えげれす通信、再び

20年ぶりに復活しました

【旧】えげれす通信_vol40:勝利の歌 (10/06/2000)

「好敵手」。うーむ、いい言葉である。「ライバル」と英訳するよりも、漢字で書いた方がいい。何となく、「敵もさるもの」というそこはかとない尊敬が垣間見えて、オトコとオトコの勝負を感じさせる。闘いは真剣に、然し闘いの後には、美酒を酌み交わそうではないかという、潔さと美しさが感じられる。

 
普段の生活で、こういう役割を自らが果たす場面は多くはない。例えば、隣近所のオヤジ同士が良い碁仲間だとしても、それは当人たちの自己満足でしかない。波平と伊佐坂先生のような関係においては、その意味が波及する範囲は、せいぜい、舟かサザエくらいである。彼女たちのつくる昼食をどうするか、程度の問題を起こすにすぎず、大きな社会現象にはなりえない。

 
ところで、実際に闘う当事者ではなく、それを観戦し、応援する者の場合はどうなるか。この場合も、場面や規模が小さいと、大した問題にはならない。然し、応援集団とその背景が大きくなるにつれ、問題は社会的に、そして、複雑に、なる。

 
例えば、僕のの母校、仙台二高は、伝統的に、仙台一高と、「定期戦」なるものを開催している。両校共に、100年近くの歴史があるので、対戦成績も、それなりにカッコがつくくらいのものになっている。これは、スポーツ全般においてそれぞれ行われるのだが、一番の花形は、矢張り、硬式野球である。

 
一年生は、入学式を済ませ、希望に胸膨らませて、来るべき高校生活を夢見る。新学期が始まる4月の某日には、「対面式」が行われる。

 
この日、一年生は、入学式に引き続き、上級生から暖かい心のこもった歓迎を受ける。

 
「よく来たねー。これからよろしくねー」

 
と、絵に描いたような演出で以って、校庭で二年三年生と対面する。逆光でよく顔が見えないが、二年三年生は「はちきれんばかりの笑顔」なのは言うまでもない。彼らは、新入生が来たのが嬉しくて溜まらないのである。そりゃ、そうだ、歓迎式典なんだから。

 
僕らの頃は(今は知らない)、対面式は、午前中に執り行われた。一年生は、上級生の暖かい歓迎に心を打たれてこれまでの受験勉強が報われてよかったと、まだ大して友達もいないクラスの中で、ぼちぼち会話が始まる。男子校とは聞いていたけど(当時の二高は男子校)、どんな感じか不安だったけど、そんなに怖いところじゃないじゃん。先輩たちも優しそうだし、やっていけそうだなー。

 
担任教員は、伝達事項を言い終わると、絶妙な面持ちで、一言付け加えた。

 
「あ、まだ帰らないように。これからあと一つ、行事があるからな」
「…ま、頑張れ ニヤリ」

 
ここの先生たちは、かなりの割合で、この高校の出身である。そしてここは、伝統を重んじる学校でもある。

 
ふと見ると、黒板の予定表に見慣れない文字が書かれてある。

 
「午前:対面式。午後:入団式」

 
入団式とはなんだ?

 
皆が首を傾げていると、隣の席の奴が不穏なことを言う。

 
「オレ、にぃちゃんがこの高校にいるんだけどさ、昨日、にぃちゃんが、オレを見て、何だかニヤっと笑うんだよな」

 
なんなんだ。なんでみんなニヤリと笑うんだ?対面式の在校生や先生は、ニコリ、だったけど、今のはみんな、ニヤリ、なんだよな。「入団式」と言うからには、どこかに所属する為の通過儀礼みたいなもんか?

 
みんなで、ああだこうだ言っていると、ふと聞こえてくる何かの音がある。

 
ピタピタピタ

 
何あれ?
何か聞こえるよね?

 
ピタピタピタピタ

 
誰か来るのかな?

 
ピタピタピタピタ
ガラッ
(教室のドアが開く)

 
「お前ら、外に出ろ早くしろ」

 
僕らは一瞬にして戦慄する。今でこそ「ロン毛」という語彙があるが、その当時は、そういう概念はない。後に我々は、彼のことを「鬼太郎」と呼ぶようになったのだが、それはともかく、彼の髪は、殆ど顔を覆っている。靴は履かず、はだしである。手には竹刀。学ランはボロボロ。そして、目つきが、凶悪犯系である。

 
僕ら(15歳と16歳のガキ)は、恐怖と混乱で恐慌をきたし、しばし固まっている。すると、

 
「おめぇら、何してんだ。聞こえねえのか、ゴルァ」

 
きゃーーーー。
こわいよーーーー。
何が始まるのぉ?

 
「廊下に並べ」
廊下に並ぶ。

 
「歩け」
歩く。

 
こうなったら、言われたことを素直にするしかない。「踊れ」と言われたら踊るしかない。ちょっとでも遅れたり乱れたりすると、竹刀が飛びかかる。

 
僕らは、講堂へと導かれた。ここは、あの晴れやかな入学式が執り行われた、我々にとっては、数少ない思い出深い場所の一つである。これで、体育館倉庫裏とかに連行されたら、恐怖も数倍、泣き出す奴も出たかもしれない。まだ入学したてで、右も左もわからない、新一年生である。しかし、講堂ならば、一度経験しているし、何よりも、「私的」ではなく「公的」な匂いがする。

 
多少はほっとしつつ、講堂に一歩足を踏み入れると、僕らは再び固まった。

 
そこは、既に、「講堂」ではなかった。そもそも「講堂」というのは、「講話をありがたく聴く場所」である。しかしそこは、全面に暗幕が下ろされ、我々が座らされると思しき空間の周囲には机と椅子でバリケードが張られ、そのバリケードの外側には、夥しい数の二年、三年生が、凄まじい熱気と興奮を身に纏い、血走った目をこちらに向けている。

 
講堂というのは「広い部屋」なのであるが、その入口は一つである。その唯一の入口は、バリケードの始まりと終わりになっている。そこでは、バリケード間の幅が極端に狭まっているが、「部屋」に入るためには、そこを通り抜けなければならない。狭い幅の「入口通路」のすぐ外側には、狂気に満ちた上級生たちが十重二十重に連なり、身を乗り出し、拳を振り回し、怒号と雄叫びを上げ、待ち構えている。あたかも、プロレスの入場口、あるいは相撲の花道、のような風情である。ただし、大きく異なるのは、「待ち構えている側」が「入場してくる側」に対して、「ぺたぺた触る」のではなく、「殴りにかかる」という状況である。花道とは反対で、ここでは、「迎える側」が「主」であり「強」である。言うまでもなく、怨恨だとか復讐だとか、そういう湿っぽい話ではないのだが、それでも僕らは、ボコボコにされながら、その関門を、命からがら、抜けた。

 
このギャップが、また僕らをビビらせる。午前中の、あの笑顔と、午後の、この狂気。同一人格なのか?あのニコリの裏には、ニヤリがほとばしっていたのか?加えて、場内は暗幕で覆われて暗く、ほんのりと壇上のみ、見えている状況である。我々が、状況を理解する間などこれっぽっちもないままに、場内で座らされる。真っ暗な中で、ドン・ドン・ドン。。。という、不気味な太鼓の音が響く。

 
我々の入場が完了した頃、太鼓と共に、上級生たちは皆、我が高校の応援歌を歌い始める。うちの高校には、応援歌が10曲以上ある。それを順番に歌い始める。我々は正座でそれを聞かされる。…いや、聞かされるだけではない。そのうち、周りの上級生たちから、

 
「歌え」

 
という、なんとも理不尽な声がかかる。

 
歌詞もメロディも、知っている筈もなく、「歌え」と言われたところで、歌える訳がない。しかし、そこに「理」など存在しない。

 
「何で歌わねぇんだ、こらぁ」
「す、すみません」
「謝ってんじゃねー。歌えー」
「し、知らないです」
「何で知らねぇんだ、このやろー」
「まだ入学したばかりなんで。。。」
「うるせー。言い訳すんなー。踊れー」

 
「踊れ」と言われたら踊らねばならぬ。しかし、まだ少しだけ残っている理性が、「なんで踊らねばならぬのだ?」と問いかける。その間は混乱して、言葉は出ない。

 
黙っていると、

 
「黙ってんじゃねー。おめぇ、立てー」
立つ。

 
「何立ってんだ。座れー」
座る。

 
「座ってんじゃねー。立って踊れー」
踊る。

 
「踊ってんじゃねー。廻れー」
廻る。

 
「廻ってんじゃねー。拝めー」
拝む。

 
この辺になると、泣き出す奴も出てくる。アタマも朦朧としてくる。しかしその間も、途切れることなく、次々と、応援歌が大音声で、上級生たちによって、歌われ続けている。全部で何曲あるのかも分からず、「終わり」がどこなのかも全くわからない。もはや「理」など吹っ飛び、トランス状態になっている。

 
どうも、入団式も佳境に差し掛かったらしい。…というか、「入団式」という意味さえ、まだ、理解していないが。「佳境」を感じたのは、彼らの態度が、急に変わったからである。

 
(これは後に知ったことだが)勝ったときにしか歌えない「勝利の歌」、そして「凱歌」に続き、校歌を歌い終わった上級生たちは、何やら静粛かつ厳粛な態度に豹変した。今まで散々、狂気をほとばしらせ、叫び、歌い、喚きたおしていた彼らが、何故か急に、水を打ったように鎮まり返った。一糸乱れぬ統制の如く、しわぶきひとつ、聞こえない。そして彼らの視線は、全て、壇上に注がれている。

 
もはや、夢か現か解らぬアタマで、改めて壇上を見ると、何やら一人の、髭をはやした人が、ゆっくりゆっくりと、歩いてくる。この牛歩の如きゆっくり歩きにも、誰も茶々を入れることなく、見守っている。

 
髭の人は、本当に数分かけて、壇の中心に到達した。そしてゆっくりと、威厳を持って、全体を見回した。その間、この夥しい群集は、人工物のように、身動きひとつしない。

 
しばしの呼吸の後、彼は高らかに宣言した。

 
「これを以って、一年生の、二高応援団への入団を許可する」

 
上級生たちはそれに呼応して承認の意思を表明する。

 
「よぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉし!!!」
(註;うちの高校では、返事は全て「よーし!」という)

 
入団式、終了。我々はこの瞬間から「二高生」になった。

 
さて、翌日から、朝7:30からの応援練習が始まる。各クラス担当の、応援団員がいて、彼らが、一年生をクラス毎に、集団指導する。我々は、生徒手帳の後ろに載っている応援歌の歌詞を、メロディも知らないのにも関わらず、当日までに丸暗記してこなければならない。数日で一曲、約一ヶ月で全曲をマスターする。暗記してこない奴には、容赦なく鉄拳が下り、ボコボコにされるので、僕も泣きながら、必死で覚えたものである。

 
応援団にとって、一年生に応援歌をマスターさせることと共に重要なことは、彼らにこの意味合いを含ませることである。はっきり言って、僕らには、この時点では、何が何やらさっぱりわかっていないのだ。然し、

 
「(仙台)一高は、えて公である」
「えて公生はサルである」
「我々はサルを撃破しなければならない」

 
という、至って単純かつ明快な論理に、僕らは次第に洗脳されていく。そうだ、そうだ、エテ公は倒さなきゃならないんだー!そして、それと共に、些か神秘的な行事&風聞が、我々のやる気を掻き立てる。各クラス担当の応援団員は、最初こそオソロシゲな存在だが、徐々に打ち解けてくる。我々が一番知りたいのは、入団式で、薄暗い中で一瞥しただけの、あの「応援団長@髭オトコ」のことである。僕らは何回となく、担当の先輩に聞いた。

 
「団長さんって、どんな人なんですか?」
「いや。我々もよくは知らないのだ」
「どこに住んでいるんですか?」
「滅多に姿は現さないからな」
「応援にも出てこないですよね?」
(何か学校の行事があったりすると、応援団は、エールを行うために、壇上に立つことが多い。然し団長は、定期戦の日まで公の場には姿を現さない)
「そうだな。でも出てこないけど、ちゃんと全て知ってるのだ」
「どうしてですか?」
「団長は、今、富士山の麓に籠り、来るべき対一高定期戦に備えて、修行を積んでいるんだ。でも、下界のことは、水晶玉を通して
ちゃんと見ている」

 
「団長」とは言え、普通の高校三年生である。ジャージを着て校庭も走るし、白衣を着て理科実験もする。コンビニでエロ本を見ることもある。しかーし、我々が団長の姿を拝んだのは、意識も朦朧とした、あの暗がりの中での一瞬だけである。本当に実在するのかさえ、わからなくなってくる。僕らはますます神秘的な香りにやられていくのである。

 
更に、定期戦が近づくと、「檄」という文が配られる。これは、漢文体のいかつい文章で書かれている。曰く、

 
「広瀬の川に居をなす我ら二高北稜男児は、茶畑に棲息せる猿軍団を撃破せんとする云々・・・」

 
これは、本文とは全く違ってて、ホンモノは、もっといかつく、もっと格調が高い。これを保存しておかなかったのは痛恨の極みだ。ちなみにこの檄文の考案は、毎年、団長と漢文の教師の悩みの種だそうで(笑)。

 
兎に角、いやが上でも、気分は高揚する。もうその頃には、「エテ公ぶっつぶせー」の気運が、めちゃめちゃ高まってるのである。

 
定期戦直前には、「PR行進」という、一種の示威行動が行われる。一高二高の応援団員(我々一年生は「団員」でもあるから、当然、この行進に参加する)が、仙台の街を練り歩き、錦町公園(今は違うかも)を目指す。この時には、団長は富士山から戻ってきており、公園の真ん中で、一高の団長と相対し、互いにエール交換をする。そして「勝利の歌」を歌って、勝利を期す。

 
この「勝利の歌」は、練習ではなんぼでも歌えるが、実戦では、勝たない限り歌えない。いわば「勝利の象徴」である。二高の場合には、「紅蓮の旗は地に伏しぬ」というオリジナル歌詞を対戦校によって毎回変えるという趣向がある。然も、その変更箇所を絶叫するという、「勝利のカタルシス」を存分に味わえる歌である(一高の「勝利の歌」も同じ)。例えば、対一高の場合は、

 
「えーてこーのはーたーは、地ーにふーしぬ。そーれ、たたかーい勝てり、美酒をー、汲みてー、称えん・・・」

 
と、この「えーてこー」の部分を絶叫するのだが、これの予行演習を、このPR行進でするわけだ。

 
イクサが近づくと、二高新聞には「街の声」が載る。下馬評として、

 
「どうやら今年は一高の打撃陣が強力らしい(パン屋の親父)」
「今年こそ二高でしょう(コンビニのおばはん)」

 
等が紹介される。否応なしにテンションが高揚し、遂に「その日」が来る。定期戦は、TV中継もあるくらいの、仙台の伝統行事である。我々一年生は、県営宮城球場に集結し、声の限り、倒れるまで、応援をする。

 
…と、まあ、この一連の過程は、全く、Nationalistに近いものがある。…そう、Nationalist。これなのだ、今回の主題は!

 
ながーい前振りだ。長い、長すぎるよう。

 
実際に戦う当事者ではなく、単にそれを観戦し、応援する者の場合はどうなるか。応援集団とその背景が大きくなるにつれ、問題は複雑になる。たかがローカル、一高二高定期戦の場合ですら、我々二高生(勿論一高生も)は、「ロイヤリティ」を発揮して、燃えるのである。尤もこの場合、二高と一高とはまさに「好敵手」なので、例えば、甲子園予選県大会で、二高が敗れ、一高がまだ残っており、一高が三高と当たったりすると、言うまでもなく、我々二高生は一高を応援するのである。時には、一高側に乗り込み、一高の応援歌を歌い(実は知っている)、時には、一高のために「勝利の歌」を歌う。これぞ、まさに、美しい「好敵手」関係だと思うのだが、単に「美しい」とか言っていられない事態、時には死人さえでたりする事態がある。そう、footballである。

 
明日、2000年6月10日は、欧州においては、ワールドカップと同等あるいはそれ以上かも、といわれるくらい権威ある大会、「Euro2000」が開幕する日である。最近、BBCの特集番組で、イングランドチームの
歴史を振り返っていた。そこでは、顔は知っていたが、栄光のスタープレイヤーだったことは知らなかったGary Linekerや、現イングランド監督Kevin Keeganが現役時代、最盛期の鶴瓶にも負けないくらいのアフロだったことなど、かなり有益な情報を得ることができた。そして、印象的だったのは、1990年のワールドカップと1996年のEuro1996における、二度のPK負け(対ドイツ)である。このドイツってのは、よく当たり、必ず死闘になり、然しどうしても勝てない相手らしい。然も、両国は、フーリガンの先進国でもいらっしゃる。

 
そして、今度のEURO2000。くじを引いて、アタリを引いてしまったとき、ケビンキーガン監督は、

 
「あーあ、やってもぉた」

 
と思ったという。そう、また当たるのだ。然も、決勝リーグではなく、予選で。

 
フットボールで喧嘩が起きる国えげれす、フットボールで殺人も起こる国えげれす、普段はgentleでも、フットボールになると、途端に凶暴になる国えげれす。何が彼らをそこまでさせるのか。単純に、「発祥の地」というだけでは片付かない問題のような気がする。勿論、「フットボールなんて野蛮だわ」と言って見向きもしない紳士淑女が多いのも事実だが、フットボールがこの国の文化地図に占める役割は相当重要なものであることは間違いない。

 
歴史は繰り返す。独逸軍がえげれすに襲い掛かろうとした時、かのチャーチルは、国民に向けて演説し、大いに勇気を奮い立たせたという。ドイツチームと対戦すること数度、確かにフットボールの分は弱い。再び、St.George's Crossは地に伏すのか?美酒を汲み交わすことはできないのか?それとも、Three Lionsが凱歌を歌うのか。

 
決戦は6月17日(土)である。

 
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4月某日、二年生になった僕は、二高の校庭にいた。太陽を浴びて、きらきらと輝く顔たちが正面にいる。そして、午後、暗幕の中で、狂喜乱舞が始まった。

 
「こらぁ、おめぇだ、おめぇ。立てー。踊れー。廻れーー!」

 
歴史は繰り返す。うーむ、いい言葉である。