えげれす通信、再び

20年ぶりに復活しました

【旧】えげれす通信_vol35:キーパーの悲哀 (09/03/2000)

「有名希望」という言葉がある。人間なら誰しも、脚光を何かしら浴びたい、そして名前が売れたい、存在感を示したい、そんな願望は誰しもあるだろう。

 
今日は、欧州選手権の一つであるUEFAカップというフットボールの試合、「チェルシー」vs「マルセイユ」の完全地上波中継があった。最近では、フットボール国際試合の地上波中継がとても少なく、カネを払ってケーブルに加入しないと見られないという、哀しい状況がある。しかしこのところ、地上波テレビ局ITVは、とても頑張って中継をしてくれている。まあ、主に、マンチェスターUTDと、チェルシーの試合に限られるのだが。

 
今日は、チェルシーマルセイユの試合である。最近は、毎週水曜日に中継があるので、地上波しか見ることの出来ない僕には嬉しい限りである。

 
ちなみに僕は、えげれすに来るまでは、フットボールなぞ、まるで知らず興味も無く、基礎知識はなかった。ベッカムが誰なのか、イングランドがどの程度強いのか、ルールはともかく、フットボールをめぐる情勢と言う奴は全く知らなかった。えげれすに来てから、日本ではさっぱり興味がなかったフットボールを「知ろう」という態度に切り替えたのだが、それは基本的に、「(住んでいる)この国の文化を理解するため」という人類学的興味関心以外の何物でもなかった。しかし、知ってみると、なかなかに面白い。

 
試合がある日は、どこのパブに行ってもめちゃめちゃ盛り上がっている。街には、色とりどりの化粧(なのか?)を施したにぃちゃんねぇちゃんが溢れている。矢張りフットボールは、この国の文化の一つである。

 
今日の試合を見てて思ったこと。いや、昔から思ってはいたことだけど。僕も男の子だったもので、校庭でサッカーをやっていた自分のガキンチョ時代を思い出す。

 
キーパーというポジション。あれは一体如何なるものか?

 
キーパーが脚光を浴びる試合ってのは、味方にとって、芳しい試合ではない。それだけ危険が多いということだから。どちらかと言うと地味な役どころである。ゆえにガキンチョの時分、サッカーのキーパーとか、はたまた野球のキャッチャーとか、そういう地味な役どころに、敢えてなりたがる奴ってのはあんまりいなかった。

 
キーパーはともかく、キャッチャーなんてもんは、ただ太っているだけの奴が、太っているってだけの理由で、理不尽に、

 
「お前、キャッチャーや」

 
と、押し付けられるものだった気がする。あとは、人数が足りないときに、攻撃側がボランティアでやったり、あるいは「壁」がその代役をしたりして、とにかくあまりぱっとしたものではなかった。ガキンチョの世界というのは、残酷で理不尽なものである。例えば、

 
苗字が「高木」→確実に「ブー」と呼ばれる
苗字が「セコ」→「足が速いヤツ認定」

 
のようなものだ。キーパーは、そこまで虐げられた業種ではなかったと思うけど、華々しさからは程遠いポジションだったことは否めない。

 
さて、今日のチェルシーの試合である。チェルシーは、倫敦を本拠地に置く人気チームに違いはないんだけど、一応は(今のところは)まずまず国内出身者の割合が多いマンチェスターUTDとは異なり、殆どのレギュラーが外国人という、いわばカネに任せて各国のスター選手を買い集めている外人部隊である。その辺を考えると、日本野球でいう巨人みたいなものなんだが、それはそれとして、強いことは強い。

 
今日の相手はマルセイユである。フランス軍がどの程度強いのかってのは、各批評をみても、正直わからないのであるが(ワールドカップで優勝したっていうのに、今度の欧州選手権の優勝予想にはさっぱり名前が挙がらない)、彼らはラテン系である。しかもマルセイユは漁師町な訳で、やることはえげつない。結構なラフプレイもあるし、試合はなかなか荒れてきた。

 
試合は結局、前半戦、確か彼はイングランド出身だったと思うけど、デニスワイズが決めた一点を守りきって、チェルシーは勝利をものにした。ただ、その結果は、ここでは問題ではないのだ。そうではなくて、キーパーという役柄の悲哀がテーマである。

 
チェルシーのキーパー「De Coey」は、髭づらハゲかけである。欧州のこゆい人たちに多い、「髪なのか髭なのか」「剃っているのかハゲているのか」の境目が絶妙なタイプである。何となく、わがタニムラに似ているので昔からなかなか親愛感が湧いているんだけど、それはともかく、今日は相当な好セーブを連発していた。一度なんか、敵の、ゴール前でのオーバーヘッドキックを弾いて止めた。あの動きはなかなかのもんだった。オーバーヘッドキックなんて、キャプテン翼しかやる奴はいないだろうと思っていたから、それはそれで、見られただけで満足だったんだけど、よくよく思うのは、キーパーって奴のココロね。どうも我々は、

 
「キーパー=落ちぶれたもん」

 
あるいは、

 
「キーパー=ブー」

 
的な見方がつきまとう。彼らは、果たして、フットボーラーになった当初から、

 
「オレは世界一のキーパーになったるんや」

 
と、春団治的な「青雲の志」を抱いて、意気込んでいたのだろうか。

 
キャッチャーの方で言えば、ドカベン、あるいはヤクルト古田、そこらへんの功績によって、現在ではある程度、地位が向上している。しかし、だからといって、いくら古田がしびれるようなサインを出しても、脚光を浴びるのは、ピッチャーの高津である。ドカベンは信じられないような術策をもってリードしたけど、あれは里中がいての話である。

 
キャプテン翼で、如何に若島津がいいセーブをしても、やっぱり主役は、ツートップである、翼&岬になる。サッカーで言えば、ポジションは、FW、MF、DF、があるけど、一番目立つのは、何と言ってもFWだよなあ。ゴンやカズは、矢張り主役になる。中田の出現で、しかもイングランドの場合はベッカムの出現で、MFが脚光を浴びているけど、矢張り主役は、ゴールを決めるFWである。渋いところで、井原や秋田のDFってのもいい味だしているけど、それは、河合や篠塚が二番打者でいい味だしている、みたいなもんだ。

 
で、最初の議題「有名希望」。人間、誰しも、有名になりたい願望はあると思うんだけど、自分の立場や状況、技術等、意志じゃどうにもならない状況が出てくる。そこで最初の岐路が現れるのかもしれない。フットボール選手になろうと思い、あれこれあって、その岐路で、どのポジションを目指すのか。「有名」になりたければ、あるいは脚光を浴びたければ、キーパーを選ぶという選択肢は、あまり考えられない。

 
性格によって、色々だと思うけど、

 
1.地位に拘らずに、無難に流れる。
2.失敗しないように、石橋を叩く。
3.あくまでも意志を貫く。

 
僕は多分2かな。そこまで有名になりたいとは思わない。それと、もう一つ、置かれた場所に幸せを見出すのは僕の得意とするところなので、きっと、それなりにやると思う。しかも、将棋で言ったら棒銀、つまり保証をもたない限り進まないけど、保証を持ったら、そこからじわじわいやらしく攻める感じは好きなので、案外、DFとかは好きかもしれない。

 
友達に、某有名大学ラグビー部元主将というのがいて、彼のおかげで、去年、ラグビーワールドカップを見に行く機会を得たんだけど、そのとき彼に、色々とラグビーの戦術を教わった。彼曰く、「しんどいポジションばかりではないんですよ」。何でも、前線にいて、もみくちゃにされる奴らは、そういうの専門で、それ以外の人間は、頭脳の方をより使うのだと。前線の連中が、アタマを使っていないって訳じゃ、勿論ないけど、それにしても、体力勝負のみかと思っていたラグビーが、あれほどまでに頭脳プレーだったとは、恥ずかしながら、彼のおかげで初めて知った。

 
今日の「De Coey」は、ハゲ面のくせに、よく働く。左に飛び、右に跳ね、とっても運動している。兎に角、画面上、よく動く。髭も揺れる。少ない頭髪も風になびく。彼の躍動を見ているうちに、彼は一体、どういう少年時代をすごしたのか、が気になり始めた。昔からキーパーだったのか。昔からキーパー志望だったのか。春団治的志を貫徹させてきたのか。はたまた「ブー」的展開を歩んできたのか。

 
当初から「キーパー」を目指す春団治系子どもがいるとしても、彼は、何かしら、「世間を斜に見ている」ように思われがちではないのか、と感じるのは偏見なのだろうか。どうにも、キーパーの人生に興味がある。

 
それとも彼は、昔は、周りが舌巻く、颯爽としたFWだったのかな。FWってのは、技術以外に、性格も重要であると思う。ゴンにせよ、カズにせよ、城にせよ、野球のスラッガーで言えば、清原とかカケフとか、「攻撃的選手」としての大成には、何だか技術以外に性格が関係している気がする。そこで、技術が高かったとしても、上記の1と2の性格の人は、何となくそこからMFになったり3番になったりするんじゃないのかな。やはり、「をらをら」系の奴が「攻撃的」で居続けられるってことではないのか。そして彼は、颯爽としたFWだったものの、案外性格は優しく、1とか2の要素を持っていて、「ブー」的きっかけでキーパーに流れたのかな。

 
こう考えると、スポーツってのは、なかなか奥が深い。

 
マルセイユ@漁師集団は、なかなかの善戦を見せたけど、結局、チェルシー外人部隊が、虎の子の一点を守って勝利した。

 
名前は忘れたけど、一人のチェルシー選手が、ゴール前、ヘディングでカットしようとして、ヘディングが不発に終わった。

 
ヘディングの不発。アタマが、空を切るということである。当然彼は、バランスを失って、ほぼ一回転して、しりもちをついた。

 
日本なら、「珍プレー好プレー」になるシーンであるが、えげれすにはそういう番組はない。