えげれす通信、再び

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【新】にっぽん徒然:私小説 (08/08/2023)

僕は以前から、芸術的創作物(絵画でも彫刻でも音楽でも小説でも、あるいは「物」ではないが、演劇でも)というものの「創作」は、果たして、作者の「主体性」から完全に切り離された、つまり、「経験」に引き摺られない、全くの「自由創作」であり得るのか、ということを考えてきた。

 
初めてこのことを考えたきっかけは、僕の一番好きな小説家のひとりで、高校時代にその作品群を七割方読破した井上靖にある。彼は、「しろばんば」「夏草冬濤」「北の海」という三部作、あるいは「あすなろ物語」、などに代表される作品群によって、「私小説」というジャンルを確立した小説家、ということになっている。三部作における一連の主人公「洪作」のエピソードは、ほぼ、氏本人のエピソードである。

 
では、彼の、「じゃない方の」小説群には、彼自身の経験や、経験からくる価値観や、それらから派生した世界観などは、一切含まれていないのだろうか?小説が「自由な創作物」だとするならば、作者は、全く自由に、どんな世界でも、小説の中で描くことが可能だと言えるのだろうか?この疑問はその後も連綿と、僕の中を流れ続け、さまざまな芸術的創作者に出会うたびに、彼らにこの問いをぶつけてきた。

 
例えば「演劇」では、「ジブンを消して役になり切れる」、つまり、「どんな役でも演じられる」役者は、一般的には評価される。しかしながらそれは、「ジブンを消して」はいるかもしれないが、「役の解釈」はジブン流でしかできないだろうし、「解釈の表現の仕方」もまたジブン流にしかならないだろうし、だとすると、やはり、「ジブンは消えてはいない」ということになるのではないか。僕は人文科学系ではなく社会科学系なので、どうしても、「主客の連環」というものに囚われて、物事を考えてしまう。

 
獅子文六という明治の文士に惹かれたのは、彼の原作の映画化作品を多数観て以降のことである。「ゴールデンウィーク」「とんでもハップン」という言葉を生んだ「自由学校」をはじめ、「信子」「やっさもっさ」「青春怪談」「大番」「バナナ」「箱根山」と、これまでに七本の映画を観た。映画で興味が湧いたので、折好く復刊していた彼の著作を次々と読んでいるところである。読めば読むほど引き込まれていくのだが、小説としてのその「テーマ」とか、登場人物それぞれのイキイキとした「キャラ立ち」とか、奇想天外な「ストーリー」とか、それら全てが全く素晴らしい。よくぞこのような、柔軟な発想と展開と描写ができるものだと、ひたすら驚嘆している。

 
彼の小説はそのように、ユーモア溢れるものがほとんどなのだが、他方で、彼の随筆を読むと、なかなかに頑固で気難しい「明治生まれ」のオトコの顔が覗かれる(例えば、笠智衆は、小津安二郎が「泣き」の演出を求めても、「明治のオトコは泣くことだけはできません」と断り続けた。「明治のオトコ」にはそういう印象がある)。そのような、謂わば「カタブツ」なのにも関わらず、彼は、自身の個性や経験などには囚われず「自由」に、天衣無縫に、そのような「創作」を行えるのか?「無いもの」を生み出せるのか?だとしたら、本物の天才なのでは?

 
ところが、「娘と私」を読んでみて、深く納得するところがあった。これは完全なる私小説であり、小説というよりもむしろ、彼の人生の記録、と言っても良い作品である。彼と彼の娘との関係性をひとつの縦糸に、フランス人の最初の妻が娘を産んで亡くなった後、次に貰った妻との関係性を第二の縦糸に、さらに、娘と継母との関係性とそれをヤキモキしながら見守る彼自身の眼を第三の縦糸にしつつ、戦争という衝撃的事件や、青年から中年、そして老境に差し掛かるそれぞれの世代を象徴する彼自身の出来事、また、文士として次第に認められる過程とそれに伴う葛藤などを横軸に据えた、壮大なる人生譚なのである。そしてありがたいのは、その時その時に、彼が何の作品を著していたのかが記されている点である。評論家が、「作品」の背景を「考察する」というのはよくあるが、本人自らが、「作品」の背景を記す、というのは、案外、稀有なことなのではなかろうか。ただ、「作品」とその背景は、「娘と私」の中では、ひとつの「点景」に過ぎない。「作品解説」は、その主題なのではない。主題はあくまでも、三本の縦糸にある。そこが、また、良い。

 
と、なれば、作品を多数読んでいる僕としては、なるほどと思い当たる節がバンバン出てくる。「悦ちゃん」は、オトコやもめの父親が、悪戦苦闘しながら一人娘を育てる話だが、あれはまさに、彼の人生そのものではないか。しかも、オトコやもめの父親が最後に再婚する相手のキャラは、当時、まさに、同じ状況にあった獅子文六が、相手に求めるキャラであったという。彼は当時、娘を育てることにホトホト参っており、「母親」「妻」という役割を果たせる相手をシンから求めていた。特に「継母継子関係」のこじれがないような、こじれをうまないような、そういう優しい女性を求めていた。また、文士として、食えるか食えないまま終わるか、かなりキワの状況だったらしく、仕事に没頭できる環境にも渇望していた。結局、「ジブン」を持ちすぎる、自立心溢れる女性の方は断り、あまり見目麗しくはないものの優しい気持ちを持っている女性の方を選ぶ。その後の結婚生活では、「再婚」「継母継子」からどうしても生ずる多くの困難に見舞われたものの、それを克服していく過程が、第二の縦糸として、イキイキと描かれるのである。

 
「胡椒息子」に登場する「ばあや」にもモデルがいた。「信子」の登場人物の名前にも、戦前ならではの事情を反映した経緯があった。「海軍随筆」は、彼を破滅に追いやったかもしれない、戦後のパージの原因となった彼の小説「海軍」に関するこぼれ話である。「やっさもっさ」に出て来る、米兵とパンパン、そして産まれる混血児たちの事情も、それを取材した経緯が記されている。彼と娘と妻が、街でバナナが売られているのを発見し、娘は驚喜するが、彼と妻は「バナナ如きに」と冷静に捉える挿話も、戦後のバナナの輸入割当(と、ある種のブーム)を題材にした「バナナ」を彷彿とさせる。妻に先立たれて、一人娘の結婚を気に病んでいる老父が、なんとそこから、自身の再婚に踏み切ることをテーマにした「青春怪談」は、二番目の妻も喪い、娘の結婚が決まった時期の、老境に差し掛かった獅子文六の葛藤そのものだ。

 
そして、一連の小説の中で、ひときわ印象深かった「自由学校」は、戦前はバリバリ働いていたオトコが、戦後に心身を喪失し、腑抜けのようになる話である。獅子文六の小説なので、テーマはなかなか重たいものの、主人公の腑抜けさが実に剽げていて、全く暗くないどころか、おかしみさえ感じられる。しかし、戦争を全く知らない僕には、この主題は、やはり最後のところで、わからないのだ。「事実の推移」について、アタマで理解はできる。しかし、当然ながら、当事者感覚は伴わない。ところが、彼自身の背景と事実と、彼自身の感情を、「娘と私」で知った時、理解は一歩、深まったような気がした。運動とか思想とかではない、単純なる「母国を想う気持ち」や、美談や神話化ではない、しかし厳然たる「戦時下の各種事実」や、戦後の日本人の、「アメリカにおもねる変わり身の早さ」や、そして、戦争などまるでなかったかのように簡単に切り替えている、「アプレたちの姿」などを、一度に、短期間に、浴びることで、アタマが追いつかなくなる状況。自身が体験した訳ではないものの、この世代には色濃く伝わっていただろう、「幕末から明治へ」の社会的変遷と同様に、この時代の大きなウネリは、一方ではノスタルジー、他方では「新たなもの」への反感、という化学反応を起こしたのだろう。そして自家中毒をおこし、虚脱に陥ってしまったのだろう。永井荷風にも通じるこの「気難しさ」は、「明治のオトコ」の特徴であると同時に、一種の「自己防衛反応」なのかもしれない。

 
「自由な創作者」だと思っていた獅子文六は、実は、波瀾万丈の人生の持ち主であり、奇想天外な展開をもつ彼の小説群は、実はそれらを十分に反映させたものであるということがわかった。最初の問いに戻れば、やはり、「主体性から切り離された完全なる創作物」というのは困難であると言えるのかもしれない。ただし、「小説」は「小説」である。モチーフは自身の経験かもしれないが、構成や筆致など、その経験を「料理する腕」が、小説家としての真骨頂である。そう考えると、やはり、獅子文六は、素晴らしい腕をもった料理人だと言える。

 
…以上、ここまで書き終えたら、書き初めは浜松だったのに、もはや沼津に着いてしまった。退屈極まりない静岡が、こんなにも早く済むなんて!(18きっぷで、大阪→東京移動中)