えげれす通信、再び

20年ぶりに復活しました

【旧】えげれす通信_vol34:激走バス (27/01/2000)

物事に、光と影の部分があるのは世の常なわけで、全てが素晴らしいというのはあり得ない。今回は、倫敦のバスの話である。

 
ご存知のように、倫敦のバスは、有名な二階建てダブルデッカーと、一階建てシングルデッカーがある。更に、ダブルデッカーは、車掌が乗っていて、自動ドアなし乗降自由型と、ワンマンで、停留所でしか自動ドアが開かない型とに分かれる。

 
この、有名な倫敦バスは、実は、かなり優れている。まず、倫敦の大抵の道を網羅している。この国は、ローマ人が攻めてきて以来、道というものは、東西南北縦横無尽に、しかも無秩序に広がって作られている。行き止まりなんかも多い。しかし、そういう道は例外として、「幹線道路」とみなされるような道には、おしなべて、バスが走っている。系統番号によって、行き先とルートが分かるようになっており、しかも、「途中まではルートが共通だが最終目的地が違うバス」同士の番号が、何かしらの共通性を持たせて、ふってあるというわかりやすさである(16と316とか、13と113とか、139と189とか)。バス停には、ゾーンが明記され、自分が今、何ゾーンにいるのか一目でわかるし、地図も必ずついていて、行き先も調べやすい。この「バス地図」もまた、地下鉄マップに負けず劣らず、デザインとその使いやすさにおいて、実に素晴らしい(バスについては知らないけど、地下鉄マップは、19世紀後半に地下鉄が開通したとき以来、デザインを変えず、書き加えているだけらしい)。

 
更に更に素晴らしいのは、ナイトバスである。これまた、昼行の路線の殆どをカバーしているのではないかと思えるキメこまやかさで、基本的には、昼行路線の系統毎の統合によって運行されている。主要区域では、24時間、大体コンスタントに、30分から一時間間隔で来るのである。

 
定期市内観光バスも、これは会社が違うけれども、こちらもキメこまやかに走っている。観光客は、クソ寒い真冬の日でも、たとえ小雨が降っていたとしても、今日みたいに、放射冷却で、気温はほとんど零度に近いのではないかと思われる日でも、必ずといってもいいほど、二階席に座っている。確かに景色はいいに違いないし、僕も、普通のダブルデッカーバスに乗るときは、大体二階に行くけれども、観光バスの場合、屋根がないのだよ。それでも、観光客たちは、絶対に二階に座るのだよ。

 
寒いやろ、自分ら。

 
でも、ガイドも大概、二階で実況中継をするから、仕方ないのだ。

 
とまぁ、挙げればきりがない、倫敦バスの素晴らしい点。しかし、これだけで終わってしまうと、さっぱり面白くないので、その実情を書きましょう。

 
何故これを思ったかというと、今日、大学からの帰り、バスで帰ってきたら、この運ちゃんが、かなりハードな走りを見せてくれた。そもそも、倫敦のバスの運転ってのは、恐ろしくエッジがたっている。大阪で8年間暮らし、そのうち3年間、宮城ナンバーのプリメーラで、和泉ナンバーのレビンとかインテグラとかを「おらおら」いわしながら走っていたこの僕でさえ、まだなかなか慣れないほどのエッジである。

 
どう凄いかというと、基本的に、まず、倫敦の車道の車線は、ものすごく狭い。しかも、道路には、安全地帯の盛り上がりだの、左折不可のところには、左折できないように誘導する盛り上がりだの、反射板付きの盛り上がりだの、そういう「盛り上がり系障害物」がとっても多い。そこへきて、今日乗った「189系統」などは、あのオックスフォードStを通る。オックスフォードStは、道幅自体がそもそも狭いところにきて、対面通行である。最大の繁華街なので、道の両側は歩行者で溢れ、バスはアホほど通る。

 
おフランスの、おーシャンゼリゼなどは、あまりに広すぎた車道(確か8車線だかあった)のいくつかを、歩道に作り変えたとかいう歴史を持ちながら、それでもまだ悠々とした道である。かたや、えげれすを代表するオックスフォードStは、上野のアメ横、あるいは大阪の黒門、仙台の駅前朝市、みたいな、恐ろしくごちゃごちゃしている道である。そこに、ひしめくように、バスが走る。すれ違うときに、互いにぶつかりそうになるくらい、道は狭い。

 
ここまでなら、「やや、せわしない道」で終わる話だが、それだけでは終わらないのがえげれすである。実は、この国では、ちゃりんこは、車道しか走っちゃいけない。歩道を走ると、法規違反である。

 
バス同士が、すれ違うだけで、互いにぶつかりそうになるくらいの幅の道、しかも、うじゃうじゃバスが通る道を、同じくらいうじゃうじゃと、ちゃりだーが走っている。

 
僕は高校の時、ちゃりで片道45分かけて通学していた。かなりの「つわもの」だという自負心があって、例えば、片側三車線の道を右折するときなど、ちゃりのくせに、右折レーンに進入し、右折灯が点くまで先頭で信号待ちしていたもんだ。この話をすると、大抵驚かれるけど、実は倫敦では、「そうしなきゃならない」(笑)。

 
だから、心臓が弱い人は、こっちではちゃりには乗れないのかと思うけど、案外そうでもない。カッコいい、ビジネスウーマンのおねぇちゃんとかが、会社終わりに、ライダースーツに着替え、ヘルメットと、キャシャーンマスク的なモノを装着し、仮面ライダー的グローブをはめ、反射板つきジャケットをまとい、ちゃりにまたがるのである。こういうねぇちゃんは、結構多い。

 
チャリダーはみんな、結構な「つわもの」である。バスも、さくさく抜かしていく。あの加速力は大したもんだ。バスはバスで、自分の前で信号待ちをしているちゃりを、青になったとたんに煽るという、大阪的行為はあまりしないものの、チャリダーチャリダーで、バスと同じくらいのタイミングで進みはじめ、バスの初速と同じくらいのスピードにちゃんとのるのである。この、よくよく考えれば、強靭といえる身体能力を兼ねそろえていないと、倫敦の車道は走れない。

 
そういう、新造人間仮面チャリダーたちがうじゃうじゃいるオックスフォードストリートである。然し、これだけでは、終わらない。さらに、新造ではない、仮面でもない、普通のツワモノ人間たちもまた、ここにはうじゃうじゃいる。

 
デンマークの横断歩道で思ったことがある。

 
「何で渡らない?信号は赤だけど、車は来ていないだろう」

 
大阪暮らし、えげれす暮らしを経た今では、自然にこう思うようになった。しかし、かつて、仙台人の僕が、初めて大阪に行った時には、衝撃的な出来事があったのだ。

 
僕は、大阪市内のとある横断歩道で赤信号を待っていた。すると、そこで交通整理をしていたおっちゃん曰く、

 
「はよ、いき」

 
これには衝撃を受けた。・・・あんた、法規を守らせるのが仕事ちゃうんかい。

 
初めて行った外国は香港だったけど、あそこの信号無視も凄かった。今にして思えば、あそこもえげれすの子分だったよな。

 
親分、えげれすでは、歩行者の信号無視率はすさまじい。然し、信号無視は、歩行者に限定される。車が無視しているのは見たことがない。兎に角、横断歩道があろうが、なかろうが、信号が何色であろうが、どんだけ車線が多かろうが、どんだけ通行量が凄まじかろうが、みんな、さくさく渡っていく。

 
このツワモノウォーカーたちは、絶妙のタイミングを持っている。車が両方向から来ていようとも、さらに片側二車線道路で、計4台の車が、自分の方に向かってきている状況だとしても、自分のタイミングで「見切り」をつけると、躊躇せずにスタートを切る。この「見切り」を誤ると、大惨事になると思うんだけど、見事なタイミングで見切るのだ。然も、大抵は、走ったりはしない。悠然と、チップスかをなんか食いながら、歩いて渡るのである。

 
これは、4台の車の方向とスピードを計算し、そこに自分の目的地までの距離と自分の歩行速度を勘案し、「いける」という確信の下にスタートを切る、という一連の動作である。その「見切り」が外れない限り、安泰なのである。

 
そっちがそっちなら、こっちもこっち。車を運転している時、前で歩行者がスタートを切ったとする。しかしここで慌ててはいけない。こっちはこっちで、向こうがきちんとこちらの速度を考えているという確信があるので、当初のスピードを緩めたりはしない。緩めれば、彼らの計算が狂い、惨事になる。そして、全ては自己責任なのだ。

 
だから、チップスなんかを食いながら、「見切り」スタートをきったとき、仮に途中でチップスを落っことしたとしても、それを拾うためにしゃがんだりすると、計算が狂い、轢かれることになる。

 
「飲んだら乗るな。乗るなら飲むな」
「飲んだら吐くな。吐くなら飲むな」


 
と、同じく、

 
「落ちたら拾うな。拾うなら減速するな」

 
この鉄則を守らねばならない。そして、全員が同じ鉄則を遵守することで、社会の安寧が導かれる。

 
というわけで、オックスフォードStの夕方などには、

 
「ハードな走りを見せるバス」
「新造人間仮面チャリダー
「見切りウオーカー」

 
が、うじゃうじゃいるのである。それはそれは、慣れていない人にとっては、冷や汗もののカオスである。さらに、彼ら、特にウオーカーは、ワカモノのみ、というわけではない。

 
じいさんも見切る。ばぁさんも見切る。
ベビーカー押したおかぁちゃん、
ローラースケート履いたにぃちゃん、
ダンボール運んで大八車を押しているおっさんも見切る。
犬も見切るし猫も見切る。鳩も見切る。
そんな、魑魅魍魎のカオスが展開している中で、その間隙を縫って、チャリダーは疾走し、バスは爆走する。

 
こう書いていると、何だか、ものすごい無法地帯のように思うかもしれないけど、そこがそうではないところが、流石にえげれすなのである。瞬間瞬間は、厳しい間合いで見切る彼らも、「法規という絶対」には服従する。更に徹底した「自己責任の観念」と「謙譲の精神」によって、社会秩序は恐ろしいまでに保たれている。

 
例えば、「ゼブラクロッシング」は、1960年代だかにえげれすに導入された法規である。これは、信号がない道にある横断歩道のことである。そうした場所では、直前の車道に、ゼブラ状のペインティングが施されており、歩道には、目印に、黄色いボンボリみたいなものが立っている。ここに横断者がいた場合、運転者は、いかなる場合でも止まらなければいけない、という法規が、1960年代だかに施行されたのだそうである。何でも、それ以前は、流石のツワモノウオーカーたちも、見切れなかった道が多かったのだそうだ。そういう「法規」には絶対に服従する。そして、素晴らしい譲渡の精神は健在である。結果として、魑魅魍魎カオスはカオスにあらず、無法に見えて、実はそこでは秩序が実現しているのである。

 
さて、大きく脱線したけど、本題は、今日のバスの運ちゃんである。これまで書いたように、車もちゃりも歩行者も、全てハードな動きを見せるのは同じだが、バスは、その中でも最も「攻め」の走りを見せる。そして、ダブルデッカーの二階席の一番前のうち、左側の席が、このタイトな攻めを見るのに最適である。ここに座ると、例えば、

 
「かんかんかんかん・・・」

 
と、バスの屋根にアツくぶつかってくる街路樹の枝も真正面に、まるでディズニーランドの「キャプテンEO」のように体験できる。・・・そう。倫敦の街路樹の先っぽは、ダブルデッカーバスの屋根に当たる長さを保っているのである。また、ハードな攻めを見せるコーナリングで、緩めない速度と加速する遠心力が演出する、左右に、立っていられないくらいの傾きも、最も激しく実感できる。これは、「スターツアーズ」かな。

 
道は狭いし、車線も狭いので、バス同士の行き違いは、めちゃめちゃスリルがある。人さえも通れない距離まで前のバスに詰めてギリで止まる停車も、二階から見ると、相当な迫力だ。なぜか、兎に角、ギリギリまで詰めて止まるのよ。停留所の少し前で、前には減速途中のバスがいたとして、それに合わせるようにこちらも減速するが、しかし、止まるわけではない。前で減速しているバスの速度にシンクロするように、こちらのバスの速度を保ちながら、ただし、車間距離はギリギリまで詰めながら減速する。減速中の車間距離がギリギリなら、最終的に停車した時の車間距離もまた、ギリギリである。なぜにゆえに、それほど、詰めねばならんのか。前が何かの拍子で急ブレーキを踏んだら、間違いなくオカマ掘りになる状況である。

 
二台が並んで停留所に停車中だったとして、前のバスよりもこちらのバスのほうが、乗降が早く終わったとする。すると、「前のバスとは、人一人も通れないような間隔しかない」状況なのにもかかわらず、こちらのバスは、ハンドルを右にアツくきって、この状況からの脱出を試みる。脱出できたところで、車線は片側一車線の対面通行の道路である。道幅は狭く、ちゃりだー&ウオーカーはうじゃうじゃいる。後ろからは後続車がびゅんびゅん来ていて、我らのバスをどんどん抜きにかかっている。そうしたタイトな状況の中、運ちゃんは、客が払った20pコインとかを左手で掴みつつ、「ふんふーん」とか鼻歌なんぞを歌いつつ、右手一本でハンドルをさばき、前のバスの追い抜きをかけるのである。

 
そこに、同系列会社のバスが対向から来ようものなら、さらに倍、である。

 
前は「ひとひとりの間隔」
後ろからは「くるまびゅんびゅん」
周りは「ちゃりだー&横断ウオーカーうじゃうじゃ」
車内では「小銭処理」
本人は「鼻歌」

 
それらに加えて、対向バスに、

 
「片手で合図」

 
をしなければならぬ。左手は、20pの処理に使われている。残る右手で、ハンドルさばきと合図をこなすのである。

 
これは、ごくごく日常の、レギュラーバス事情である。何ら特別な事態ではない。しかし、今日の「189」バスは、さらに手ごわい敵が立ちはだかった。

 
「189」は、とんでもなく狭い道を通る系統である。しかし、今日の運ちゃんは、ほとんど減速せずに、路駐の車だらけの道を疾走する。なんなら、前に横断者がいる時に「加速」をする。バス停前では、減速し停車する直前で「ドアを開く」。シングルデッカーなのに、技をここまで魅せてくれたのは、白人のにぃちゃん運転手だった。

 
にぃちゃんは、ラジオから流れてくるマドンナの曲にノリながら、リズム溢れる動作で、バスを動かしている。横からバスを追い抜いて行こうとするチャリダーたちにも、「おらおら」的であった。バス停停車中にバスを追い抜くちゃりだーたちに、一見、道を譲っているかに見せかけておいて、発車した刹那、彼らを煽る。・・・相手は原動機無し自転車ですぜ。しかも今日は、「189」は、僕のをいれて3台連チャンで連なっていたんだけど、その先頭に立つべく、バス停ごとに、例の「追い抜き」を見せる。一連の「走り」には、一切の無駄がなく、しかも、結果として、速い。道という道は、その特性を全て自分のものにしていて、まるで「身体が覚えている」ってな感じである。

 
僕は、半分感心しながら、半分はマジ怯えながら、にぃちゃんの華麗(なのか?)な走りを眺めていた。すると、突然の急ブレーキと共に、にぃちゃんはバスを急停車させた。当然、乗客は、前につんのめった。

 
お、なんや、なんや。
遂に、なんかやらかしたか??

 
・・・見ると、フィッシュ&チップスを食いながら犬の散歩をしているばぁちゃんが、前方のゼブラクロッシングを、悠然と横断している。

 
ばぁちゃんは、急がず慌てず、自分の進行方向のみを見つつ、ゼブラクロッシングを悠々と渡りきると、チップスを食い終わった手を新聞紙で拭き、笑顔で親指を立てた。

 
うーむ。これだから、えげれすのご婦人は侮れない。