ってくると、説明をしてくれる。しかし、アクセントに癖があり過ぎて、何を言っているのかわからない(お互い様だけどね)。よくよく聞いてみると、どうやら、フードから一種、飲み物から一種を、それぞれ頼めるらしい。
  
メニューを熟読する。なかなか幅広いレンジで展開されている。
 
・ナシレマ(Nasi Lemak):ココナッツミルクとパンダンリーフで炊いた芳醇なご飯に、サンバル(辛味ペースト)、揚げた小魚(イカンビリス)、ピーナッツ、キュウリ、ゆで卵を添えたマレーシアの国民食
・麺(Mee):スープヌードルと焼きそばがある
・焼きメシ
・ライスボウル
・パスタ
・パン類
 

fried koay teow(焼きそば、的な)

 

nasi lemak with rendang fried chicken

 

sambal fried rice

 
などがある。僕は、「Lum Mee Suah」というのを頼んだ。写真付きなのでだいたいイメージできる。海老が入っていて旨そうだ。AIによれば、
 

Lum Mee Suahは、もちもちとした平打ちの「イエローヌードル」の代わりに、細い小麦麺の「Mee Suah(面線/ミースア)」を使用したバリエーションを指します。「Lum Mee(リンメン)」自体は、エビや豚骨で出汁をとった、少しとろみのある茶褐色のスープが特徴の麺料理であり、長寿を祝う「誕生日麺」としても伝統的に食べられています。

 
ということだ。それから、コーヒーをお願いします。
 
スタッフくんは、優し気な表情で、「それですべてですか?」と聞いてくる。「ん?」と言うと、「飲み物は2つ頼めます」という。いやでもしかし、飲み物二つとは、どういうこと??そんなに要らないよ。すると、
 
「今ではなくても、昼でも、夜でも、残りの分を頼めます」
 
と言う。いやいやいや、仮に僕が後にこの店に戻ってきたとしても、僕が「あと一回分の飲み物の権利を有している人物」だと、どうやって確かめるんだ?チェックアウトをしたら、カードキーもないじゃないの。優しくて結構だけど、ちと、脇が甘すぎやしないか。地獄耳でも持っているのか?

 

デビルイヤーですか。
 
コーヒーが最初に来る。いやいやいや、確かに聞かれてはいないけど、これからスープヌードルを食べるのに、その前にコーヒーは飲まないよw なぜかカップにスプーンが突っ込まれてある。
 

不自然なスプーン

 
Lum Mee Suahが来た。「少し」じゃなく、「かなり」とろみがあるスープで、実に旨そうだ。味見をしてみると、とてもやさしい味で、出汁が効いていて、旨い。麺は確かに、素麺くらい細いね。いや、これは、確実に美味い。
 

見るからに旨そうなヤツ

 

とろみがとろむ

 
満足して、少し冷めたコーヒーを頂く。・・・やはり、イマイチだった。この国は、コーヒーはいかんな。しかも、妙に甘い。飲み干すと、カップの底に、何やらシロップ的なものが沈殿していた。これがやたらと甘い。だからスプーンがついていたのか。かき混ぜて飲め、ということだったのか。ああ、濃くて苦いコーヒーが飲みたいねえ。
 
来るときはGrabでタクシーを呼んだ。今日は駅まではバスに乗ってみようかね。少し、違うことをしてみようかね。だって、それが、旅の醍醐味でしょ。幸い、ホテルの目の前にバス停があると、グーグル先生は告げている。チェックアウトを済ませ、その場所に行ってみる。しかし、目印は、全く何もない。そこがバス停であると主張する徴は皆無である。か・い・む、である。
 
念のため、少し周りを見てみる。すると、先生のお告げとは若干違う位置だが、バス停の屋根付き待合と、道路に「Bus Stp」のマーキングがあるところを発見した。なんだ、先生も間違うのか。そう思って、さらに先生の画面を見ていたら、突然バスがやってきた。しかも、歩道寄りではなく、一つ向こうの車線を走っている。完全に「停車するモード」ではない走りだ。僕は慌てて手を挙げる。事前に調べたところ、「手を挙げて乗る意思を示せ」とあったからだ。バスは、無茶苦茶不自然な体勢で、しかし、止まってくれた。
 
やれやれ。乗り込むと、人のよさそうな運転手のおっちゃんが、すごい訛りで何か言っている。どうやら「ここは、今はバス停じゃないんだよ」的な内容っぽい。ということは、さっきの、何もない、しかしながら先生は「そこだ」と告げているあたりが、やはり、正解なのか??・・・オレはもはや、この国で生きていくことは不可能なようだ。
 
MRTのMutiara Damansara駅でバスを降りる。この次は、セントラルマーケットを覗くつもりでいた。しかも、そこまで、MRTではなくバスで行こうかなとも思っていた。そのような、旅では必須の、挑戦的、かつ、好奇心に満ち満ちた選択のことを、この時はまだギリギリ、考えられていた。しかし、乗り換えて、次のバスを捕まえるべきバス停が、今度も見つからない。見つからない。また、見つからない。まただ、見つからない。「何かを見つけよう」とした時に、スムーズに見つけられたことが、果たしてこの国で、あっただろうか(いやない)。反実仮想の構文が、ごく自然に頭に浮かんでくる。

 

彼ら、マレーシア人は、この状況をどう思っているんだろう?彼らは、「探し出せて」いるのか?・・・デビルアローは超音波?

 

なんというか、「能動的に色々経験しながら、前に進もう」という、タビゴコロの原点ともいうべき魂が、完全に抜け落ちてしまった。もう、なんにもしたくないよ。なんにもしたくない。希望とか、関心とか、好奇心とか、そういうものが、一切、抜け落ちてしまった。空虚な心しか、もはや、ない。・・・早く空港に行ってしまおう。
 
MRTでMuzium Negara駅まで行き、そこからKlia Expressに乗り換え、空港へ。時間は13時過ぎだ。本日のフライトは、23:35発のMH88成田行きである。まだ10時間もある。しかし、なんにもすることがない。・・・否、なんにもしたくないw
 
ターミナル2の、この前も来た「Plaza Premium Lounge」に行く。ホットフードのラインナップは、先日と似たようなもんだな。ラクサ、チキンのなんちゃら、野菜炒め、ビーフン、スープ、そしてサモサ。サラダを食べたり、ビールを飲んだりするが、腹がいっぱいになる。コーヒーマシンならば、「フツー」のコーヒーが飲めるだろうと思い、エスプレッソをもらったが、なんだか薄い。もう、エスプレッソで薄かったら、絶望的ではないか。
 

前回とあまり変わらず

 
だらだら過ごして、17:20、そろそろT1に移動しようかね。
 
ターミナル間移動バスは、この前も乗ったから、迷うことはない。当たり前だけど、経験者は強いんだよな。この国は、初学者に、やたらとキツく当たってくるけど。
 
バス停とバス車内は、実に煩いあの国の人たちでごった返している。それはそれとして、車内に、大音量で、音楽が流れている。これも、途上国あるあるだよね。フィジーのバスでも、ドライバーがオノレの好みで選曲した音楽を、スピーカーから大音量で、客に聞かせてくる。こちらの好みとか、全くお構いなしに、無慈悲に、強制的に、聞かせてくる。バスの車内は、ちょっとしたカオスである。「静寂」を最上の価値とみなす日本人にとっては、ツユほども理解できないシチュエーションだ。
 
T1では、例の、「深い時間まで表示される方」の出発ボードで、僕の乗るべきフライトを確かめる。この時、時間は18時。やはり、既に、ゲートは開いていた。本日のフライトは、23:35発のMH88、まだ5時間半前ですよ?しかし、マレーシア航空専用のカウンターっぽい「H」は、マレーシア航空の国際便を、一挙にまとめて受付しているっぽい。行先は色々でも、受付をしてくれているらしい。これは助かるね。 
 
もはや、何の未練もないので、さっさと制限エリアに入ってしまう。買いたいものなんて何もないし。それで、前回は行っていない、もう一つのラウンジ「Sky Suite Airport Lounge」に行ってみることにした。これは、サテライトのC5の隣にある。
 

ゆったりしている

 

広々している

 
いやあ、ここは良いね。断然、今までで一番良いかな。ちなみにここも、ランドサイドで行った「サマサマホテル」の経営らしい。これまで、何か所もラウンジを巡ってきた。経験則として言えるのは、
 
①ヨーロッパ(えげれす)より、アジア(マレーシア)の方が良い
②ランドサイドより、エアサイドの方が良い
③ラウンジ会社のものより、ホテルのラウンジの方が良い
④クレカのラウンジより、航空会社のラウンジの方が良い
 
もちろん、一般化するには、まだ経験値が足りない。特に①はどうなのか?ヒースローがしょぼいだけなのか?
 
しかし、成田はもっとしょぼいです。ほぼ、毎週、寄っているので。あ、でも、ランドサイドの方しか知らないんだけれども。仙台空港も、高知空港も、長崎空港も、しょぼかったな。ドリンクが、サーバーの奴しかないからね。新千歳と鹿児島は、トマトジュースと牛乳があったような。
 
という訳で、この、「Sky Suite Airport Lounge」である。
 
受付のおねえちゃんが、まあ、愛想がよく、慇懃である。言葉も丁寧、ちゃんと語尾に「Sir」を付けてくる。これは、親分以来だぞ(えげれすでは、当たり前に、これを浴びる機会に恵まれている)。サービス業、かくあるべし。どこかの黒縁ゴルゴと日焼け丸山に教えてあげたいね。ついでに、来るときの愛想無しネエチャンにも。ていうか、航空会社の、国際線のパーサーって、ホテルと同等のサービス業じゃないんかい。何を、落ちたピーナッツを客にそのまま渡してくれてんねん。
 
ホットフードの充実ぶり、甘いものの充実ぶり、サラダコーナーには、ドライドトマトなんてものまであるぞ。そして何より、これまでのマレーシアのラウンジにはなかった、「ワイン」がある!これまでのラウンジでは、無料アルコールはビールのみであった。しかし、ここは、ワインもある。
 

ホットフードの充実ぶり

 

サラダの充実ぶり

 

ワインもあるなんて

 
ささくれだった僕のココロは、どうやら、最後の最後で、癒されたようだ。。。
 

美味そうだ

 

しかし、今回は、メロンばっかり喰っているな

 

こじゃれてさえ、いる

 

現在、21:05、あと1時間半で、搭乗となる。今年の海外旅行も終わってしまうなあ(違うかも)。

 

 

 

【新】えげれす通信2026_vol.15:キャラ立ち劇団編 (04/03/2025)

奇跡の再会を果たした「丁寧さは微塵もないが、下町居酒屋の気の良いオヤジ的フレンドリーさを押し出してくるオヤジ」氏(改名済み)は、本日も早速、メシワゴンを操り始めた。今日はどんな芸を見せてくれるのか?
 
狭い機内で、しかも暇な機内で、「メシ」は、皆んなが楽しみにしている催し物である。観客は全員座り、パーサーだけは立っているので、どうしても目立つ。「ナントカとカントカのどちらにしますか?」の時の、「ナントカ」と「カントカ」は一体何なのか?その国独特の料理名のこともあり、把握できないこともあるから、皆、自分の番が来る少し前から、一斉に耳をそばだて始める。
 
ただし、メシワゴンのオペレーションが予測不能の時もある。「そこから、こう」来るのかと思いきや、「え?そこから、そう?」ということは、まま、あるんだな。まして、エンターテナー属性を強めに持つ「丁寧さは微塵もないが、下町居酒屋の気の良いオヤジ的フレンドリーさを押し出してくるオヤジ」氏である。
 
今日、しみじみ観察して思ったが、ゴルゴ松本が黒縁メガネをかけるキャラ、あれにちょい似ているんだな。内Pとか内村さまぁ〜ずとかでよくゴルゴがやっていたヤツ。もう、おもろいに決まっているやん。
 
さて。黒縁ゴルゴ(再改名)のメシワゴンは、僕の4席前くらいのところに来て、止まった。ちなみに本日の僕の席は25C、機内の真ん中の辺りにある。すぐ後ろがトイレ、15席くらい前には、ビジネスクラスとの境界のカーテンが引かれている。つまり、一つのブロックになっており、僕の席は、そのブロックの一番後ろ、ということになる。
 
そこからは、こちらに進んでくるんだろうなあ。しかし、前方部はどうするんだ?また別働遊軍が来るのか?
 
そう思って、ナントカとカントカを聞き漏らすまい、と、強めの観察をしていると…。
 
黒縁ゴルゴはそこから、逆走し始めたw
 
なんだよ、そのトリッキーな動きは?だったら、ビジネスクラスとの境目のカーテンのところまでまず後進して、そこから「前向き」に進んだらエエやんかw
 
ただでさえ、ではあるが、逆走ならばさらに、サモアリナン的に、黒縁ゴルゴの逆走ワゴンは、彼の後方にある座席の肘掛けに、まずまず激しめのぶつかり稽古をしているようだ。
 
しかし、残念ながら、ゴルゴは僕から「遠ざかる」オペレーションとなってしまい、せっかく「かぶりつき」で堪能できたかもしれない彼のパフォーマンスを、楽しむことができなくなってしまった。なんてこった。
 
すると、そこに、ニューキャラが颯爽と現れた。昔、「行列の〜」に出ていた丸山弁護士が、日に焼けて渋くなったような容貌をしている。ただ、この人は、全く笑わないのだ。渋いが、笑わないので、イカつい印象を与える。この「日焼け丸山」氏が、黒縁ゴルゴが当初立ったポジションにやって来て、コチラの方へと前進することになったらしい。
 
「日焼け丸山」氏は、所作が、素晴らしく乱雑である。全ての身体的モーションが、著しく、速く、せわしない。サービスの要諦である、「客に直接関わる過程の動き」は柔らかく、「そうでは無い過程の動き」はキビキビと、というものが感じられない。全てのモーションは速いのだが、それは、「キビキビと速い」、のではなく、「ガサツに速い」、のである。・・・はい、また出ました。お馴染み、「ガサツ」ワールドね。彼は、晩メシトレーを、僕のテーブルの上に「ガンっ」と置いた。
 

晩飯はまずまず美味かった

 
こういう人は、「物理的なところ」以外も、ガサツなことが多い。
 
僕は彼に、「紅茶をください」と所望した。すると彼は、「今、シートベルトサインが点灯していて、温かいお飲み物はお出しできません。消えたら持ってきますね」と答える。
 
まぁ、当然の如く、持ってこないわな。覚えている筈がないわな。

 

・・・持ってこないw
 
時間が経ち、今度は朝メシである。またしても、黒縁ゴルゴは、遠くの担当になってしまった。今回は、彼のパフォーマンスを、心ゆくまで堪能することは叶わなかったなあ。残念。
 
だが、そこには、「日焼け丸山」氏がいる。マレーシア航空というこの「劇団」には、キャラ立ちが半端ない役者が多すぎるやろ。
 
朝メシの「ナントカ」は「チキンのなんちゃら、ライス付き」、「カントカ」は「ソーセージがなんちゃら」らしい。僕は彼にソーセージの方を頼んだ。すると、「あの、そっちは無くなりました。チキンでよろしいか?」、笑わず、詰め寄ってくる。オマエは羊かよ。まぁ、しゃあないなあ。
 

今回はそこここでメロンばっかり喰っている気がする

 
片付けの段になった。彼は、僕のトレーを、安定の乱雑さを以て下げた後、僕の一つ前の席のトレーを、さらなるクイックモーションで片付けた。しかし、その刹那、朝メシについていたイチゴジャムの、食べ終わったベットベトの容器が飛んできて僕の顔に当たり、そのまま僕の「白い」Tシャツの上に落ちた!あまりの乱暴さに、容器が飛び跳ねたのである。
 
「あれ?何かが落ちたな」
 
ヤツはひとりごちる。気が付いては、いたようだ。しかし、さして心配する風でもなく、「何か」が何なのかを気にする風でもなく、そしてそれが何処へ飛んで行ったのかを確認する風でもなく、何事もなかったかのように、そのまま進んでいきそうになった。僕は慌てて「これ、落ちましたよ」と言って、ベットベトの容器を、なんなら、ジャムの残りが僕の指についたその状態で、ヤツに渡した。しかしヤツは、謝るでもなく、「何かあったっけ?」みたいな無表情で、受け流し、次の片付けに移っていった。
 
いやいやいやいや。オマエはムーディー勝山かよ。軽く受け流すんじゃないよ。さすがに、パーサーとして、どうなのよ?ジャルアナならきっと、謝った上で、濡れおしぼりを即座に取りに行く、くらいのことはするだろうな。「ジャムが指に?舐めたらエエやないか( ・∇・)」みたいなガサツな態度は、この劇団、流石としか言いようがない。
 
18:20、ほぼ定刻に、クアラルンプール国際空港に到着する。トランクをleft luggage に預け、klia express に乗ってクアラルンプールセントラル駅を目指す。
 

欧州では、ヤフーニュースが閲覧不可なので、実は、このところのニュースをあまり知らない。マレーシアで漸く読むことができたのだが、アメリカ+イスラエルのイラン攻撃と、イランの、中東諸国への反撃は、なかなかの規模になっていたんだね。カタールもかなり大変なことになっているとか。飛行機が欠航になり、脱出することもできず、地下のシェルターで避難生活を余儀なくされているという、週刊文春の記者の手記記事を読んで驚いた。これ、カタール航空の可能性もあったわけで。やはり中東は、様々なリスクが多いよな。

 
さて。空港内での、klia express の乗り場がわからない。空港と市内とを結ぶこの特急には、既に、何度も乗っているのに、だ。「一つ下の階へ行け」という案内がある。そうか、いっこ下か、ハイハイ。エスカレーターで下に降りる。ん?表示が消えたぞ?どこだ?さっき、上で見間違えたか?戻って確認すると、やはり「いっこ下ですぜ」とある。今度はエレベーターでいっこ下の階へ行く。エレベーターを降りたところには、「あっちに行ってね」という案内が出ている。なんでだ?ここで合っているんじゃないか。さっきのエスカレーターのところにはなんで案内がないんだ?そう思って、エスカレーターのところに戻ってみると、案内板は、「エレベーターを降りた人」には見えるが、「エスカレーターを降りた人」には、絶妙な死角になって見えない位置にあったのだ。嗚呼、心ゆくまで、「雑」を味わわせてくれる国だ。
 
クアラルンプールセントラル駅からMRTに乗り換える。言うまでもなく、この乗り換え経路の案内も、Googleマップのナビ無しでは、全く不可能だったと思われる。駅の切符売り場、改札付近、どこを見ても路線図が無い。あのさー、「今から電車に乗る人」ってさ、路線図で確認したいと思うものじゃない?それが「無い」って、アリエナイぞ、ゴルァ。
 
本日のホテルは、MRTの最寄り駅から1.8kmくらいある。歩いても良いけど、心身共に疲弊している。この国には決して住みたいと思わないし、散歩したいとも思わない。一切、魅力を感じない。早くホテルに入ってゆっくりしたい。
 
僕は、その存在を知ってはいたが、一昨年も今回も、未だ試していない「Grab」をやってみることにした。これは、マレーシアが生んだらしい、タクシー配車アプリである。
 
インストールして弄ってみると、案外わかりやすいね。ただし、これが使えるのは、野良WiFi生活ではなく、海外パケット無制限生活だからだよね。
 
「行き先」はホテルだからまぁ良いとして、「待つ場所」はどうするんだ?するとアプリが、近場の候補地を自動でリストアップしてくれるらしい。「なんちゃら立体駐車場前」ってのがあり、それにしようかと思ったが、良く考えると、対象物がデカ過ぎて、「なんちゃら立体駐車場」の「どのポイントの前」なのかが曖昧だ。トラップになりそう。
 
「なんちゃらビルのロビーの前」という候補が出る。「ロビー」とあるから、これは大丈夫かな。
 
しかし、その「なんちゃらビル」の中で、「ロビー」とやらは、一体どこにあるのか?ビル内には来たけど、またしても、案内がなくてわからない。
 
結局、そのビルの裏手にある地点を登録した。ほどなくタクシーが現れ、ホテルまで連れて行ってくれた。
 
目の前にビルがある。Googleマップは、僕のホテルが「この辺り」だと言っている。しかし、そこには別の名前のホテルがある。コレじゃないのか?
 
隣に別の入り口がある。Google先生は「まさにコレ」と言っている。しかし、入り口がホテルっぽくないのと、一切、何の表示もない。
 
なんだか暗いし、事務所みたいでもあるし、どうするか?僕は、入ったり出たりを繰り返した。イライラは最高潮、この国には、憎しみの感情さえ湧いてきた。
 
やれやれ。
 
いったん落ち着こう。そう思って夜空を見上げた。すると、アリエナイほどの上部に、デカデカと、僕が目指すホテルの名前が書いてあった。
 
・・・んな高いところ、通常の目線で、見える訳ないやろ、ドアホ。

 

【新】えげれす通信2026_vol.14:ロンドン暇つぶし編 (03/03/2025)

出発の日、本日のフライトは、ヒースローT4から21:25発、MH01である。半日以上、暇つぶしが必須だ。
 
ペットボトル4本分の、日本から持参したウォッカとウイスキーは、まだ残っている。おかげで、こちらで買うと凄い値段の酒を買わずに済んだ。買ったのは、基本的にワインのみ。これは、だいぶ酒代が浮いたぞ。
 
しかし、荷物重量はかなりキチキチだ。捨てられるモノは捨てねばならぬ。なので、ペットボトル酒を頑張って減らさねばならぬw 昨夜は若干飲み過ぎて、今朝は若干の二日酔い。
 
最終荷造りをして、測ってみたら、24.5kg、まぁ優秀でしょう。世話になった宿を10時に出る。
 
最寄りのTurnham Green 駅にはエレベーターがなく、階段でこの荷物を運ぶのはしんどい。Turnham Green 駅方向とは逆向きのバスE3に乗ると、Acton Town駅に着く。ここにはエレベーターがある。途中、凄い渋滞があったが、駅に着き、ピカデリーラインで、ヒースローT4に行く。
 
半日あるので、荷物を預ける。24時間で£15、まぁそんなもんでしょう。黒人の受付のにいちゃんは、クアラルンプールとは全く異なる、丁寧で紳士的な対応をしてくれる。アクセントも正統なものだった。
 
T3のラウンジに行く。ヒースローのラウンジは初めてだ。このPlaza Premium Lounge はランドサイドにあるが、これから乗る搭乗券を見せる必要がある。
 
マレーシア航空のチェックインは、出発の48時間前から、アプリでできるので済ませてある。日本→クアラルンプール→ロンドンの時は、チェックインをすると、その場で座席の指定ができて、搭乗券も発行された。しかし今回は、座席指定もできず、搭乗券(e-ticket)も発行されない。なんで?
 
この状態で、果たしてラウンジには入れるのか?南アジア系と思われる受付のおねえちゃんに説明したら、無事に入れた。良かった。とりあえずここでメシを食おう。酒はまだ良いかな…。
 
しかし、見渡すと、なんと貧弱なラウンジだこと。食い物は、マフィンとかクロワッサンとかそのあたりと、果物がチョロチョロ、ポテチにヨーグルト、飲み物はアルコールは無し、100%じゃないんではなかろうかというオレンジジュースに、コーラやスプライト、あとはコーヒーのマシーンがあるだけだ。ホットフードがない。やっぱり、東南アジアのラウンジは破格の充実ぶり、ってことなんだな。ヒースローのこの感じが「フツー」なんだな。
 

オサレではあるが、迫力不足

 

満腹には程遠い

 
昔、住んでいた頃、KLMばかり使って、KLMのシルバーステイタスを持っていたので、アムステルダムのスキポール空港の航空会社ラウンジが利用できた。あの時は、ビールからシャンパンまで、ありとあらゆるアルコールがあったし、食べ物もそこそこあったんじゃなかったかな。まぁ、クアラルンプールのように、何種類ものホットフードがズラッと並ぶ、ということはなかったけれども。
 
ラウンジも比べると面白いね。尤も、クレカのラウンジと航空会社のラウンジとを同列で考えることはできないと思うが。
 
貧困ながら昼メシを終わらせたので、次は、バスにでも乗りに行こうかね。適当なバスに乗り、適当に降りる。よくやるヤツである。

 

T3とT2は繋がっているものの、そこを歩くとまあまあ遠いのだ。しかし「ヒースローセントラルバスステーション」はT2側にある。まずはそちらに移動する。
 

ヒースローセントラルバスステーション

 
どこ行きのバスでも良いが、ダブルデッカーで二階最前列に座れなきゃ意味がない。この、二階最前列って、争奪戦になりそうなものだけど、案外そうでもないのね。ロンドン中心部の、観光客がわんさかいる辺りだとみんな狙うけど、「そこいら」のローカルバスでは、まずまず混んでいるのに二階最前列は空いている、みたいなことはよくある。
 
とりあえずKingston行きというのに乗る。僕の前に並んでいて、バスに一番乗りをしたおばちゃんは、こういう人は、あっさり一階に乗るものだと踏んだのに、二階最前列に陣取りやがったw アテが外れたが、もう片方の最前列に座る。
 
一般化するべきではないけど、女の人って、「移動中に外を眺めること」に、極めて無関心だよね。電車に乗っても、やたらとすぐにブラインドを下ろすでしょう?「日に焼けないこと」と「外を眺めること」のトレードオフにおいて、全くアッサリと、後者を捨てるよね(笑)。知らんけど。
 
グーグルマップを使えるので、まぁ便利なこと。野良WiFiで頑張って生きていた去年までだと、どういうルートでどちらを向いて移動しているのか、を、連続的に把握するのは難しかった。WiFiが拾えるかどうか、の問題もさることながら、パケ代も気になる。今年は、無制限なので、劇的に便利である。

 

ただし、便利は便利だけど、えげれすの場合は、地下鉄だろうが、バスだろうが、BRだろうが、「なくても、なんとかなる」というところが感心するのだ。マニュアルの表示「だけ」を頼りにしても、きちんと目的地にたどり着けるのだから。何度も言っているけど、客観的状況を俯瞰的に見て、「この場所ではどんな説明が必要なのか」を考えて、案内をしている。不特定多数に対して、満遍なく、遺漏なく、必要な情報を的確に伝えることができている。Google先生は偉大だけど、そんなものがなかった頃から、面々と続いている伝統なんだろうなあ。まったく素晴らしい。
 
ところで「無制限」というこの特典は、「海外15日間まで」らしい。3/1にdocomoからこういう通達が来た。
 

お客様がご利用の***-****-****は、海外で最初にデータ通信を利用した日(日本時間)を起算日として、10日が経過しました。
本日より5日経過後の日本時間0時以降に、海外では通信速度が送受信時最大128kbpsとなります。
また、本速度制限は、月間データ容量を追加購入しても、日本に帰国しデータ通信を行うまで解除されませんのでご注意ください。

 
なんとなく、この縛りは知っていたんだな。僕の今回の海外滞在は17日、しかしほとんどが機内の日もある。これを初日から使ってしまうと、時差の関係で、最後が切れてしまうかもしれない。あのマレーシア、人を迷わせて途方に暮れさせる多彩な技を持つマレーシアにおいて、最終日にその技を食らってしまった時、ネットが使えないのは致命的だ。えげれすでなら「何とでもなる」が、マレーシアでは「何ともならない」。そう考えて、行きの二日は、野良WiFi生活で食い繋いだのだった。おかげで最後までもちそう。
 
Kingstonというのが一体何処なのか。皆目見当がつかないので調べてみる。
 
ヒースロー自体が「zone6」(「ゾーン制」の一番端っこ)なので、さらに外へと出てしまうと、あまりよろしくない。ゾーン外というのは、なんというか、不安が増してくるエリアなんだよね。中央線の、高尾の次とか、紀勢線の、和歌山より先とか。なんだか、車両の感じも変わる訳だ。ロンドンバスも、ゾーン内は基本的に「赤」の塗装なんだが、外れていくと、「赤」以外の塗りが出現する。そうすると、視覚的にも、「ちと、遠くに来すぎちまったか」、という不安に駆られる。現在のこのバスのコースは、どうやら、ヒースローから「南」に向いているみたい。この辺りの、地下鉄路線の南限はピカデリーラインである。ピカデリーライン上に位置するヒースローからさらに南に進むということは、地下鉄の駅が皆無になる、ということを意味する。ディストリクトラインがちょこっとリッチモンドまで伸びているものの、若干覚束ない。近くの駅は全て、BR(JRみたいなもの)の駅になってきた。中央線で言えば、上野原、みたいなことになってきた。
 
Kingstonまで行かずに何処かで適当に降りようかと思っていたら、巨大なセインズベリーの前で止まった。絶好のタイミングなので、慌てて降りて、セインズベリーを逍遥する。今回、セインズベリーだけはまだきちんと見ていなかったのだ。
 
郊外の巨大店なので、homewear を扱っている。すると、なんということでしょう!「habitat 」の商品が並んでいるではないか!
 

おお!

 

まぎれもなく、

 

ハビタのテイストだ

 
ハビタは、住んでいた当時、結構お世話になった店である。家具とか生活雑貨とか、シンプルでオサレなものを扱っていた。ニトリみたいなもんかな。ニトリよりはもうちょいオサレかな。住んでいたところの近所に店舗があったから、よくブラブラしたものよ。
 
そういや、今はどうなっているんだ?気になったから、発つ前に日本で調べてみたら、店舗販売はなくなったんだって。しかし、セインズベリーと提携してなんちゃら、とあったのだ。こういうことなのね。
 
もはや追加的に何かを買うことは不可能ながら、来年のチェック項目がまたできたな。ネクストとハビタの生活雑貨を攻める。
 
ラグビーの聖地トウィッケナム、からの、ハマースミス、からの、ハウンスローウエストとバスで移動し、最後はピカデリーラインでヒースローに戻る。良い時間潰しになったね。カウンターを確認すると、17:25にカウンターがオープン、とある。今はまさに17:20、トランクをピックアップして列に並ぶ。
 
カウンターで、クアラルンプール→成田のチェックインができない旨を説明すると、スルーラゲージが今回もできないし、さらに今回はクアラルンプール→成田のフライトのチェックインも、クアラルンプールでやれとのこと。しゃあないなあ。ちなみにトランクの重量は、きっちり24.0kgだった。
 
ランドサイドに用はないので、さっさと制限エリアに入る。セキュリティチェックでは、ポケットの中は空か?ティッシュも無い?と聞かれて、ティッシュはあるよと言うと、ティッシュも出せと言う。出すと、ティッシュの中まで調べる。いやあ、徹底していますな。
 
Plaza Premium Lounge という、先程の貧弱なラウンジと同じ名前のところに行く。すると、満席だと!並ばなければ入れない、だと。ラーメン二郎かよ!。そして、QRコードを読み取って、そこのページで登録しろという。やってみたら、「あなたは今、キューに並んでいます!順番が来たらここに表示されるので、10分以内に戻ってきてね」と書いてある。二郎もこの方式にしたら良いのにね。
 

QRコートを読み取って外で待て、とな

 
30分は待ったかな。異様に早くマレーシア航空カウンターが開いたから、だいぶ時間があるけど、通常の感じなら、ゆっくりすることは出来なかったね。天下のヒースローなんだから、もう少しラウンジの数を増やすとかしたら良いのにね。
 
入ってみると、これがなかなかの充実ぶりだ。サラダ、スープ二種、ライスとそれにかけるカレー的なヤツが二種、焼きそば、パスタ、焼きメシ、そして酒は、シャンパンこそないものの、スピリッツからワインまで、ズラッと揃っている。さっきのところとは大違いだ。やはりアライバルラウンジとは違うんだね。差をつけているんだね。
 

全景

 

ホットフード

 

サラダ

 

甘いヤツ

 

酒も充実

 

第一弾

 

第二弾

 
結構美味いし、腹も減っているしで、存分に呑み食いする。米やヌードル、汁系も、同じ平皿に一盛りにしたのを見ると、かつての飯付き寮暮らし時代のメシを思い出してにやけてしまう。あそこのメシは、全ての料理が無慈悲に混ざり合い、混然一体の世界を醸し出していた。「白メシを白メシとして食わせない」という、給仕係たちの無自覚な攻撃を如何に回避するか、が、毎日の最重要課題だったw
 
それにしても混雑が半端ないね。新たにラウンジに入ってきた人は、皆、空席を探して彷徨っている。僕はたまたま空席を見つけられたが、これはカオスだぞ。客があまりに大勢いるからか、それぞれの食い物の減りが早いし、空になっているものもある。
 
サラダを取ったものの、ドレッシングが無い。係のおばちゃんに言うと、「少しだけ待ってね。今持ってきます」と言う。三分後、ドレッシングは補給された。しかし、それを掬うスプーンが添えられていない。仕方ないので、食器棚からスプーンを取ろうと思ったら、食器棚のスプーンも空だw 「雑」「ガサツ」というのでは無いけど、これから搭乗し、目指すのが、あのマレーシアである、ということを存分に思い出させてくれる。
 
さて、搭乗のお時間です。A350-900の機内に入ったところで、僕は、すんでのところで、声を漏らすところだった。
 
出迎えてくれたのは、「まずまずの丁寧さが滲み出ているオヤジのパーサー」氏、改め、「丁寧さは微塵もないが、下町居酒屋の気の良いオヤジ的フレンドリーさを押し出してくるオヤジ」氏だ!炭酸飲料であるコーラの蓋を閉めないオヤジだ!落ちたピーナッツ袋をシレっと拾って客に渡すオヤジだ!これは・・・運命的な再会…なのか⁈むぅ。

 

 

【新】えげれす通信2026_vol.13:ガサツっぽい人でも、そうでもない編 (02/03/2025)

本日は、ロンドン最終日、明日は半日あるけど、重たい荷物もあるし、あまり自由には歩けない。
 
えげれすのブランドに「NEXT」というのがある。いっときは日本にも進出していたんだけど、今はどうなのかなあ。昔は梅田にもあったし、原宿でも見たような気がする。
 
AIさんに訊いたところ、
 

日本における販売 日本では、日本語公式ウェブサイト上でのオンライン販売が行われている。 また、店舗販売は、1996年に業務提携を行ったゼビオホールディングスが運営を行ってきたが、2023年5月をもって、全店舗が閉鎖された。

 
オーマイガー。
 
そのNEXTだが、基本的に衣料品ブランドである。しかし、ダーラムで買い物について行った時、郊外ショッピングモールの中にあったNEXTに入ったところ、衣料品に加えて、housewear も扱っていた。これは良いじゃないか。NEXTの食器、かなり興味があるぞ。しかし、ロンドンでの最大店舗を調べたら、だいぶ遠いところにあるらしい。
 
当初はそこまで行くつもりだった。しかし、あまりに遠過ぎる。昨日、オックスフォードStを歩いた時、オックスフォードサーカス駅とトッテナムコートロード駅の間に、なかなかデカそうなNEXT店舗を見つけた(NEXTは、まあまあ、どこにでもある)。「home」という表記も確かめてある。そっちで良いか。
 
その前に、仮の荷造りをする。あとどれくらいのスペースと重量が可能なのか。
 
そう言えば、今回の航空券購入では、初めてexpediaを使った。成田→クアラルンプール→ヒースロー→クアラルンプール→成田、という四つのフライトについて、全て「預け荷物」の重量が「25kg」であることを確認して購入した。マレーシア航空は、気をつけないと「20kg」の航空券もあるのだ。
 
支払いを済ませ、e-ticketをみると、何と、帰りの「ヒースロー→クアラルンプール」「クアラルンプール→成田」の預け荷物重量が「20kg」となっているではないか。何だよ、それ。オレのチェックミスなのか?オレが悪いのか?
 
expedia に確認したところ、これはアチラのミスだそうだ。僕がマレーシア航空で、超過荷物分をオプションで付ければ、その分をexpedia さんが返金してくれる、とのこと。
 
そんなことがあり、無事に「25kg」であるが、果たして現在、どんなもんだ?
 
本格的に詰め直してみると、現時点で、16kg、そこに洗濯物が加わる。余裕をもって、それを1kgとしたら、あと8kgあるな。これはだいぶ安心だな。
 
しかしこの「余裕」は、今年初めて実行してみる「必殺技」のおかげでもある。それは、「要らないものは郵送する」だった。
 
「printed matter」、印刷物、ですな。これはさらに料金が安くなる。重量が嵩んで、郵送した方が良いもの、もはや要らないもの、それは、印刷物、つまり、「本」である。これを送ろう。
 
僕はまず、郵便局に向かった。
 
文庫本四冊+愛用のえげれす道路マップを封筒に入れて窓口へ行く。超ローカルな郵便局なので、というか「ローカル」が理由ではないけれども、移民系のおっちゃんが窓口に座っている。ガサツな感じがする。当然、アクセントに癖がありすぎで、聞き取れない(お互い様だけどね)。
 
僕としては、これらはさほど大事なモノではないのだ。文庫本はまた買える。愛用ドライブマップだけは、長年使って愛着はあるよ。だけど、まぁ、無くなったとしても、そんなに惜しいものでもない。今のオレにとって大事なのは、トランク重量を減らすこと、この一点である。
 
ガサツそうに見えたおっちゃんだが、なかなかキチンとしている。
 
「日本だと…◯△ポンドかな」
「(肝心なところが聞き取れなかったが、どうも高そうだ)一番安いのが良いんですが。それは船便?」
「いや、航空便」
「船便にしてください」
 
おっちゃんは、さらに細かいところを見せてくる。
 
「中は何かな?」
「印刷物です。全部、本ね」
 
そう言って中を見せると、
 
「本、ね。なんか違うものが入ってない?」
「いや、本が五冊ですよ」
 
そのガサツな雰囲気で、しかし、仕事は「ちゃんとする」んだな。さすがえげれすだな。おっちゃんはさらに、職務に忠実なところを見せてくる。
 
「内容物の価値は?」
 
もう、ええやん。こちとら、最重要課題は「トランクの重量減らし」で、今送る分は、最悪、無くなっても良いのよ。
 
「どのくらい?50ポンド(¥10000強)くらい?」
「うーむ、そうねぇ、そのくらいかな…いや待って、20ポンドくらいだな」
 
文庫本は全部、ブックオフだし。しかし、キッチリしてはるわ。
 
「船便だと、5-6ヶ月かかるけど?」
「オッケー、大丈夫です」
「ホンマに大丈夫?」
 
ガサツな雰囲気を醸し出しているのに、なかなか親身になってくれるやん。
 
「記録は無しで良い?」
「ああ、はい、無しで良いです」
 
これらは全て、ロイヤルメールの制度、というか、規則なのだ。知ってはいるけれども、この荷物に関しては、仮に紛失したとしても、まぁ良いのよ。こちらはそのように思っているが、「ガサツに見えるが実は律儀なおっちゃん」氏は、確認の手を緩めない。
 
「差出人の箇所が空欄だけど?」
「ああ、僕本人だし、今は旅行中で、ホテル住まいだから」
「では、そこの名前とアドレスを」
 
いやいや、分かっているけど、どっちみち、事故でホテルに返送されても、ホテルが困るだけでしょ。だから、もうエエって。スルーしても良いことってのはあるんだぜ。
 
「ガサツに見えるが実は律儀なおっちゃん」氏は、なんと、自分のスマホで、僕が告げたアドレスを元に調べてくれた。これほどまでに、仕事に真摯なのか、「ガサツに見えるが実は律儀なおっちゃん」氏よ?
 
予想外に手厚い対応を受け、「印刷物」「船便」にしては高い£24.35(¥5500くらい)を支払い、おっちゃんに礼を言って撤収する。嗚呼、この体験は、マレーシアで、別な意味で、またフラッシュバックするんだろうな。
 
回り道をしたけど、NEXTである。入ってみると、いやあ、homewear は、扱いが小さいな。やはり、大規模店舗に行くべきだな。これは来年の課題だな。
 

後で調べたら、もう少し西にある、別の店舗の方がデカいらしい

 
昨日見つけた、リージェントStにある、「タータンを専門的に扱う店」みたいな触れ込みの店に行ってみる。しかし、「タータン」の色合いは実に薄い。早々に撤収する。
 
次は、定番のひとつ、ハロッズに行く。定番のfood hall には目もくれず、地下のグッズ売り場で、土産を購入する。「緑」がハロッズの伝統的カラーだけど、最近は、ピンクやブルー、伝統的な緑とは違うグリーンなど、幅広く展開しているんだねえ。
 

定番ハロッズ

 

オサレなディスプレイ

 
そして、これまた定番の、スローンSqに移動、いつもの「コンランショップ」と「ピータージョーンズ」へ行く。
 
コンランは、なんだか、品数が少ないね。去年も感じたことだけど。二階は家具、一階に皿などがある。地下はアウトレット。二階はまぁ良いとして、地下には商品はまばらで、一階がメインなのかなと思うが、品数が少な過ぎるよ。ひとつだけ、欲しいものがあったけど、スルーすることにする。
 

定番「コンランショップ」

 

売り物はほぼこれだけ

 

これは買おうかなと思った

 
隣のピータージョーンズへ。ここは相変わらず良いねえ。皿を数枚買う。
 

定番「ピータージョーンズ」

 

店内

 

帰りのチューブに、小学生の課外学習的な集団が乗り込んでくる。「蛍光反射板付きジャケット」は、工事のおっちゃんとかの必須アイテムだけど、小学生も着用必須なんだね。

 

小さいサイズもあるんだな

 

桜の季節

 
さてさて。本日購入分の、体積と重量はどうなのか?トランクに入るのか?重さはどうなのか?帰って、詰めてみたら、問題なく入った。測ってみたら、24kgだった。ここから多少の変動はあり得るものの、微調整可能なレンジではある。
 
さて、最後の晩餐は、残り物の処理だ。とにかく買いすぎ、全てが余っている。仕方ないけどねえ。そんなわけで、M&Sのアンティパスト系六種(なんと枝豆がある!)、それと、シェパーズパイね。酒は、残り一本のワインと、日本から持参の、例の「ペットボトル入りウォッカ」と「ペットボトル入りウイスキー」の残りだ。果たして、減らせるか?
 

最後の晩餐はさすがに貧弱だ

 
明日は10時にチェックアウト、そこから半日、時間つぶしの鬼日程が待っている。
 

 

 

 

 

 

【新】えげれす通信2026_vol.12:松竹梅でさえもアツい編 (01/03/2025)

昨夜遅く宿に入り、飲み喰いしたら、そのまま寝てしまった。長距離移動でやはり疲れたのかな。目覚ましをかけずに寝たら、今朝は、周りの物音で何度か目は覚めたものの、結局10時過ぎまで寝てしまった。
 
この宿は、キッチンとバスルームが共有である。バスルームは二つあるけど、朝の六時過ぎから八時過ぎまでは、宿泊客がバッティングしつつ、とても混雑する。僕は、連泊だし、特に急いでもいないので、混雑が収まってから、ゆっくりシャワーを浴びる。
 
本日の予定だが、先ずは、配り系土産をM&Sで買うことから始めようか。本当は、Waitrose とセインズベリーも回りたかったけど、いまいち体調が良くないのと、次の予定までの時間もギリギリになりそうなので、M&Sのみで済ませることにした。
 
オックスフォードStのM&Sに行く。ここはデカい店舗で品揃えが破格なんである。ちょっと買い過ぎて、若干の反省をする。
 

ここはデカい

 

これは土産に良いわ

 
本日は日曜日、ピカデリー〜リージェントSt〜オックスフォードStの人混みは半端ない。歩くのに一苦労するほどの雑踏が、あちらにも、こちらにも。こりゃ大変だ。
 

イラン関連のデモやら、観光客やらで、人大杉

 
「次の予定」とは、リージェントStのユニクロ前に15時に行くことである。
 
僕と大学院の同期のひとりが、全くの偶然ながら、この日、同じくロンドンに滞在しているので、それではチト呑みますか、ということになっていた。待ち合わせが、「ユニクロ15時」である。
 
僕はさっきまで、そのユニクロ付近にいたわけだ。しかし、買い過ぎた土産が重い。いったん部屋に戻り、これを置いてから出かけたい。日曜日で、あちらこちらに、お馴染みの「disruption 」が発生しており、ただでさえ本数が間引きされて少なくなっているバスが、さっぱり来ない。通常よりも時間がかかってしまい、荷物を置いてからユニクロに戻ってきたのは、約束の時刻を40分くらい過ぎたあたりだった。
 

お馴染みのこの、エスカーター脇の広告、紙じゃなくなったのか(驚)

 

広告は電光になっても、変わらんものがあるw←「Check front of train(ウチらは行先知らんから、電車の表示で確認してや)」と、駅の中の人が言うw

 
久闊を除して、奇妙な幸運を讃え合い、少し散歩をする。「日系ショップ」が並ぶBrewer Stを歩き、懐かしい気持ちになる。中華街で、住んでいた当時、良く買い物に来た中華系スーパーを冷やかし、Shaftesbury Avを進み、ホルボーンへ。かつて何度も何度も歩いたコースだ。
 
観光客でごった返しているエリアを抜け、ホルボーンまで来れば、人の数は減る。適当にパブに入る。
 
えげれすのパブは、ミテクレはどれもこれも伝統的な佇まいなのだが、昨今は、騙されることも多い。日本の居酒屋で、「いかにもな大衆酒場」然としているから入ってみると、実は、「わざとそれっぽく作ってはいるが、オープンしてまだ一年」とかの場合があるよね。えげれすのパブも同様、入ってみると、「クラフトビール」をメインにしていたり、システムが違っていたりする。
 
入ったのは、そんなところだった。やたらと香りが良い、不自然に香りがある、どうやらクラフトビールの類らしい、オサレなラインナップが主力である。昔ながらの、生ぬるく、炭酸が少なく、切れ味なんて見つけようがあるはずのない、毅然としたところが1ミリもない、伝統的、正統的なエールが無い。しかも、注文したものを席まで持ってきてくれて、席で会計をするシステムだった。なんか違うよなぁ。
 
店を変えますか。
 
僕は、ひとつ、行きたいところがあった。
 
東京の、まあまあ家の近所に、某居酒屋がある。ここは、
 

・昼呑み可能、昼から「ピンオヤジ」たちがガンガン呑んでいる
・外は、真昼間の、ごくごく日常的な世界なのに、店内に一歩足を踏み入れれば、そこは、全員「昼飲みピンオヤジ」のワンダーランド
・専従料理人が複数人いて、だから、食い物がとにかく旨い
・おそらく、料理人のひとりは中華担当なので、中華メニューも充実
・プレーン酎ハイの「ギガ(1リットル入る、重すぎて持つこと自体が筋トレになりそうなジョッキでやってくる)」が、なんと、¥250(¥300から50円値下げしました!)
・大手チェーン店程では無いが、何店舗かはある
・その「何店舗」には、都内数カ所に加えて、ロンドン数カ所もある!
・ガナーズサポなのかどうなのか、店内にはアーセナルグッズが並んでいる
・トイレには、「ロンドンに行く予定のお客さんは、声をかけてください。アーセナルの観戦チケットをプレゼントします」という貼紙がある

 
という、総合的にはやはり、謎の店なのだ。しかし僕は、何度も通っている。麻婆豆腐が絶品なんである。
 
そして、今、オレは、ロンドンにいるじゃないか!今回は自炊で散々、和食を喰っているから、日本に飢える感じはあまりないけど、「ネタ」としては、是非とも攻めてみたいではないか。まあ、東京で、「ロンドンに行きます!」の意思表示はしなかったけれども(ちょっと、言ってみたかった感じはあるね。なんと言われるのか)。
 
というわけで、突撃することにした。
 

ホルボーンとチャンチリーレーンの間くらい

 
スタッフが皆、「いらっしゃいませ」と迎えてくれる。すわ、日本人か?と思ったけど、良く観察してみると、日本人ではないようだ。
 

店内も居酒屋っぽい(奥の貼紙は、東京店舗の紹介)

 

「ネタケース」がモノホンっぽさをさらに上乗せさせてくる

 
メニューを見て、コーフンする。
 
なんといっても「酎ハイ」でしょう!£3.50と、東京の店程の鬼価格ではないけど、ラーメン一杯¥4000はするロンドンの飲食店にしては、やはり安いね。
 

まさかロンドンで酎ハイを飲めるとは

 
他の一品料理も、¥600から¥2000くらいのものがかなりあるし、それよりも何よりも、旨そうなラインナップではないか!東京の、チョイ高めの居酒屋だと、こんな価格帯だよね。いやはや、これはコーフンせずにはいられない。
 

「わかめ酢」は、東京の店でも、僕の定番である

 

「ほうれん草胡麻和え」は、通常なら必ずいくところだが、島での自炊で散々喰ったので、あまり(*´Д`)ハアハアしなくなってしまったw

 
調子に乗ってアレやコレや注文したら、頼み過ぎたw
 

お?麻婆豆腐があるではないか

 
麻婆豆腐、旨いではないか。酎ハイ、同じ味ではないか。じゃあ、日本酒もいっちゃおう♪
 

酎ハイ♪

 

揚げだし

 

コロッケ

 

からあげ

ひじき

 

麻婆豆腐

 

地酒は流石に高すぎるので、「熱燗」という名前の日本酒を頼む。しかし、高いけれども、良くこれだけの地酒を揃えたもんだよね。おそらくは松竹梅であろうかと思われる「熱燗L」は£11.50、¥2500くらいか。日本じゃ、「熱燗という名の日本酒」なぞ、絶対に頼まないけどね。ここはロンドンですからね。仕方ないよね。
 

「熱燗」という名の日本酒

 

地酒もあるでよ

 

正しい、正しすぎるよ

 
刺し盛りA(£28.80、¥6000くらい?)もいってみる。鮮度はどうかな、喰えるレベルかなと、少し心配したが、冷凍の割には旨い。マグロ、サーモン、ハマチ、タイ、サバ、これなら満足ですな。
 

成立している

 
さらに調子に乗ってきて、スタッフに「お銚子もう一本、同じものを!」と、何回やったかな(笑)。あ、もちろん、英語で、ですが。しかし、この食い物の数々に、日本酒徳利、スタッフの何人かはアジア顔、とくれば、東京にいるのかと錯覚しそうになる。東京の店のホール係は、ほぼ全員、日本人以外のアジア系なのだ。環境、全く同じやないか( ・∇・)。
 

これはいったい、何処なんだ??

 
閉店時間まで大いに楽しむ。店を出ると、料理人のおっちゃんが、すぐ後に出てきた。メニューにあったスタッフ紹介ページによると、このおっちゃんは日本人らしい。
 
「いや、めっちゃ美味かったです!」
「あ、どうもありがとうございました」
 
最後まで「ニッポン」だったなぁ。満足の度合いも、全く、東京の店と同じだなぁ。錯覚するよなぁ。
 
僕はしみじみ、余韻に浸っていた。…会計の額を確かめる迄は(笑)。
 

 

【新】えげれす通信2026_vol.11:potteryもアツい編 (28/02/2025)

いよいよ、アウターヘブリデスとの別れの時が来てしまった。偶然にも、島の歴史を少し知ることができたし、それを体現する遺構も見ることができたし、ラスト三日は恐ろしい程の晴天に恵まれたし、そのおかげで絶景も堪能できた。地元の食材で料理もできた。羊にも詰め寄られたw 非常に満足度が高い旅だったなあ。立ち去り難し。
 
コテージは、浴槽が無い以外は完璧だったね。あと、皿の数が少し少なかったかな。ロケーションも良いし、室内のリノベーションもセンスが良い。ガワだけじゃなくて、根本的に構造をいじっているからか、お湯が止まらず一日中使えるのもありがたい。全てが機能的で快適だった。

 

ところで、僕も口コミに書いても良いかなと思っているくらいなんだけど、外国人、特に恐らくは欧米系の人たちの「評価項目」って、ちょっと特殊だよね。いや、まあ、オレたちがそう思うだけであって、向こうさんはこちらの「評価項目」に対して、なにいうてんねん、って思っているかもしれないけど。やたらと多いのは、「寝具」に対して、なのだ。「枕がウンヌン」「マットレスがカンヌン」「布団がウンヌンカンヌン」、これってあまり我々は「気にならない」ところだよね。我々は、「どこそこにホコリがあった」「一本、髪の毛が落ちていた」とかの類が多いでしょう。彼らは、それほどまでに、日々の「睡眠」に拘っているのか?ニッポン人は、いつからこれほど、「清潔」に敏感になったのか?これはまさに、文化人類学のお題になるね。

 
食材や調味料は、だいぶ余って、捨てることになってしまったのが残念ではある。しかし、イチから揃えねばならぬセルフケータリングの宿命、買わねば、例えば、バターは調理に使えなかった訳だ。絶対に余るにしても、だ。買ったから、使えた。食材はちょい買いすぎた。しかし、小分けがないならば、仕方ないでしょう。「多めを買って残りを捨てる」のか、「使いきれないから買わない」のか。どちらの考えもあるだろうが、鹿やらカレイやら、「出会いが重要」のブツは、やはり、買わねば喰えないし、せっかく出会ったのに、喰わないのは残念すぎる。「食」は旅の醍醐味の一つだからねえ。
 
朝の五時半にコテージを出る。どうやら今日も天気は良いらしく、星が出ている。ここからロッホマディのフェリーターミナルまでは40分弱である。
 
フェリーは停泊していた。昨夜のうちに到着していたのかな。そして今日は、「乱れるかもよ」の案内が来ていない。危険度合いを示すインジケーターは「緑」のままだ。来る時は、「黄」になっていたからなあ。順調で大変結構だな。
 

停泊中

 

船内

 
定刻7:30に出航する。寒いので甲板には出なかったけど、回りの島々がよく見えてなんとも綺麗だ。下船してからのルートを調べたり、居眠りしたりしていると、ほぼ定刻通り、9:15に、Uigに着岸した。
 
来た時は、悪天候だし早朝だしで、何も見えず、まるで印象がなかったが、改めて晴天の下で見てみると、ここもまた、素晴らしい景色ではないか。
 

Uig良いとこ

 

一度はおいで♪

 

スカイ島は今回で2回目、初回は確か、タリスカーの蒸留所に行った気がする。なので、Uigがある方のエリアは多分未踏なはず、ということで、てっぺんまで行って、周回することにして、A855を北上する。
 

本日も快晴ですよ

 

「落石注意」の標識があったけど、ガチすぎるヤツじゃないか

 
スカイ島は山が連なっているんだね。しかもほとんど全てが、ゴツゴツしているように見える「岩山」である。絶景には違わないけど、アウターヘブリデスのあの、どこまでも平坦な地形とは、趣が異なるな。
 

 

山の形がまことによろしい

 

「水」の感じも、まことによろしい

 

「滝」も、まあ、素晴らしい

 
てっぺん付近のKilmaluagを越えて、島の東海岸沿いを南下する。岩山だろうが、ゴツゴツしていようが、相変わらずの景色を過ぎて行くと、Portreeという町に着いた。ここでは、いくつか店を回ろうと思っている。駐車場に停めて歩いてみると、まあ、観光客の多いこと。土産屋も多いし、観光地なんかな。
 

Portreeのメインストリート

 

調べてみると、「スカイ島の首都」とのことだった。

 

スカイ島の東側に位置し、静かな湾を見下ろすポートリー村は、この島の首都です。

周囲は丘陵に囲まれています。南にはベン・ティアナヴァイグ、西にはスイド・フィン(フィンガルの座)があり、どちらも標高約1,000フィート(約413メートル)と約312メートルです。北にはベン・クラチャイグがあり、こちらはずっと低い標高144メートルです。
スタフィンへの道を北上すると、オールド・マン・オブ・ストーがあり、とても人気のある遊歩道です。湾の東側には、特徴的な円錐形の丘、ダン・カーンのあるラッセイ島が見えます。

ポートリーの歴史はわずか200年ほどで、19世紀初頭に当時のマクドナルド卿によって漁村として築かれました。ポートリー、あるいは道路標識にも記されているゲール語で「王の港」を意味する「ポート・ライ」という地名は、1540年にスコットランド王ジェームズ5世が訪れたことに由来すると一般的に考えられていますが、港周辺の地域は王の来訪よりずっと以前からポートリー、あるいはポートレイと呼ばれていました。実際には、ゲール語で「斜面の港」を意味する「ポートリー」に由来しています。

ここには、銀行、教会、カフェ、レストラン、アロス センターの映画館、学校のプールと図書館、ギフトショップや書店、観光案内所、ガソリンスタンド、スーパーマーケット(村内に 1 軒、ダンヴェガン ロード沿いにもっと大きな店があります)など、訪問者が望むものはすべて揃っています。

ポートリーのサマーレッド・スクエアからはインヴァネスとグラスゴーへの定期バスが毎日運行しており、スカイ島周辺ではローカルバスも運行しています。また、バスや車で島内を巡る観光ツアーや、桟橋からのボートツアーもあります。

この村では、ポートリーショー、スカイ島ハーフマラソン、島最大のイベントであるスカイハイランドゲームズなど、数多くの年間イベントが開催され、観光客や地元の人々が集まります。(isleofskye.com)

 

アヤシゲなJapanese レストランを発見する。「富田」ってなんだよ?名字から取ったのか?だとすれば、日本人が経営しているのか?しかしメニューをみると、「七味豆腐」とか「ベジタブル天ぷらカレーライス」とか、アヤシサが突き抜けているものがあるぞ?やはりここは、似非日本人の経営だろうなあ。
 

怪しすぎる

 

メニュー

 
「Isle of Skye distillery」のショップがある。今回は結局、ひとつも、蒸留所は行かなかったなあ。ここは覗きたかったが、まだ開いていなかった。
 

見たかった

 
「Portree knitwear」という店を冷やかす。文字通り、ウール製品が展開されている。しかし、
 
・ハリスツィードが多い
・男物だと、上着、帽子、ネクタイ、財布、マフラー、くらいしかない
 
ので、買うのはやめにする。インバネスコートみたいなヤツとか、ちょっと面白いものがあれば、食指も動くんだがなぁ。衣類や小物で、ありきたりではないモノが展開されていれば良いのに。女物だと、カバンなんかがたくさんあるから、欲しくもなるだろうけどね。あと、ハリスツィードは、ここでは買わない。将来、ハリス島に行くことがあれば、そこで買うかもしれないけれども。
 

なかなか良い店

 

いまいち、面白いものがないんだな

 
お菓子屋に入ってみる。スコットランドのモノがあったので、土産用にいくつか買う。
 

お菓子屋なのにオッチャンが店番をしていた

 
Uig Pottery のショップがある。先程、フェリーが着いたところの近くに、「Uig Pottery 」があるのは知っていた。しかし、開いておらず、残念ながらスルーしたのだった。なんと、ここで出会えるとは。
 

さっきは寄れなかった

 
色や形、柄などの感じは、悪くない、が、良くもない、といったところ。買うか買わないか、迷うところだった。しかし、奇妙な形をしたモノがあり、その説明を読んで、「買い」に心が傾いた。「salt pig」だってよ!伝統的なんだってよ!しかし、これ、塩は指でつまんで取り出すのかな?
 

名前が良い

 

AIで調べてみると、

 

伝統的な「salt pig」は通常は陶器または素焼きの蓋付き瓶で、塩を乾燥した状態に保ち、取り出しやすく、台所のゴミが入らないように設計された、幅広で角度のある、またはフード付きの開口部(「口」)を備えています。これらのものは、典型的には、鍋を使用すると、シェフは調理中に塩を素早くつまむことができ、釉薬がかかっていない内側は水分を吸収して固まるのを防ぎます。 
塩を簡単に取り出せるように前面に広い開口部と、持ち運びに便利な上部ハンドルを備えています。伝統的な釉薬をかけていない陶器または多孔質のセラミックは湿気を吸収し、塩を乾燥した状態に保ちます。調味料としてコンロの近くに海塩フレーク、粗塩、食卓塩を保管するのに最適です。一般的にはテラコッタ、石器、または磁器で作られ、素朴なデザインになっていることが多いです。

 

なんだそうだ。なんで「豚」なんだろう?蚊取り線香の容器みたいなもんか?ていうか、あれも、なぜ「豚」なんだろう?

 

調べてみると、二つの説があるらしい。

 

一つ目は、愛知県の常滑焼 (とこなめやき) の職人に伝わる話。昔、養豚業者が豚に蚊が止まるのに困って、土管の中に蚊取り線香をいれて使っていたそう。常滑市は、明治から昭和時代にかけて土管の生産量で日本一を誇った地域。身近なものを活用したのです。しかし、土管は口が広すぎて煙が散ってしまうので、口をすぼめてみたら、なんだか豚の姿に似てきた。そこで地域の焼き物である常滑焼で作り、お土産として販売したところ、昭和20年代から30年代にかけて爆発的に人気が出て、全国に広まったという説。
もう一つの説は、江戸時代に遡ります。新宿区内藤町の江戸時代後期の遺跡から、蚊遣り豚らしきものが発掘されています。現在のものより長細く、イノシシのような形です。当時は、枯葉やおがくずなどを燻した煙で蚊を追い払っていたので、入れ物は大きめの徳利のようなものを使っていたと考えられます。徳利を横にして「豚に似ている」と思いついたのではないかというのが研究者の論です。
この蚊遣り豚は、今戸焼 (いまどやき) という東京の焼き物でできていました。浅草の土産物として売られる土人形と同じ素材のため、蚊遣り豚も土人形と同じように焼かれて、土産物として全国に広まったのでは?とも考えられています。
全国区となった蚊遣り豚。現代では、耐熱性が高く壊れにくいと定評のある萬古焼 (ばんこやき) で多く作られています。
国内では三重県四日市市と三重郡菰野町 (こものちょう) で製造しており、毎年全国に十数万個が出荷。電機製の虫除けや殺虫剤が多数開発される中、まだまだ現役の道具として使われていることがうかがえます。長きにわたって続く、人間と蚊の攻防。蚊取り線香の煙をくゆらせる夏の景色は、これからも続いていきそうですね。(蚊取り線香の器は、なぜ「豚」なのか | 中川政七商店の読みもの

 

ついでだから、salt pigの方もAIで調べてみると、

 

塩豚は、古いスコットランド語と北イングランド語で土器製の壺や瓶を意味する「pygg」に由来し、「pig」と呼ばれています。この言葉は、塩入れが発明される何世紀も前に遡る、塩を保存するために使われていた土器の容器を指していました。

 

語源関連なようね。

 

それにしても、ここは良いところだ。なんとも趣のある街ですなあ。

 

眼前に湾が開ける

 

ベルゲンに似ているね

 

降りてみると・・・

 

グラスゴーまでの定期蒸気船が出ていたのか

 

PortreeからA87でスカイ島と本土のカイルオブロッハルシュを結ぶ「スカイブリッジ」を渡り、久しぶりのブリテン島に戻る。
 

カイルオブロッハルシュに来たのは二度目。実に風光明媚なところである。

 

Kyle of Lochalshは、スコットランド高地ウェスター・ロスにある村で、2020年の人口は590人です。スカイ島のカイラキンの対岸に位置し、かつてはスカイ島へのフェリー航路として伝統的に利用されていました。現在は無料のスカイ橋がA87号線を横断しています。カイルはやや辺鄙な場所となり、特に観光名所や観光客向けのアトラクションはありませんが、周辺の田園地帯への拠点として最適です。スカイ島も含め、7月と8月は予約でいっぱいになります。
ゲール語で「 ceolas」(発音は「kyles」)は狭い場所を意味し、Kyle of Lochalshとカイリーキンの間は、本土とスカイ島を結ぶ最も狭い橋です。少なくとも1600年からはフェリーが運航しており、19世紀にはインヴァネスからカイル桟橋まで鉄道が建設されました。20世紀になると、ここに橋を架けることは技術的にはそれほど難しくありませんでしたが、それを正当化するほどの交通量は確保できませんでした。しかし、1960年代と70年代には観光やその他の交通が急増し、フェリーの輸送能力が逼迫し、夏のカイルは車の渋滞に巻き込まれました。橋の建設は1992年に始まり、民間資金イニシアチブ(PFI)を利用して1995年に開通しました。通行料は高額で非常に不評で、抗議や支払い拒否が相次ぎました。後に文書から、PFI事業者が橋の運営費用の10倍もの料金を請求していたことが明らかになりました。スコットランド政府は2004年末にこの運営会社を買収し、通行料は廃止された。(Kyle of Lochalsh – Travel guide at Wikivoyage

 

カイルオブロッハルシュ駅は、一昨年行ったサーソー駅と同様、BRの終着駅のひとつである。車止めが旅情を誘うねえ。ここは昔、ロンドンからの夜間列車の終点のひとつではなかったかな。途中で列車を切り離して、複数の終着駅へ向かう運行形態があったんではなかったかな?

 

と、思って、調べてみたら、勘違いだった。「Trainline」によると、

 

かつてロンドン(主にユーストン駅やキングス・クロス駅)からスコットランド方面へ運行されていたThrough Coach(直通客車)の主な目的地は、インヴァネス(Inverness)やアバディーン(Aberdeen)、パース(Perth)などでした。 

 

これらと間違っていたね。駅はこんな感じ。

 

駅名標

 

「果て」感、満載

 

カイルオブロッハルシュからA87でAuchtertyre、そこからA890でAttadaleへ。Attadale駅を見てみる。なんと「リクエストストップ」だそうだ。リクエストするための条件が書いてある。
 

なんもない駅

 

己の才覚と力量で列車を停めなさい

 
・オノレの存在感を示しておいてや
・手をおもっくそ振るんやで
 
無茶苦茶、原始的やないか(笑)。「アプリで登録」とかではないの?
 
少し行ったところに「Carron Pottery 」というものがあった。良さげなので中を覗いてみる。
 

ロッホカロンの畔に佇む陶房

 

おひさるによると、

 

陶器と工芸品のショップは、1860 年頃に建てられた古い学校と校舎内にあります。この建物は1976年から1977年にかけて、バリーとアン・ジョーンズによって改築されました。バリーは専業陶芸家として、アンは工房を運営していました。1978年、ロブとジャン・ティーゴはアップルクロスから引っ越してきて、バリーとアンと共に建設に携わりました。そして隣にあるキャロンレストランを経営します。

レストランは1979年にオープンしました。ロブとジャンはその後14年間レストランを経営し、忠実な顧客基盤を築き上げました。美味しい料理とフレンドリーなもてなしで評判の高いホテルです。1982年、ロブは冬の間、ポット栽培を習い始めました。

バリーとアンは1992年に引退し、レストランは売却されました。

その後、ロブとジャンは陶器店の経営権を買収することができました。ロブは専業陶芸家となり、ジャンは店の経営と管理を担うようになりました。ロブは長年にわたり、地元のカロン川で採れる海粘土の使用を含め、新しい色、模様、釉薬を導入しながら、陶器をさまざまな方法で開発してきました。

2015 年 11 月、ロブとジャンの息子であるピーターが、30 年間シェフとして働いていた後、ロブの弟子として陶芸に加わりました。 ピーターの妻ミシェルも店長として参加しました。

陶器は店の裏側の増築部分にあります。ここでは、ほとんどの日、2 人の陶芸家が粘土をこねたり、ろくろを回したり、装飾や釉薬をかけたり、窯に詰めたりしている姿や、仕事の合間に休憩している姿を見ることができます。ピーターは手作り陶器職人として陶芸に新たな次元をもたらしており、2022年に見習い期間を終えました。 

陶器は手作りの国内産のストーンウェアで、食器や注文品など幅広い製品があります。バターパットやミニ花瓶などの小さなアイテムから、大きなランプベースやフルディナーセットなどの大きなアイテムまでご購入いただけます。家庭用ポットはオーブン、電子レンジ、食器洗い機に対応しており、白、青、緑、茶色のさまざまな色合いと混合色で装飾されています。(Carron Pottery Craft Shop and Gallery, Strathcarron, IV54 8YX Scotland

 

いやあ、ここはよかった。デザインも好きな感じだが、それよりも、実に多彩な「用途」の作品が多いのだ。皿、カップ&ソーサー、はいおしまい、みたいなポタリーが多い中、ここには、面白い種類の容器がたくさんあるのだ。今回の旅では、何かしら特徴的なモノを重点的に買うつもりなので、ここはいっときましょう。三つくらいの中から、悩みに悩んで、可愛らしいキャセロールを購入する。
 

素敵な店内

 

作業場

 
レジのおばちゃんが教えてくれる。
 
「そのキャセロールは私の夫が焼いたのよ」
「じゃあ、ここにあるモノみんな、旦那さんの作品ですか?」
 
「そうではないのよ」と言いながら、おばちゃんは更に説明をしてくれた。
 
「息子の作品もあるのよ。これの裏には『木』があるでしょう?それは息子の作品。で、これの裏には『船』がある。それは夫の作品なの」
 

「木」は息子

 

「船」はダンナ

 
なかなかオツなことをするじゃないか。
 
「じゃあ奥さんは焼かないんですか?」
「私は売るだけよ(笑)」
「良い仕事だ(笑)」
 
こういう出会いもまた、いとをかし。
 
A890は、「Strathcarron Road End」バス停付近でA896にT字でぶつかるので、それを左折する。ちょっと進んだところに、「Loch Carron Weavers」という店があるので寄る。しかし、「製品」はほとんど無く、「毛糸」と「生地」ばかり、これではさすがに、買うものはない。ちなみにポタリーの方は閉まっていた。
 

Loch Carron Weavers

 

ちとレベルが高すぎた

 

A896をひたすら進み、KinlocheweでA832にT字でぶつかる。それを右折する。GorstanでA835に合流、相変わらずの絶景を通る。ToreからA9でインヴァネスへ向かう。ここはブリテン島だが、スカイ島と同じような地形なんだね。

ゴツゴツした山

 

雪もある

 

荒々しいねえ

 
17時半、インヴァネスに到着。実に久々の都会だ。信号もあるぞ。でかいラウンドバウトもあるぞ。ビルも建っているぞ。

 

スーパーに寄る。最後に、スコットランド製品の土産を物色する。しかし、純粋にスコットランド製というのはそんなに多くはなく、あったとしても、いちいち、デカいし、重い。トランクに入れることを考えると、そして、ばらまき土産であることを考えると、小さくて軽いものが良い。結局、行きのインヴァネスで買った同じトッフィーをいくつか追加する。

 

レンタカーの返却時間は19:30、フライトは20:15、ちょっと早いが返してしまうことにする。世話になったよ、シトロエン。なかなか良いクルマだった。ときに、イマドキの車って、USBポートがあって充電できるのは知っていたけど、つなぐと、グーグルマップのナビをそのまま画面に映すことができるんだね。音楽を流すのは知っていたけど、グーグルマップをカーナビとして使用できるというのは知らなかった。僕は、docomoのパケット無制限を契約していて、これだと海外利用も30GBまで無料なので、つなぎっぱなしでナビ利用も可能だった。こいつは便利だ。

 

BA1425、20:15にインヴァネスを離陸し、21:40、無事にロンドンヒースローのターミナル5に着陸した。機材はエアバスA319、これは初乗りだな。聞いたこともない機材だな。

 

人がさっぱりいないインヴァネス空港

 

初めて乗るA319

 

ヒースローT5

 

今回のロンドンの宿は、ピカデリー線の「Turnham Green」駅から徒歩10分弱の、セルフケータリングである。今日から三泊する。

 

「Turnham Green」駅は、ピカデリー線でいつも通るから名前は知っていrけど、降りるのは初めてだ。しかもこの駅は、但し書きで、「電車が止まらない時間もありますぜ」とあるのを知っている。この時間帯はどっちなんだ?

 

周辺にはスーパーが、あるにはあるが、この時間だと閉まっているっぽい。本日のメシと酒をどこで仕入れるか。どこか途中で降りて買い物するか?しかし、荷物が重いよなあ。そう思ってT5を歩いていくと、なんと、M&Sがあるではないか!これは僥倖だ。さっそく、いつもの摘みとワインを買う。

 

ちなみに今回は、マレーシアという、ムスリムだけど酒にはそんなにうるさくない(対比:カタール)国を経由してきた。「酒をペットボトルに入れ替えて持ち込もうとするヤカラが昨今増えているけど、そんなんすぐにバレまっせ。バレたら重罪やで。知らんけど」というお達しが、在カタール日本大使館に掲載される国とは違うw 僕は、ウォッカとウイスキーを、580mlペットボトルに二本ずつ詰め、持参している。これのおかげで、「酒難民」化する危険性はだいぶ減ったのだ。こちらで買うと、高いし、時間の制限はあるしで、難民化することはあり得る。かつて、住んでいた時は、日本に一時帰国した際に、日本からえげれすへ、「一升瓶の日本酒をペットボトルに詰めたもの」を12本とかw、運んでいたものである。それに比べればチイチャイチイチャイ。

 

宿に到着。完全なる住宅街だね。二階部分に部屋数が4 キッチンとバストイレは共用、つまりは、かつての「フラット暮らし」である。これまた、妙に懐かしいではないか。

 

本当にフラットだわ

 

昨日までとは、落差が激しすぎる晩メシw

 

そんなわけで、就寝。明日からロンドン巡りを始めます。

 

 

【新】えげれす通信2026_vol.10:桟橋はアツい編 (27/02/2025)

本日は、アウターヘブリデス諸島の最終日、この快適すぎるコテージも、今晩寝て明日早朝に出発するまでの間を残すのみとなってしまった。名残惜しいねえ。
 
まさかの晴天である。こんなこと、あるのかい?初日と二日目の天気を見ている身としては、「晴れる」可能性など、1ミリも感じることはできなかった。しかも、だんだんと、「晴れ」ではなく、「快晴」の方に進んでいるではないか。
 
本日は、まだ踏破していない、サウスウイスト島を中心に、サウスウイスト島とcausewayで繋がるエリスケイ島(英語: Eriskay、スコットランド・ゲール語: Èirisgeigh)を周る。ただしその前に、ベンベキュラ島の「端っこ」をひとつ、攻める。A865を南下し、B891へ左折する。
 
昨夜、「道の終わりはないかなあー」と、グーグルマップを見ていたら、ベンベキュラ島の南東に突き出た半島(?)のようなところに、道が一本延びており、それの果てに「Peters Port」という名前があることを知った。僕は「果て研」の部長である。そこに「果て」あれば、行ってみないと気が済まないし、それはまた、任務でもある。これまでも、「道の終わり」には、例えばバス停があったりするんだが、バス停の名前でその場所の名前を知ろうとしても、「Turning Point」とか、「なんちゃらロードの終わり」とか、「土地の名前」ではないことが多かった。まあ、名づけるほど、重要な意味を持たない場所ってことなんだろうけど。しかし、この「Peters Port」は、試しに調べてみると、実に壮大な歴史をもつ、アウターヘブリデス諸島、中でも、ベンベキュラ島を語るには必須の場であることがわかった。
 
まずは位置関係から。ざっくり言うと、上にあるデカい島が「ノースウイスト島」、真ん中にあるデカい島が「ベンベキュラ島」、下にあるデカい島が「サウスウイスト島」となる。
 

ざっくり位置関係

 
ベンベキュラ島の南東に突き出た、半島っぽい、緑のゾーン、多分、ぎりぎり陸地が繋がっているので、「半島」で合っていると思う。
 

これで見ると「半島」かなあ

 
そしてその先っぽに「Peters Port」がある。
 

Peters Port

 
調べていてヒットしたのは、Neil Kingさんのブログであった。退職後、あちらこちらを旅しているらしい。彼は、
 

ベンベキュラに行くずっと前から、ピーターズ・ポートは私の想像力を掻き立てる場所でした。頼りになる陸地測量部1インチ地図(シート23「サウス・ウイスト」)には、茶色のB級道路(B891号線)が島々の入り組んだ場所を抜け、桟橋と、アウター・ヘブリディーズ諸島のように典型的なゲール語の環境なのに、いかにもイギリス風の名前の湾以外にはどこにも通じていないことが示されていたからです。 ですから、ピーターズ・ポートは、私がベンベキュラに着いたら必ず訪れるべき場所リストに間違いなく入っていました。

https://exceptthekylesandwesternisles.blogspot.com/2009/08/peters-port.html


 
と、のっけから、「同じニオイ」をさせてくるオヤジである。「名前」にピンと来て、「どこにも通じていない」道にひっかかる。これは「果て研」に入部する資格として、最も尊重されるべきセンスかもしれない。「どこにも通じていない」のにもかかわらず、どうして「B道路」なのだ?これまでも、行き止まりの道はあったが、大体は、名づけされていない、ただの「ローカル道路」に過ぎなかった。こういうところに「ピンとくる」センスは、とても大事だし、共に飲んで語りたい気もする。
 
彼はブログで、とてつもなくアツく、語っているのだが、それを要約すると、こんな感じになる。
 

19世紀後半、アウター ヘブリディーズ諸島南部のユイスト島、ベンベキュラ島、バラ島は実に孤立した島で、郵便の配達は帆船と、グラスゴーから週 1 便の貨物船に頼っていました。その後、郵便船サービスは拡充され、1880年代後半には、既にロッホマディにあった蒸気船埠頭に加え、キャッスルベイとロッホボイスデールにも蒸気船埠頭が建設されました。しかし、ノース・ウイスト島とサウス・ウイスト島の間に位置する古き良きベンベキュラは、こうした発展の波から取り残され、ロッホマディとロッホボイスデール間を通過する新しい郵便蒸気船のフェリーさえも寄港しませんでした。1880年代、アウター・ヘブリディーズ諸島行きの新郵便汽船のスケジュールからベンベキュラが除外された理由は、島が「フォード」と呼ばれる潮汐の影響を受ける砂州でノース・ウイスト島とサウス・ウイスト島の両方と繋がっていたため、干潮時には渡ることができ、ロックボイスデールとロックマディの埠頭に寄港する汽船でベンベキュラにアクセスできるというものでした。ただし、浅瀬を渡るのは危険を伴う可能性があり、島民はそう簡単には無視できませんでした。その後陳情が繰り返され、ついに、1894年、インヴァネス州議会はベンベキュラの桟橋建設のための補助金を国務長官に申請しました。建設地としてピーターズ・ポートが選ばれ、建設費は3,000ポンド、桟橋は1896年に完成しました。しかし、ピーターズ・ポート桟橋の驚くべき点は、この計画にはアイリーン・ナ・キルとベンベキュラを結ぶ土手道が含まれていなかったことです。つまり、20世紀初頭のベンベキュラは、連絡道路や土手道のない沖合の島に桟橋を持つに至ったということです。また、桟橋への道路がないことが問題だっただけでなく、汽船による海からのアクセスも困難だった、という課題もありました。
桟橋への道路は、1906 年から 1907 年にかけての追加公的資金によって完成しました。 しかし、それでも郵便汽船は寄港せず、現在では航行灯の欠如が問題だったようです。
1938年、ベンベキュラからサウス・フォードを越えてサウス・ウイスト島に至る橋(North Ford Causeway)の建設が議題となりました。工事は1938年12月に始まり、ピーターズ・ポート桟橋のことはすっかり忘れ去られました。


 
本当は、これの四倍くらいの文字数で、ニールさんはピーターズ・ポートについて、アツく語ってくれている。搔い摘むと、
 
・郵便などを司る船は、ベンベキュラ島だけを無視していたが、その理由は、「フォード」の砂州を通れば、「オマエら、歩いて海を渡れるやないか」というもの
・しかし陳情が繰り返され、結局、ベンベキュラ島の桟橋は作られた。それが「ピーターズ・ポート」である。
・ところが、ベンベキュラ島の中心部から、ベンベキュラ島の「果て」にある「ピーターズ・ポート」までを結ぶ道が、そもそも、ない。
・「道、作ってくれや、コラ」「いや、カネかかるし、あかん」みたいな問答が繰り返された後で、「フォード」にcausewayができてしまった。
・だから、「ピーターズ・ポート」は、忘れ去られてしまった。
 
事情はちょいと異なるが、東京都の青ヶ島における港湾整備の話とも、なんとなく似た風味を感じて、「果て研」部長としては、ヒトリモリアガリをしていたのだった。
*青ヶ島は、周囲が絶壁で、平たい港湾をつくることができず、地面を削っては挫折し、の繰り返しを強いられた
 
ちなみに、昨日も参照して、これはなかなかのサイトだぞと感心した「SABRE」によれば、「B891」は、
 

B891は、ベンベキュラ島の南岸に沿って走る、どこにも行かない昔ながらの道路です。
道はA865号線沿いのクレアゴリー(Creag Ghoraidh)の北から始まり、東へ進んでハックレット(Haclait)の町に入ります。そこでは、曲がりくねった交差点からサウスフォード・コーズウェイに戻ることができます。左折すると、クレアガストロムを通る長く曲がりくねった行き止まりになります。その後、短い土手道を通ってグリムゼー(Griomasaigh)へと続きます。グリムゼーは、ベンベキュラの東海岸沖にある大きな岩の島の一つです。島の西端の道沿いには家が点在していますが、道は続き、橋を渡って潮汐の影響を受ける岩場へと続きます。そこから、無人の岩の島々を結ぶ土手道がいくつか続いています。最後の土手道はアイリーン・ナ・シル島に渡り、最後の家から1マイル以上離れた桟橋で道は終わりますこれはただの桟橋ではありません。1894年に政府が汽船と漁業コミュニティの支援のために建設したものです。しかし残念なことに、政府は賢明にも漁船が桟橋にアクセスできることを確認することを怠り、さらに10年間、桟橋へ通じる土手道や道路の建設も怠っていました。陸にも海にもアクセスできない岩だらけの小島に桟橋があっても、一体何の役にも立ちません。Google Earth では現在、この道路を未分類として表示していますが、これは賢明な選択ではありますが、ほぼ間違いなく誤りです。


 
そうなると、ここは「半島」ではないのかな。とにかく、アウターヘブリデス諸島の「水」は、「海」なのか「川」なのか「湖」なのか「水たまり」なのかが、さっぱりわからない。
 

本日は快晴です

 

何らかのcauseway

 

これは海だわな。いや、ち、違うかも

 
B891の「終わり」には、漁業関係の器具が放置されていた。ニールさんによれば「現在B891号線の終点に残っているのは、地元の漁師たちが使う簡素なコンクリートの船台だけです」ということだが、まさにその、船台で、道は終わっていた。
 

何らかの遺構なのか

 

ただの船台なのか

 
来た道を引き返し、A865を南下、causewayを渡って、初のサウスウイスト島に入る。ほどなくKilaulay方面へ右折するローカル道路があるので、それに従う。
 
ここの海岸線が、絶景だった。まぶしいくらいの白砂と、今日は青く見える海、そして、そこに佇む、無数の鳥たち。僕は、車を停めて、しばし見とれてしまった。
 

絶景

 

ヤツらも素晴らしい

 
次に進むべき方向を決めるべく、グーグルマップを見ていたその時、鳥の大群が一斉に飛び立った。その迫力、恐るべし。サウスウイスト島の西部は、ほとんど地面が平らであり、「地球」を感じることができる。地平線や水平線がダイレクトに現れる地形なのだ。そこに、無数の鳥がいて、一斉に飛び立つのだから、ちょっと、見たことのない光景である。3D技術を駆使しても、あれを再現することはできないだろうな。
 

何が何だか、もうわけわからん

 

魅惑的な海岸

 
目では見たけど、写真を撮れていない。幸いに、鳥たちは、どこかへ行くのではなく、また元の場所に舞い戻ってきた。なぜ「飛び立ち」が開始したのかが不明だが、「どこかへ行くのではない」「また舞い戻ってきた」ということは、また同じことが繰り返されるかもしれない。そう思って、じっと目を凝らすこと5分、さっきほどの規模ではないものの、鳥たちが飛び立つ瞬間を撮ることができたぞ。

 

「こう」からの・・・

 

「こう」!


  
この先、海岸沿いをこのまま南下できると思っていたが、実際の道は、そこからダートになっていた。行けないことはないのかもしれないが、大事を取って引き返し、再びA865を南下する。
 
改めて、サウスウイスト島は、西側が平坦でほとんど起伏無し、東側が山である。少し進むと、山側に「Our Lady of the Isles」という像がある。そこへ上ってみると、西側の平地を180度見渡せる、絶好のポイントになっていた。
 

像。そして背後を振り返ると、

 

こう!

 

そして、こう!!

 
次の目的地は「Old Loch Skipport Pier」、これまた、かつての「港」である。これも、昨日調べていてヒットし、ひそかにコーフンしていた対象地である。
 
「Am Baile – Highland History and Culture」というサイトによれば、
 

南アウター・ヘブリディーズ諸島のサウス・ウィスト島に位置する Old Loch Skipport Pierは、1879年に建設された蒸気船時代の歴史的な桟橋跡です。かつてはグラスゴーやオーバンからの船が発着する島の主要な港として賑わいましたが、現在は役目を終え、静かな廃墟となっています。19世紀後半、ニシン漁と物資輸送の拠点として栄え、多くの蒸気船が寄港しました。しかし、1900年頃には近隣のロッホボイデール(Lochboisdale)に主要港の座を譲り、1950年代に最後の船が去って以降は放棄されました。現在は、 腐朽した木製の支柱や石造りのクアイサイド(岸壁)が残されており、独特の荒涼とした「世界の果て」のような雰囲気で知られています。当時の写真を見ると、塩漬けニシンの樽が輸出を待つ様子が描かれています。


 
うーむ、北海と言えば鰊だもんなあ。輸出に使われるほど、殷賑を極めたのか。それはぜひ、見届けなければならない。
 
初めて、サウスウイスト島の東部、山間部に入る。ただし「山間部」と言っても、最高標高はせいぜい、600m足らずの山でしかない。ただし、ほぼ「海抜ゼロ」のような、西部の平坦地から進んでいくと、景観のビジュアルも、かなり変わってくる。
 

ちょっと山がちになってきた

 

ディープブルーとの、このコントラストよ

 
「ぬかるみ危険!歩こうとするな!」という看板がある。あの、「川」だか「湖」だか「沼」だか「水たまり」だかわからない地帯は、そうか、泥なのか。ハマったら出られない系なのかね?
 

落ちたら、死ぬで

 
道の途中に、立派な馬がいる。通常、「道の上に何らか」の場合、それは「ヤツら」であると、相場は決まっている。しかし、このサウスウイスト島では、ヤツらもそこそこいるが、メインはどうも、馬っぽい。
 
通れないんですけど。こういう場合はどうしたら良い?クラクションを鳴らしても、微動だにしない。車を降りて、直に触るか?しかし、ワタクシ、動物は、まあまあ苦手である。馬の習性って、知らないしな。どうしましょう。
 
馬の背後に、ギリのスペースがある。離合困難だろうが、行けなくもなさそうだ。慎重に車を進め、脱出成功。
 

微動だにしない馬

 
「道の終わり」に到達した。この先は「歩き」らしい。そして、ピアの残骸を確認する。しかし100年も前に、ここが賑わっていたんだねえ。「馬」にはさほどコーフンしないが、こういう「ヒューマンヒストリー」にはグッとくるわな。
 

クルマはここまで

 

さらに道は進み・・・

 

ピアの遺構が現れた!


 

ところで、僕は、実は、アウターヘブリデス諸島三日目にして初めて、「歩き」を実施したわけだ。今までは、悪天候もあり、基本的に車から降りなかった。だから、「川」だか「湖」だか「沼」だか「水たまり」だかわからない地帯を、実際に踏みしめることも、今までできていなかった。しかし、この時、まさにそれが試される瞬間が訪れた。僕の行く手には、これは恐らくは「ただの水たまり」がある。しかし、「なかなかの」水たまりであり、それは回避すべきである。
 

なかなかの規模を見せつけてくる水たまり

 
迂回ルートを探索すると、そこは完全に「ムーア」である。「ムーア」と言えば、これまで散々言及してきた、「川」だか「湖」だか「沼」だか「水たまり」だかわからない地帯、である。つまり、わけわからん「水」が、そこら中にある。
 
さしあたり、「水たまり」の横の「ムーア」を進んでみる。すると、果たしてそこでは、突如として、「川」だか「湖」だか「沼」だか「水たまり」だかわからない「水」が出現する。これは、仮にハマったとして、「大丈夫」な奴なのか?例えば水深はどれくらいあるんだ?「ぬかるみ危険!歩こうとするな!」という看板を思い出す。
 

そこら中に、「謎の水」トラップ

 
加えて、恐らくはヒースであろうこの植物と、濡れた泥炭と、「川」だか「湖」だか「沼」だか「水たまり」だかわからない「水」のアンサンブルが、絶妙なトラップを生み出している。・・・めっちゃめちゃ、滑るんだよ。
 

そもそも段差や高低差があり、進めば突然「水障害」が出現し、越えて着地する地点ではむちゃくちゃ滑る。これは思った以上に難儀だぞ。僕は、何度もコケそうになりながら、しかし、コケることなしに、無事に、ピア跡までたどり着いた。
 
元来た道を引き返す。
 
また、アイツがいた。おいおい、さっきと50cmくらいしか変わってないやんけ。まあまあの時間が経ったけど、あれからこれしか動いていないのか??しかし50cm分は「余白」が増えたので、今回は難なく乗り越える。
 

50cmほど道幅が広がった

 

 

地球を感じられる

 
A865に戻り、南下する。「Howbeg Road End」バス停付近から右に折れるローカル道路に入り、Stoneybridge beachまで行く。このまま海岸線に沿って抜けられるかな、と思いきや、途中でダートになったので、断念、引き返す。
 
再びA865を南下する。そのまま進み、「Lochboisdale South Uist Ferry Terminal」を見る。道の終点は、causewayを渡ったところにある「Lochboisdale Harbour」である。ここ、グーグルマップでは、サウスウイスト島とは異なる、完全な「島」になっている。しかし、島の名前が出てこない。どういうことだ??
 

Lochboisdaleの町

 

Lochboisdale South Uist Ferry Terminal

 

Lochboisdale Harbourの標識。わかりやすいw

 

なるほど、これのことね

 
A865をDaliburghまで戻り、今度はB888を南下して、サウスウイスト島の最南端Ludagに到着する。そしてさらに、causewayを渡り、さらに南のエリスケイ島へ。Eriskay Ferry Terminalに到達する。ここは、さらに南のバラ島への便が発着する港である。

 

causeway(見た目は反対)



 

Eriskay Ferry Terminal

 
途中の崖っぷちに、ヤツらがいる。

 

何故にゆえに、そこで喰わねばならぬのだ

 

なんでオマエらは、そんな急峻なところにわざわざいるのだ?「是非モノの草」でもあるというのか?いつもながらにそう思う。クルマを停めて写真を撮ろうとすると、出た!アウターヘブリデス諸島名物、「詰め寄るヤツら」。今回は、昨日よりも、心なしか、「詰め寄り速度」が速い気がするぞ。昨日は「もぞもぞ」だったが、今日は「スタスタ」やってくるぞ。量産ザクが、シャア専用ザクになった感があるぞ。

 

スタスタ(まずは、機敏な動き)

 

ていうか、シャア並みになってる

 

いや、さすがに詰め寄りすぎだろ

 
しかも、昨日と違うのは、ヤツらの生活圏とこちらの領分との間に「柵」がないことであった。言うても、昨日のヤツらは「平坦地」で、生ぬるく、暮らしているわけだ。しかし、今回のヤツらは、「断崖絶壁」で、日々鍛錬の中、暮らしているわけだ。「なぜ、わざわざ、そんな困難な高所にある草を、喰おうとするん?」と真剣に問いたくなる。そういうヤツらだ。「平坦地羊」と異なり、足腰の鍛錬が、尋常じゃないのだろう。しかも、断崖絶壁で身体のバランスをとるには、「足腰」の鍛錬が必要だが、同時に、断崖絶壁の効率的に草を食うためには、「口周り」の鍛錬も必要となるに違いない。これ、詰め寄られたら、囲まれたら、齧られたら、なかなかのトラブルじゃないか。レンタカーの返却時傷申告で、
 
「このひっかき傷みたいなの、どうされました?」
「ああ、それは、アウターヘブリデス諸島で【詰め寄り羊】に囲まれて、齧られてしまいまして」
 
みたいなやり取りが必須になるではないか。しかし、敵もさるもの、インヴァネスのレンタカー屋である。涼しい顔をして、
 
「ああ、他と違ってあそこの羊は『詰め寄るもの』ですから。大体は、『齧って』きますな」
 
「羊の違いがわかるオトコ」みたいな風情で、さもありなんという感じを押し出してくるかもしれないな。

 

えげれすの道路は全般的にそうなのだが、離合困難箇所における「譲り合いの精神」が半端ない。こちらが、「あ、前方から車が来た。ここで止まって譲るかな」と考える、その前に、対向車が譲ってくれる。

 

しかし、これが、「離合困難箇所ダラケ」のアウターヘブリデス諸島では、いささか、事情が変わってくる。

 

ここでは、「退避場所」が、頻繁に設けられている。

 

退避場所

 

運転手としては、

 

・自らの現在の速度と、次の退避場所への到達時間

・対向車の現在の速度と、次の退避場所への到達時間

・上二つで、どちらが、どこへ、退避するべきか、を考慮する

・当然、自分の後続、または、対向車の後続が、いるかどうかは重要問題

・一番良いのは、加減速の時間を短くする選択肢

 

これらを瞬時に判断し、ベストな退避場所にベストなタイミングで滑り込む。「退避しますよ」という意思表示は、「左ウィンカー」である。しかし、同時に「左ウィンカー」が出ると、その状況で最善と思った方が、パッシングライトを点滅させて、「僕はここで待っているから、どうぞ、お進みくださいね」という意思を表明する。

 

これが、まあ、なかなか難しい。常に、二個先、三個先の退避場所を念頭に入れておかねばならぬ。こちらの判断が悪く、相手はもうこちらまで来ているのに、一つ前で退避すべきだったこちらがそれをしなかったとすると、「前の退避所までバックする」という、極めてカッコ悪い事態となる。これは、「カッコ」の問題だけではない。それができない奴は、「社会性」「客観性」がないヤツ、と思われてしまう。

 

逆に、それがうまくいけば、すれ違いの時に、互いに手を挙げて、合図をする。これが、まことに、すがすがしい。

 

「何か」とすれ違う時、例えば、散歩のおばあちゃん、犬の散歩のおじいさん、工事現場のおっちゃん、誰であろうとも、「すれ違い」の時には、ほぼ毎回、互いに手を挙げる(もしくはサムアップ)などの合図をする。これは本当に素敵なことだね。何の理由もないけれど、この日、この時、このタイミングで、互いにすれ違ったんだから、お互い良い思いをしましょう。ただそれだけのことだわな。社交性、というものの、真の意味を、ひたひたと感じる。

 

さて、これで、アウターヘブリデス諸島周遊のタスクは完了だ。だいたいは網羅したでしょう。歴史的な香りも嗅げたし、昨日今日は晴天にも恵まれたし。大満足と言って良いでしょう。帰りはベンベキュラ島まで、直帰する。
 
明日は早朝に起きねばならぬ。カルマック社からは、今のところ、緊急情報は届いていないが、無事にブリテン島へ帰れるかどうか。明日は、長い移動の結果、急転直下、ロンドン泊となる。
 
本日の最後の晩餐はこんな感じ。昨日の残り物のみだな。あ、でも、ラムのタイグリーンカレーは、ヌードルを入れて、「グリーンカレー風スープヌードル」となりました。それと、流石に絶妙に旨い、「カニむき身」。甘酢を入れて醤油をかけて食べたら、まあ、美味いのなんの。
 

全景

 

タイグリーンカレー風スープヌードル

 

 

最強のカニ身




アウターヘブリデス諸島の「NAMARA」さんに敬意を表して、もう一度、言っておきますか。
 
「カニ身、なまら旨えぇぇぇぇ」

 

(しかし、やはりあの食材の量、喰いきれんかった・・・)

 

 

【新】えげれす通信2026_vol.09:向かってくる編 (26/02/2025)

昨日は小休止だったので、今日は活動的に行く。ベンベキュラ島を中心に、causewayで繋がっているバルシェア島(英語: Baleshare、スコットランド・ゲール語: Baile Sear)とグリムセイ島(英語: Grimsay、スコットランド・ゲール語: Griomasaigh)を攻める。
 
9時過ぎに出発。本日も、また、雨である。止むことは想像できない。太陽が出るなんて考えられない。でも仕方ないから出発する。
 

曇天のロッホ

 
ベンベキュラ空港そばのスタンドでガスを入れ、B892を北上、A865に合流してさらに北上、ベンベキュラ島とノースウィスト島を繋ぐNorth Ford Causewayを通ってノースウイスト島に入る。
 
The Society for All British and Irish Road Enthusiasts (SABRE)というサイトによると、
 

ベンベキュラ島からノース・ウイスト島へ渡るこの土手道は、西部諸島最長と謳われています。しかし、島々を渡りきるため、連続した土手道ではありません。2つの主要島を結ぶ全長は約4マイル(約6.4キロメートル)で、大小さまざまな7つの島を結び、途中で3つの橋を渡ります。そのうち2つの橋は小型船が通行できるほどの大きさです。
土手道が開通する前は、満潮時には船が水路を行き来し、干潮時には歩いて渡ることができました。しかし、4マイルにも及ぶ危険な砂地を最長2時間かけて横断しなければならないため、それは危険な行為でした。地元の男性数名がガイドとして働き、ケルンの間のルートを辿っていましたが、冬の嵐の後にはしばしば新しいルートを見つけなければなりませんでした。
1960年9月7日、エリザベス皇太后によって開通したコーズウェイは、その地域社会に新たな希望をもたらし、フェリーに頼ることなく車両で容易に渡れるようになりました。これは、西部諸島のこの地域における主要交通手段が船から自動車へと移行した最初の一歩と言えるでしょう。施工業者はアバディーンのウィリアム・タウズ・アンド・カンパニー社で、費用は65万ポンドでした。
開通当初、土手道は幅10フィート(約3メートル)の単線で、1マイル(約1.6キロメートル)あたり9箇所の追い越し箇所がありました。しかし、最近、いくつかの区間を完全なS2規格に改良する工事が行われており、残りの区間も今後数年間で改良される予定です。中間島を横断するルートの大部分はすでに完成しており、土手道の一部区間もすでに完成しています。
ノース・ウイスト島のカイリニスを起点とするA865号線は、南東に細長い陸地に沿って進み、最初の土手道区間に到達します。この土手道は、途中の岩だらけの小島を通りながら、ガルブ・アイリーンまで伸びています。その後、非常に短い土手道がアイリーン・ア・ギオールへと続きます。これまでのところ、満潮時に確認できた限りでは、土手道には橋はおろか、暗渠さえも架かっていません。しかし、グリムゼー島へ渡る次の区間には橋が架かっていますが、両側が改良されているにもかかわらず、現在も単線のままです。
グリムゼー島はかなり大きな島で、島を一周する環状道路は約5マイル(約8キロメートル)です。しかし、A865号線は島の角を横切るように走っており、約700メートルで横断します。非常に短い土手道が岩山を横切り、小さな島、アイリーン・ナ・エアリーへと続いています。ここはコーズウェイが通っている最後の島で、最後の半マイル(約800メートル)はほぼ土手道で、ベンベキュラ島に近づく最後の角を曲がる際に岩がいくつかあるだけです。この区間にはさらに2つの橋がありますが、両側が改良されているにもかかわらず、どちらも単線のままです。


 
とのこと。「Claddach Baleshare Road End」バス停付近で、A865から左に分岐するローカル道路を進み、バルシェア島に入る。道の行き止まり(Illeray Side Roadバス停付近)に「デン」して引き返す。
 

道はここで終わっている

 
再びA865に戻り、北上し、Clachan-a-LuibでA867へ折れる。「Locheport Rd End」バス停付近で右に分岐するローカル道路を進み、次の目的地「Shoreline Stoneware」に着いた。ここは、ルイーズさんが制作する陶房である。オフィシャルサイトによると、
 

ギャラリーは、ロシュポート ロードの入り口、オーバン ア クラチェインの海の入り江を見下ろす素晴らしい場所に位置し、訪問者にヘブリディーズ諸島のユニークな景色を提供します。この陶器工場は、ルイーズ・クックが所有・運営しています。彼女は、ノース・ウイスト島のロシュポートにある祖母の農地やその周辺での冒険に魅了されながら、幼少期のほとんどを過ごしました。ショアライン ストーンウェア ポッタリーのすべての作品は手作りで、ユイスト島とバラ島の大西洋岸で集められた自然素材と拾い物の質感をとらえています。
ユイスト諸島は、暮らしにも仕事にも刺激的な場所であり、創造性と芸術的スキルに溢れています。ショアライン・ストーンウェア・ポッタリーでは、地元在住、または島々と深い繋がりを持つ才能あふれるアーティストたちの作品を厳選してご紹介いたします。アクリル、水彩、パステル、写真、ジクレー版画など、様々な媒体によるオリジナル作品を幅広く取り揃えております。アーティストがデザインしたスターリングシルバーのジュエリーや、ノース・ウイスト島のアカシカの角を使った工芸品も取り揃えております。
早朝にロシュポートを訪れると、道路沿いの湖でカワウソがヤドカリを釣っている姿や、たくさんのアカシカを目にする機会がよくあります。大西洋の海岸線にインスピレーションを得たルイーズのショアライン・ストーンウェアの作品は、ヘブリディーズ諸島特有の環境からインスピレーションを得ています。満潮時に打ち上げられた、海岸で風化した自然の海産物が、粘土の表面に繊細な質感を描き出しています。これらの美しい炻器は、ヘブリディーズ諸島の荒々しい美しさを捉えています。釉薬とリサイクルガラスを用いることで、移り変わる光と季節の移ろいが表現されています。各作品は手作りで、ユイスト島とバラ島の海岸沿いで集められた自然素材や拾い物の質感をとらえています。


 
ということだ。青と緑を基調とした釉薬が特徴らしく、形は様々あれど、デザインは統一的である。少し迷ったが、大皿を一枚買うことにした。会計をしてくれたおばちゃんに、「これはあなたが制作したんですか?」と聞いたら「そうよ」と言うので、恐らく彼女がルイーズさんなんだろう。こういう出会いは実に良いね。
 

Shoreline Stoneware

 

こういうのを一枚購入

 
元来た道を「North Ford Causeway」まで戻り、次は、グリムセイ島を攻める。この島は、一昨日、途中まで行って、引き返した島である。グリムセイ島に入ったところ、Baile Glas付近で、島を一周する道路が左に分岐する。この一周道路を、時計回りに周回する。
 
最初の目的地は、「Grimsay Harbour Museum」であった。しかし、それらしき建物を見つけたは良いけれども、入り口がわからぬ。グーグルマップの口コミでは、
 

1930年代に建てられた、この地域の漁業の歴史を詳しく紹介する素敵なボート小屋です。
 
小さくて見つけにくいですが(小さな看板を探してみてください)、きちんと整備され、歴史を語る興味深い一室が設けられています。

 

とのことだが、わからなかった。何回も行ったり来たりを繰り返したが、結局断念、撤退する。
 
次の目的地は、「NAMARA Marine Supplies & Seafood Café」というシーフード店である。ここには期待をしていた。レストランで食べられる魚介料理はまことに素晴らしいと、あちらこちらに書いてある。しかし、ワタクシは現在、料理をできる環境にある。せっかくなので、面白い魚介を買って帰ろうではないか。
 

NAMARA Marine Supplies & Seafood Café

 
入って見ると、奥にカフェレストランがあり、手前に物販コーナーがある。しかし、目当ての魚介は販売しておらず、「釣り具」的なものが並んでいる。「釣り具」ショップとしては、そしてこのような僻地にしては、かなりの品揃えなんだろうと思う。釣り好きの人なら、飽かずに眺め尽くすのではと推察する。しかし僕は、「喰えるもの」を探している。そこで、レジのおばちゃんに聞いてみると、魚介の販売は、「もう一軒」の方のNAMARAで行っているとのこと。確かに地図上には、少し離れた地点に、別のNAMARA(Kallin Shellfish Ltd - Namara Seafoods)がある。予め、調べて知っていたので、訛りのキツいおばちゃんの言葉のほとんどはわからなかったが、事情はわかったぞ。
 

アナザーナマラ

 
車で三分もかからぬところに「別ナマラ」を発見、中に入る。冷蔵ケースの中には、スモークサーモンを中心にカニ身、カニ爪、ホタテ、などが並んでいる。オフィシャルサイトによれば、
 

北ウイスト島カリンにある当店は工場に併設されており、ホタテ、カニの爪、ラングスティーヌ、ロブスターなど、当社の貝類製品を全てお買い求めいただけます。調理済みの商品はもちろん、ご自身で調理される生の商品もご用意しております。当店では、有名なヘブリディアン スモーク サーモンのほか、冷凍白身魚、エプロン、オーブン ミトン、プレースマットなどお客様に喜ばれる商品やギフトも取り揃えております。当社の各製品は、海事をテーマにしており、アウター・ヘブリディーズ諸島の息を呑むような景色を紹介しています。
この小さな島では、何世代にもわたり漁業が産業の柱であり、私たちが事業を展開しているこの地では、ロブスター漁と流通の長い伝統が息づいています。この地に最初の貝類貯蔵施設が設立されたのは1968年、ロンドンを拠点とする企業によって、ロンドンの一流レストランに供給する食材を確保するためでした。創業から25年、施設は近代化と拡張を重ねてきましたが、私たちの目標は今も変わりません。それは、目の肥えたシーフード愛好家の皆様に、この島々やご家庭で最高品質のシーフードをお楽しみいただくことです。
当社は2000年にダンカン・マクレー兄弟とDJ・マクレー兄弟、ヘクター・スチュワート兄弟とドナルド・スチュワート兄弟によって設立され、現在も4人が取締役を務めています。当初は自社漁船の漁獲物の取り扱いと加工を目的として設立されましたが、その後、島内の他の漁船の漁獲物の調達と販売にも事業を拡大しました。
すぐ隣には安全な美しい港があり、そこに「ナマラ・シーフード・カフェ」という人気のシーフードカフェがあります。漁獲物のほとんどは毎日ここで水揚げされるため、出荷・提供される食材の鮮度は保証されています。

 
ということらしい。今回は、カニ身とホタテを購入する。ちなみに昆布も売っていた。かなり惹かれたけど、いかんせん、高すぎた。

 

興味は相当あるよね



 
もちろん、素晴らしい。素晴らしいのだが、日本人としては、やはり「名前」が気になる。なんで「NAMARA」?「NAMARA」って何のこと?ナマラ??北海道の人と、何か関係があるのか??

 

ナマラの前の海(向こうには鳥たち)


 

この貝殻みたいなものは何だ?

 
次の目的地「Uist Wool」、その次の目的地「Ceann na h-Àirigh」と、併設の「Grimsay Boat Museum」、すべて、本日休業。悲しすぎる。特にウールね。去年、アイラでハマって以来、ウールが大好きになってしまった。本場は、アウターヘブリデス諸島の、ノースウイスト島の一つ北にある「ハリス島」と「ルイス島」なのは間違いない。ここは、あの「ハリスツイード」の本拠地なのだ。しかし、今回は、これらには行かない。そして、ノースウイスト島やベンベキュラ島には、ウールの店は、それほどはないらしい。その中で、期待の星が、この「Uist Wool」だったんだけどなあ。月火水しかやっていないんだって。ということは、到着した日(一昨日)や、昨日、行っていれば。。。これは後悔しきり、だ。

 

残念!Uist Wool!


 

Grimsay Boat Museumも閉まっていた

 

ベンベキュラ島に戻り、空港近くの「MacLean's Bakery Benbecula Ltd」へ行く。ここは、
 

1987年からマクリーン兄弟が経営する当店は、ベンベキュラのウアチダーにある小さな独立系ベーカリーです。A865号線沿いにあります。(精肉カウンターもございます。)当店のおいしいパン、ロールパン、ペストリー、セイボリー、オートケーキ、ビスケットは、伝統的な製法で毎日作りたてです。オートケーキとショートブレッドが有名です。

 
とのこと。確かに「オートケーキ」は、これまで、あちらこちらで見かけたぞ。宿にも置いてあった。元締めはここなんだな。しかし、「ベーカリー」部門にはあまり興味がない。そうではなくて、「ブッチャー」部門が気になるよね。未だ出会えていない、地元産の鹿肉とか置いてないかねえ。そう期待して中を覗いたものの、ありきたりの肉しかなくて、撤収する。
 

「ブッチャー」部門は平凡だった

 
そこからすぐのところにある、今度はスモーク専門店「Salar Smokehouse Ltd.」を覗く。オフィシャルによれば、
 

Salar Smokehouse は 1997 年頃にサウス ウイスト島で小さな会社として開業し、初代オーナーが独自の窯を設計、構築しました。私たちは、コミュニティと文化が今も色濃く残る、世界で最も美しく、自然のままの場所の一つに位置しているという幸運に恵まれています。私たちは毎日、素晴らしい景色と、オジロワシ、カワウソ、野生の鹿など、豊富な野生生物に囲まれています。
当店の受賞歴のあるフレーキー スモーク サーモンは、この施設で初めて製造されて以来、数々の賞を受賞しており、私たちは過去の成功を基にさらに成功を重ねることを目指しています。Salar は、2017 年ハイランド アンド アイランズ食品飲料賞で新事業賞を受賞し、また、19 歳ですべての仕事で優秀な成績を収めているドナルド マクラクラン (ヘッド スモーカー) がヤング シャイニング スター賞を受賞しました。
2015 年に、Iain MacRury が同社を買収する機会が生まれました。MacRury は基本に立ち返ったアプローチで伝統を引き継ぎ、有名な Salar ブランドを復活させます。現在、Salarは6名の献身的で高度なスキルを持つ地元スタッフを年間を通して雇用しており、繁忙期には季節労働者も雇用しています。世界中で愛されている当社のオリジナル製品「Flaky」の高い水準と品質は、当社のチームの献身と技術の証です。彼らは皆、多才なスキルを持ち、最高品質のスモークサーモンのみを生産し、究極の顧客体験を提供することに誇りを持っています。


 
とのこと。色々なものをスモークしまくってやるぜ、スモークできるものなら何でもやってやるぜ、的な店を期待したのだが、スモークサーモンが商品の8割を占めていた。別にスモークサーモンでも良いのだが、何か変わったものはないかな。すると、目に入ったのは、スモークではなさそうだが、「lemon sole(カレイの一種)」の切り身だ。これはアリでしょう!購入。 

 

何でもスモークしてやるぜ、的な店かなと思った

 

 

ほぼ、スモークサーモン

 
ちなみに「lemon sole」は、えげれすではまずまずメジャーな魚だが、なんで「レモン」なの?前から疑問だったんだな。wikiによると、
 

レモンソールは、カレイ科のカレイ類です。北ヨーロッパ周辺の浅海に生息し、水深約1,400メートル(4,600フィート)までの石底に生息しています。体長は最大65センチメートル(26インチ)、体重は約3キログラム(6.6ポンド)に達します。この魚は真のヒラメではなく、レモンの味もしません。英名はおそらくフランス語の「limande」または「sole limande」に由来しています。フランス語の「limande」は、フランス語の「 lime」(金属や木材などを滑らかにするための道具)に由来し、おそらくこの魚の皮膚の質感を指していると考えられます。また、「limande」はフランス語の「limon」(シルト)に由来するのではないかと示唆する研究者もいます。


 
うーむ、わかったような、わからんような。ただし、「レモンの味はしません」なんだな(笑)。
 
そこから僅か、今度は「Hebrides by MacGillivray」に立ち寄る。「ベンベキュラにあるマクギリブレイズ・ギフトショップが運営するモダンな小売ブランドで、ヘブリディーズ諸島の生活や風景にインスピレーションを得た製品が揃っている」という。確かに店内には、センスの良い品が並んでいる。僕は、ウールのラグと、魚介の柄の鍋掴みを買おうかなと思った。しかし、念のため、鍋掴みの製造元を調べてみると、なんと、ポルトガル製だった!わざわざここまで来て、ポルトガル製品を買っている場合じゃないわな。せめて、えげれすのものならば、ねえ。
 

Hebrides by MacGillivray

 
次に、ウールのラグを調べてみる。すると、こちらは、ウェールズ産と出る。うーむ、悩みどころだよなあ。確かにこれは気に入った。ウェールズはえげれすである。でもなあ、アウターヘブリデス諸島まで来て、ウェールズのものを買っても、なあ。
 
どうやら、この店は、様々なところから仕入れて売る、セレクトショップ的なところらしい。センスは良いよ、センスは。しかし、地産地消に拘ってくれないかね。せっかく来たんだから、ここのブツが欲しいんだよねえ。
 

魅力的ではあったものの・・・

 
結局買わずに、撤収。目の前にある「ベンベキュラ空港」にも寄ってみる。wikiによると、
 

第二次世界大戦中の1941年から1942年にかけて、この飛行場はイギリス空軍第15沿岸軍(GR)航空団の管轄下に入り、RAFベンベキュラ基地となりました。最盛期には、ベンベキュラ空軍基地とその島々の周囲のいくつかの場所に数千人の兵士が駐留していた。この飛行場は後に、近くのヘブリディーズ諸島ロケット発射場の管制センターとなりました。第二次世界大戦後、この飛行場はベンベキュラ空港となりました。この空港は、スコットランド本土およびヘブリディーズ諸島への定期便を運航しています。これにより、ベンベキュラ島、ノース・ウイスト島、サウス・ウイスト島への重要な交通接続が確保されています。これらの島々はコーズウェイで結ばれていますが、本土からは海路で2時間以上かかります。また、緊急時の救急航空便や、近くのミサイル試験場を支援する航空機にも利用されています。

 
定期便はどれくらいの本数なんだろうねえ。中はこじんまり、しかし、綺麗だった。
 

ベンベキュラ空港

 

荷物を預けるところ

 
一昨日行ったスーパーの隣に、もう一つのスーパー「Lovats Supermarket」がある。こちらは店内はかなり広いのだが、客が全然いなくて、がらんどう、とした雰囲気だった。しかし、遂にここで、鹿肉を見つけた!「Venison Haunch Steaks」(Wild Game from South Uist Estate)を購入!

 

Lovats Supermarket

 

「がらん」感

 

シカ キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

  
ここにきて、なんと、晴れてきた。太陽が顔を出し、青空が見える。想像だにできなかった天候だ。「日光」と「青空」を得ると、一瞬にして「絶景」へと変貌するのがスコットランドなのだ。いつもいつも、いっつもいっつも、雨が降り、灰色の空、それがスコットランドの顔なのだが、天候が一変する、というのもまた、スコットランドの別の顔である。アウターヘブリデス諸島の場合は、ちょっと、「晴れ間」の存在を信じることができないほどに、暴風に冷たい雨のオンパレードだった。しかし、ここもやはり、スコットランドの「一員」だったということか。
 

晴れてキタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!

 
B892を南下し、「Museum nan Eilean, Lionacleit」に行ってみる。「ナンチャラ学校」とあったので、そこの建物ではないだろうと思い、ウロウロするも、やはりここしかない。入ってみると、受付のおねえちゃんに呼び止められる。そりゃ、そうだよね。なんであれ学校だもんね。オレは完全に不審者だよねw
 

色々とよくわからなかったミュージアム

 
「ここはミュージアムですか?」と聞くと、そうだという。ただし、訪問者は記帳し、名札を貰わねばならないらしい。そういうことね。で、入ってみるも、スコットランドの何かに関するタペストリーがずらっと展示されているのみで、これの意味がいまいちわからないので、早々に退散する。
 
ヤツらは、暑かろうが寒かろうが、雨だろうが晴れだろうが、正月だろうがクリスマスだろうが、何にも動じることなくいつも通り「喰っている」訳だが、こちらにしてみれば、「雨の中のヤツら」は魅力に欠けるが、「晴れ間のヤツら」は「絶景のワンピース」となる。ちょうど近場にいたので、車を停めて写真を撮る。

 

なんとなく「こっちをガン見してるなあ」と思ったら

 
すると、なんということか、全員がワラワラと、こっちに向かってくるではないか!
 

向かってくる

 
今までヤツらとは、僕も結構な触れ合いをしてきた。結構なタイミングで、ヤツらに会ってきた。相当色々な場所で、ヤツらを見守ってきた。山肌、海岸、河原、断崖絶壁、などなど、多様な場所で、ヤツらを見届けてきた。しかし、基本的にヤツらは、こちらが近づくと、すごすごと逃げていく。決して「急速に」ではないが、まさに「すごすご」と、遠ざかっていく。それがヤツらの習性だ。オレは、それを、知っている。
 
しかし、ここのヤツらは、なんだか「もぞもぞ」と、決して「急速に」ではないが、まさに「もぞもぞ」と、こちらに向かってくる。しかも、一頭だけじゃなく、そこらへんの全員が、同じ速度で、同じペースで、「もぞもぞ」と、こちらの一点に向かってくるのである。
 
なんでだよ?こんなの見たことないぞ。しかも、一定の速度を保ちながら、前方60度くらいの角度にいるヤツらが、全員、「扇の袂」であるオレの方に向かって、確実に、一歩ずつ、歩みを進めてくるのだ。
 
僕は、クルマの中にいるので、しかも、ヤツらの生活圏とこちらの道路との間には「柵」もあるので、怖いわけではない。しかし、ある種の緊張感はあるぞ。なんせ、ヤツらは、近くで見ると、なかなかの迫力である。
 
ついに、目と鼻の先までやってきた。こうなると、「メエェ」のヒトフシだけでも、臨場感がある。犬みたいに、ワンワンワンワンワン!みたいな「せわしなさ」を出す感じはないものの、忘れたころに耳元でつんざく「メエェ」は、まあまあ、驚くことになる。
 

なかなかの臨場感

 
いやはや、なんなんだ。アウターヘブリデス諸島のヤツらは、人懐っこいのか、はたまた、「人の姿を見ると、餌をくれるものと思って寄ってくる鯉」みたいなもんなのか。しかし、まあ、「ここの場所の」ヤツらだけが、些か変わっているだけなんだろう。
 
ますます晴れてきて、絶景度が増してくる。ロッホも青く、ムーアとのコントラストが冴えている。しかし、改めて思うけど、これらは、「湖」なのか「池」なのか「沼」なのか、それとも、「水たまり」なのか。まったく不思議な地形だなあ。

 

晴れて絶景①

 

晴れて絶景②

 

晴れて絶景③

 

晴れて絶景④

 

何度も言うけど、これは、「川」?「湖」?「水たまり」?

 

「池」なの?「沼」なの?

 

「第二次大戦がなんちゃら」とあった

 

さすがにこれは「海」で良いよね?

 
コテージに帰る途中、またしても絶好の距離感で、ヤツらがいた。今度は逆光で、神々しい風情である。やはり、青空と日光の中のヤツらは、主役なんだよなあ。
 

神々しくさえ、ある

 
ん?また来たぞ?
 

しっかりとした歩みで、少しずつ、にじり寄ってくる

 
もはや、こうなると、やや弱めのホラーやないか。なんでこっちに来るん?
 

ヒッチコックになかったか?「ヤツら」

 
青空の中の我がコテージは、息を飲むほどに素敵な佇まいであった。
 

こうして見ると、風情があるねえ

 
さあて、料理のお時間です。本日は、鹿、カレイ、ホタテ、がある。また、昨日までの残りもかなりある。
 

本日の戦利品

 
鹿は、野菜と炒め物にする。中華風の味付けでいこう。
 

美味い!

 
カレイは、最初は、バター醤油にしようかと思ったが、ホタテと被るので、バジル風味に変更した。
 

美味いよ!!

 
ホタテは、バター醤油一択でしょう。
 

美味すぎるよ!北海道ホタテに負けないくらい、デカくて甘い

 
ということで、これが本日の食卓です。
 

全景

 
明日は最終日。サウスウイスト島に初上陸し、アテを決めずにぶらぶら周遊する予定。

 
おっと、その前に。うずうずしていたことを、最後に言わせてくれ。

 

ホタテ、なまら旨ええぇぇぇぇえぇ(゜▽゜)