えげれす通信、再び

20年ぶりに復活しました

【旧】えげれす通信_vol38:疑惑 (18/04/2000)

今、世の中的には、イースター休暇中。今週末に、「一応」キリスト教国のえげれすでも、ビックイベントと目される、「イースター」がやってくる。その前後にある、金曜日(グッドフライデー)と、翌月曜日は、共に、「バンクホリデー」という、何の変哲もない名前が冠されている祝日である。要するに、週末皆休日なわけで、この休日の少ない国にとっては、貴重な連休である。ただし、そもそも休暇中である学生にとっては、何の恩恵もない日々である。

 
うちのオオヤは、特に仕事もせずに、ひがな一日ぶらぶらしている。そういうヤカラにとっても、この貴重な連休の恩恵は大してないはずである。ただ、それと関係があるのかどうかは兎も角として、うちのオオヤは、今、韓国に里帰りをしている。…従って、この家は、僕の天下なのである。

 
こんな嬉しい状況はまたとないので、僕は、奴の帰省話を聞いたときに密かにかなり喜んだ。

 
「めちゃめちゃしたる・・・」

 
奴の帰省目的を知る由もないが、巷の噂では、

 
「奴は、韓国人と偽っているが、実は北の人間である。帰国は、諜報本部への報告のためである」

 
そして、いまいち毎日何をしてるのかわからない奴の生活パターンについては、

 
「テポ◯◯製作」

 
という噂が、まことしやかに囁かれている。そして、そういうことであれば、僕の部屋も、また、

 
「盗聴されているに違いない」

 
ということに、当然、なる。

 
先日出奔した、先の同居人、李さんも韓国人である。彼が遂に出て行くことになった主たる原因は、二人の間で繰り広げられた「大規模な口論」であったらしい。しかしその内容についても、数々の疑惑がある。例えば、

 
「口論で仲違いしたと見せかけて、実はそこいらに潜伏」

 
等と、物騒な噂はつきない。

 
それはさておき、兎にも角にも、奴は今、不在である。ということは、やりたい放題である。ノメヤウタエヤの大騒ぎが可能である。僕は、来るべき輝かしい未来を胸に秘めながら、朝早く、ヒースローに向かうオオヤを笑顔で見送った。

 
「自由」という二文字が、アタマをよぎる。ここは、名実共に、オレの城なのだ。さて何から始めるか、そういう楽しい思考を繰り広げていたとき、玄関が開く音が聞こえた。

 
僕は、常日頃から、なるべくオオヤとは顔を合わさないようにしているので、このときも、部屋から出なかった。忘れ物で戻ってきたのかな。しかーし、夕方になっても、なんとなく微妙な気配が、オオヤの部屋から聞こえてくる。

 
「奴のフライトは、午前中だった筈だ」

 
僕は、混乱した。

 
踊らされている?
情報操作?
偽装工作か?

 
夜になっても、何となく漂ってくる気配に、僕は耐えられなくなり、トイレに行く振りをしつつ、何となく様子をうかがいに行った。すると、同時に、オオヤ部屋のドアがギーっと開く…。

 
ぎょっとして見ると、そこにいたのは、えげれす人のおっちゃんである。しかもこの人、なんか前に見たことあるぞ。

 
しゃべってみると、オオヤの友人のフランクであった。オオヤは、自分の部屋の情報の漏洩を怖れて、見張りをおいたのか?いずれにしても、彼は今回、オオヤ部屋に泊まっていくらしいということを聞いて、僕はかなりの程度失望した。誰であれ、他に人がいれば、バカ騒ぎは流石にできない。

 
…とまぁ、これは数週間前の話である。それ以来、フランクは、時々やってきては、泊まっていったようである。僕は、そういうわけで、また以前通り、なるべく家人と顔を合わせないようにする生活を続けた。

 
さて、これは昨晩のこと。僕はいつものように、夕方から、台所で料理をしていた。すると、玄関が開く音が聞こえて、フランクが入ってきた。彼は、Take Awayのカレーを買ってきたらしく、皿に開けると、キッチンで食い始めた。

 
こんな場合、もしこれがオオヤならば、奴は、僕が台所にいるときには、決して入ってこないのだ。仮に入ってきても、用事を済ませると、出て行く。互いに干渉しないというのは暗黙の了解になっている。然し、フランクは、客人である。加えて彼は、えげれす人である。社交性にかけては、あるいは、感じ良さにかけては、他国人に決して引けを取らないえげれす人である。この家の暗黙の了解は知らないだろうし、また、その前提となっている関係性もそもそもないので、彼はテーブルに座って、食い始めた。

 
僕は内心困ったなと思った。これから先、まだまだ料理には時間がかかりそうなのだ。久しぶりに買い物に行って、久しぶりにリキ入れて料理をしようと思った矢先のことだから。

 
然し、僕は、こういう場合には、社交的に振舞うことにしている。相手はオオヤではなくフランクである。ここはフランクにいかねばならぬ。

 
すると、話してみて気づいたのは、オオヤの友人の癖に、然もオオヤのことを「彼はいい奴だ」と言っている癖に、フランク自身がかなり「いい人」であることが分かった。

 
おいおい。「ルイ友」はえげれすには存在しないのか?!

 
彼は、一通り自己紹介をした。それによれば、

・自分は、スコットランドアイルランドの血を受け継いでいるが、生まれはイングランドである。
・嫁はラトビアの女性だった(12年前に亡くなった)。
・一男二女がいて、現在は娘の家に同居。
・義理の息子はトルコ人
・甥は日本人の女性と結婚した。
・嫁が亡くなった後、中国人の女性と暮らしていたことがある。

 
いやはや、倫敦では珍しくはないとはいえ、物凄いファミリーヒストリーである。国際結婚だらけじゃないか。

 
「でも、僕は、国籍や肌の色で偏見を持ちたくないんだよ。racismはラビッシュだ」

 
と、まぁ、100点満点の発言をする。とてもじゃないが、あのオオヤの友達とは思えない。オオヤは、

 
「オレは差別をする。差別のどこが悪い」

 
と高らかに宣言しているようなヤカラである。そんなだから、フランクはとっても、尊敬に値する人物であると僕は思った。然も、ユーモアのセンスはあるし、話は面白い。甚だ社交的であり、甚だ気遣いが行き届き、甚だ感じが良い。それでいて、亡くなった奥さんの話になると、とっても遠い目をして、

 
「彼女は素晴らしかった・・・僕には過ぎた女性だった・・・」

 
そして、

 
「僕は、彼女を愛していた。とても、とても・・・」

 
うう。なんて素敵なおっちゃんや。惚れてまうやろ。歳は62だと言っていたけど、彼に限らず、えげれすの年配の人たちは、とってもパートナーを大事にする。チャーミーグリーンのCMは、日本では妙味があるけど、この国では、そこらじゅう、チャーミーグリーンだらけである。珍しくも何ともない。

 
フランクの、奥さん回顧談は、少々くどいところはあったけれども、僕は相応のrespectを以って聞いていた。

 
何度目かのときに、彼は、またその奥さんのことに触れ、

 
「僕の人生は成功だった。素敵な両親。素晴らしい妻。最高の子供たち。そして、4歳の孫。彼女はとってもとってもゴージャスなんだ」

 
そう言って目を細めた後、

 
「然し、12年前・・・」

 
と言って絶句した後、そっと泪を拭いた。

 
なんだなんだ?!
何があったんだ?

 
なんと返したら良いかわからなくなり、なんとなく場もしけてきたので、話題を転換した。僕は、行ったことのあるえげれすの街の名前を挙げてその印象を語り、彼も仕事であちこち行った経験があるとかでそれらの印象を語り、なかなか盛り上がった。そして、シェフィールドの話になったときに、僕がふと、

 
「こっちに来るまで、金の方がいいと思っていたけど、こっちに来て、この国の銀細工が如何に素晴らしいかに気づきましたよ」

 
というと、彼もノッてきた。

 
「僕も銀が好きだよ。『ロンドン・シルヴァーヴォルツ』には行ったかい?」
「勿論。あそこは素晴らしいですね。小さい店が集まっている、市場ですが、見ているだけでも気持ちいいものです。然もいいことに、それは僕の大学のほぼ隣にあるのですよ。だから、僕はしょちゅう覗きに行っています。…たとえ大学には行かなくとも、ね」
「はっは。それはいい。僕のこの指輪。こっち(左の薬指)は、妻から貰ったものなんだ。だいぶ昔だけど。で、こっち(右の薬指)は、二年前くらいに…ただし、男からプレゼントされたんだけどね(笑)」
「はぁ。僕も銀の指輪は好きで、時々買っています。残念なことに、まだ女性からプレゼントされたことはないですがね」
「はっはっは。まぁ、そのうち、そのうち(笑)」

 
フランク、良い奴すぎるぞ。オトコからも指輪をプレゼントされるなんて、きっと、友人も多いに違いない。なんでオオヤの友人なんだ?共通項が全くないではないか。何が二人を結び付けたんだ?

 
話していくうちに、彼は、えげれすの名門、ダーラム大学を出ていることがわかった。この国では、大学卒ってのは、日本みたいにありふれているものではない。それだけで既に、階級は「ミドルクラス」に位置することになる。道理で英語も、アクセントが綺麗である。

 
そんなこんなで、ひとしきり盛り上がりつつ、我々は結構飲んでしまった。彼は高血圧だとかで、酒量は自粛モードらしく、

 
「さて。これ一杯飲んだら、寝るとするか」

 
と言うし、こちらも「そろそろ」と思っていたので、

 
「そうですね」

 
と言って、最終着陸態勢に入った。

 
いやはや、今日は楽しかった。オオヤと飲んでいたら、こうはいかない。奴に話を合わせるのは、かなりの苦痛である。でも、フランクの場合は、話していて楽しいし、勉強になることも多い。そんなこんなを感じながら、僕は最後の一杯を飲み干した。

 
「さて」と見てみると、彼はまだグラスの中にウィスキーを残している。彼が、一寸だけぎこちない笑みを浮かべた。それが恐るべき予兆だと知る術もない僕は、

 
「いいですいいです。ゆっくり飲んでください」


と愛想よく言って、しばし待っていた。

 
なんというか、「そのタイミング」は、相撲で言ったら中入り後、野球で言ったら七回裏のふーせん飛ばし、何となく隙間が一瞬空いた感じであり、会話のラリーが途切れた、「エアポケット」的頃合いであった。ただ、その「途切れ」が、ある種の「意図」によるものだとは気づかなかった。

 
僕は、自分だけ先に寝床に戻るのも礼に反すると思ったので、彼が最後のグラスを飲み干すまで待っているつもりだった。

 
僕は、ただ、待ち、彼のぎこちなさは、その後も続いた。彼は時々、

 
「Are you all right?」

 
とか、

 
「Are you happy?」

 
とか、そして、

 
「Were you happy with me?」

 
とか聞いてくる。評価を気にするのはこの国の特徴だから、僕は一応、そして虚偽ではなく、

 
「いやいや、とっても楽しい時間を過ごしました」

 
と返していた。彼は、残りのウィスキーを嘗めながら、しかしやはり、何だかぎこちない。

 
彼のグラスの残りがが大方なくなったので、

 
「それじゃ、おやすみなさい」

 
と言おうかと、口を開きかけた刹那、その一呼吸前に、彼は、立ち上がり、そして「悪魔の言葉」を囁いた。

 
「...I can't sleep without you.」

 
ぎゃあああああああああああああ。

 
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僕の貞操がどうなったかは、ご想像にお任せするとして、いやはや、聞いてはいたけれど、この国の、そちらの「実情」を目の当たりにして、何と言うか、或る意味勉強になった。モノゴトはこういう風に展開するのか。人生でまったく初めての経験なので、予測とか全くできなかった。僕自身は、衆道には全く興味がないので、怖れを感じると言うよりは寧ろ、感心してしまった。それにしても、こんな劇的な結末を迎えるのであれば、写真を一枚撮っておくべきだった。オオヤの写真もまだ撮ってないし。

 
・・・と、色々思いを巡らせているうちに、はっと思った。何故、オオヤが、一見何の繋がりもなさそうな、彼を「友達」と呼ぶのか??

 
ま、まさか。

 
ぎゃあああああああああああああ。