えげれす通信、再び

20年ぶりに復活しました

【旧】えげれす通信_vol37:蒸留所紀行 (05/04/2000)

昨今巷をにぎわせている言葉に、「癒し」だの「カリスマ」だのがある。流行っていると聞くと、すぐにやたらに使いまくるのがニッポン人である。僕はこの態度は嫌いなのだが、今回は敢えて使うことにする。

 
「リベンジ」

 
前回書いた通り、僕のスコットランド旅行は、散々な目に遭いまくりのものだった。全体としては愉しかったが、代償が余りにも大きかった。ときに、友人M氏が現在、えげれすを訪問中である。彼の希望もあり、この週末、スコットランドへリベンジ旅行に行ってきた。

 
出だしが重要なのは、前回、身に沁みて分かっているので、今回は、きちんと、調べるべきは調べ、予約するべきは予約をして、完璧な事前準備を行った。人数と燃費と行程を考えると、エジンバラ往復は列車、そして、エジンバラで車を借りる方が都合がいいことがわかった。チケット、レンタカー共に、ネットで予約を完了する。今回の主目的である「蒸留所」の資料も用意し、はっきり言って、今回の旅は、戦う前から余裕の勝利が確信されるものであった。

 
GNERのIC(インターシティ)は、快速で突っ走り、一路、北の都Edinburghを目指す。列車の中で地図を見ながら行程を決め、到着したのは、15:00過ぎである。レンタカー会社はNational。オフィスのありかを「i」で聞き、バスに乗って、Murrayfieldなるところまで行った。なんとなく聞いたことがある地名だなと思ったら、やはりそこは、スコットランドラグビーの聖地、Murrayfield競技場の目の前であった。折りしも、6NATIONSラグビーが開催中である。しかも、その最終戦である、イングランドVSスコットランドという、なんともアツい試合が翌日行われ、しかもその会場が、ここなのだという。街はラグビー一色であり、なかなかシュールな看板なども出ていたりする。

 
一寸迷ったものの、無事にレンタカーオフィスに到着した。さて、出陣、と思いきや、入り口には鍵がかかっている。

 
初陣敗退

 
の4文字が、アタマをかする。これじゃ、戦わずして、負けではないか。大体において、ひとけがない。電気も消えている。然も、エジンバラに二つあるオフィスのうち、「City」と名前がついている方の奴なのに、それにしては、若干都心から遠い。周りには、自動車整備工場のようなものが並んでおり、とっても殺風景である。

 
然し、まだ我々は余裕であった。千代の富士隆の里と千秋楽で当たる、くらいの緊張感はあるが、なにせ、こちらは、予約が完了している。連絡がつきさえすれば、勝ちに持っていける。

 
電話だ。

 
そう、それで完璧ではないか。我々は、BTボックスを探した。ところが、あんな寒村でさえ僕を救ってくれた公衆電話が、たいていの場所にきちんと常備されている公衆電話が、この時ばかりはさっぱり見当たらない。

 
僕は、もう一度、予約の紙を見直した。

 
・・・そもそも、電話番号が書いていない。

 
時間は、既に17:30をまわっている。曜日は土曜日である。いくら日が長くなって、20:00でもまだ薄明るい季節になったとは言え、商業施設の土日の営業時間が、資本主義国だとは思えない程短いこの国では、今から何とかするには、絶望的に遅すぎる時間帯である。我々は、戦って敗れたわけではないこの事態を、暫く考えないでおくことにして、次の方策を講じた。代替案としては、

 
1.駅にある別会社のレンタカーに行ってみる。
2.車はあきらめて、蒸留所のメッカ、Islay島(アイラ島)に行く。

 
が挙がった。うむ、悪くない。

 
駅に戻ると、懸念された通り、駅のレンタカー会社も18:00で終了していた。そうなると必然的に、「2案」の実行しか選択肢はない。ただし、よく考えると、この案は、なかなか良いものである。蒸留所巡りという、今回の主目的で考えるならば、当初行く予定だった、Speysideの蒸留所群と共に、Islayモルトは、超メジャーなところである。

 
災い転じて福となす。
棚から牡丹餅。
犬も歩けば棒に当たる。(一寸違うか)

 
幸運なことに、エジンバラの「i」はまだ開いていた。応対してくれたおねぇちゃんは、とってもいい感じの、なかなか可愛い子である。ただし、風邪を引いているらしい。

 
Islay島の行き方、教えてください」
「え、どこって?」
Islay島です」
「いつ行くんですか?」
「今日」
「え?いつですか??」
「だから今日」
「今から?!」

 
ねぇちゃんは、洟をすすりながら、「マジかいや、にぃちゃん」と目で訴える。それでも、ねぇちゃんは、あれこれと資料を引っ張り出し、他の人にも聞いたりしながら、5分くらいかけて、調べてくれた。うん、やはり良い人だ。そして、バスと船を数回駆使して、それで漸く到達できるというIslay島が一体どれほど遠いところなのか、ということを、可哀想な位の鼻声で訴えた。

 
「・・・だから、羽でも生えていない限り、今日は無理ね」

 
我々はあきらめざるを得なくなってしまった。これで、二連敗か?千代の富士が引退したのは、確か連敗後の三日目だったなぁ。途方にくれた我々を見て、おねぇちゃんが、洟をぐすぐす言わせながら言った。

 
「車じゃないの?」
「いえね、予約していたんだけど、事務所が閉まっていたんですよ。どうなっているんだろう」
「どこの会社なの?」
「NationalっていうとこのCityオフィス」
「空港のオフィスが開いてるから、電話して聞いてあげる」

 
おお。なんて優しいおねぇちゃんなんだ。花粉症ではないと思うけど、コンタック鼻炎用カプセルでも持参していたら、一箱ごっそり奏上したくなるような親切さではないか。我々が感涙にむせび泣きそうになっていると、電話してくれた結果がでた。空港に行きさえすれば、車を借りられるように図ってくれたらしい。

 
「風邪引いたの?」
「そうなのよ。」目をしょぼつかせながら、「で、どこ行くの?」
「まだ決めてないけど、たぶん北のほうかな」
Islayじゃないのね ニヤリ」

 
この天使のようなおねぇちゃんのおかげで、我々は初の勝ち星を挙げることができたのであった。

 
この日は土曜日である。夕方でもあったので、この日の蒸留所見学は当初からあきらめていた。翌日の、日曜日でも開いている蒸留所を探し、そこに近い場所に宿を取るつもりであった。結局、ピトロッホリーにある、スコットランド最小の蒸留所「Edrador」に当たりをつけ、その近辺に投宿することに決め、エジンバラを後にした。

 
前回、僕が、失意の下に泊まったホテルを過ごし、グラスゴーを過ぎ、ローモンド湖を過ぎた頃には、あたりは暗くなっていた。その晩は、結局、二軒断られたあとの、割とどうってことないB&Bに荷を解いた。飯を食いに、近くのパブに行ったところ、飯はなくて、飲むだけしかできなかったものの、そこで、予習を兼ねて、いくつかのモルトウイスキーを堪能することができた。

 
ここのパブのおねぇちゃんは、なかなかの働き者である。一寸シャイな感じだが、愛想は悪くない。アゴは二重なのだが、それは許せるくらい、なかなか可愛らしい。えげれす人に多い、「なんなら自分の足元が見えないのではないか」級の肥えているタイプではなく、ほどよくちょうどよい感じである。我々は、良いウイスキーと、感じの良いおねぇちゃんに包まれて、なかなか素敵な時を過ごした。そして、そろそろ腰を上げようかという時に店に入ってきた客を見て、僕は唸ってしまった。彼女は、「自分の足元なんて一度だって見たことがないのではないか」級の、えげれす人典型的体格をしていた。

 
我々が店を出て行くとき、ちらと彼女を観察すると、奴のTシャツは、流行の「漢字Tシャツ」である。「英語Tシャツ」を、その意味を考えることはせず、ただのデザインとしてしか考えずにお気楽に着ている我々ニッポン人が、えげれすでは、えげれす人たちに、まじまじとその文字を読まれてしまう、というのは、「あるある」の一つである。そして「漢字Tシャツ」では、当然、その反対のことが起きる。

 
「自分の足元を人生で一度も見たことがない」おねえちゃんの「漢字Tシャツ」を覗くと、

 
「朕」

 
うーむ。チンねぇ。何と言うか、確かに、ある種の迫力は、ある。訴えかけるものは、ある。妙なフィット感と、妙な説得力は、ある。はなはだ整理が行き届いていないものの、何故か不思議な納得を感じつつ、我々は帰路についた。

 
この連続勝利を本当に実感したのは、実は朝になってからのことであった。この、なんていうことのないB&Bは、実は、絶景の下に建っていたのである。なんていうことはありまくりだったのである。我々はいい気になった。

 
「こんなに勝ち続けていいんだろうか?」
「負ける気がしないですね」

 
雪は降っていたけど、雪で趣を増している絶景を堪能しながら、ゆっくりと朝食を取り、我々は戦闘体制に入った。初戦は、「Edrador」。目指すは、夏目漱石も保養に来たという街、ピトロッホリーだ。

 
ピトロッホリーには早く着いてしまったので、街をぶらつき、時間をつぶしてから、蒸留所に入った。僕は二度目の蒸留所見学。M氏にとっては、初である。ここは、えげれすで最小の蒸留所であり、僅か3人のスタッフによって、モルトウイスキーが造られているのだが、ヴィジターセンターはかなり立派であり、スタッフも沢山いた。一通り説明を聞いて、試飲をし、折角だからと、一本買う。この調子で、行く毎に、試飲+購入を続けていくと、きっと色々と大変なことになるだろうと、些か不安を感じつつ、次の戦地へ移動開始する。

 
二戦目は、前回、時間が合わずに入れなかった蒸留所、「Glenlivet」である。これは有名どころであるし、是非、潰しておかねばならない相手である。ここは、えげれすに数ある蒸留所の中でも、たいへん整ったヴィジターセンターをもつもののうちの一つである。ロケーションは抜群、味も文句無し。然も、今回は、ありそうで実は案外少ない、「一面雪景色のえげれす」というレア風景も見ることができた。絶好調、とどまるところなしといった感じ。

 
モルトウイスキーの製造過程とか、味の違いとか、細かな用語とか、そのあたりは割愛するが、モルトウイスキーのメッカは、Highland、Lowland、Speyside、Islay、の四つに大別される。スコットランド北部地方は山が多く、そこはHighland地方と呼ばれるが、その地方のモルトは、ハイランドモルトと言われる。その中で、特に、Spey川流域には、蒸留所が密集しているので、そこのモルトを特にスペイサイドモルトと呼ぶ。南部の丘陵地帯のモルトはローランドモルト、そして、前出のIslay島にある7つの蒸留所で使用されるものがアイラモルトである。今回は、ハイランド+スペイサイドに重点を置いた。

 
翌日の月曜日が、今回の主戦となる日である。そうすると、前日である、本日日曜日の宿をどこにするかが、戦略的に重要である。また、戦略に加えて、宿そのものでも勝たねばならない。然し、我々は、負ける気はしていない。もはや、負けの味を忘れている。53連勝の千代の富士、という感じである。

 
スペイサイドの中心地であるダフタウンは、前回僕が泊まった場所であり、そこは外すことにした。そして、前回訪問時に、今後こんなこともあろうかと下見をしていた「絶景B&Bオレリスト」を検討することにした。

 
はは。
君は完璧さ。オレも完璧さ。
ボーイジョージも真っ青さ。

 
「絶景B&Bオレリスト」にある候補の一つは、断崖絶壁の真下に、海に張り付くように10数軒の家が密集している、極小の村Pennanにあった。道は、断崖の上を走っており、そこへ行くためには、1マイルほど、鬼のように狭く急な坂道を降りなければならない。しかし、道が困難であればあるほど、期待感は高まってくる。流石に二度目なので、最初発見したときのような驚きはないけど、絶景に変わりはない。

 
でてきたにぃちゃんに聞いてみると、部屋はあるという。然し、不運なことに、海に面した部屋は塞がっており、然も値段は、相場よりも多少高い。seafrontだったら決めてもいいと思ったものの、そうでないならば、ここに固執することもない。我々には、「妥協」の二文字はないのだ。

 
次に、途中で目星をつけていたFarmのB&Bを攻める。Farm系は、僕もまだ未体験である。なかなかよさげなロケーションで、期待は高まる胸躍る。

 
しかし、ひとけがないのだ。個人経営のB&Bにはよくあることだが、流石に連敗だったので、若干の不安感がよぎる。

 
然し、まだ持ち札はある。少し手前のBanffという町は、なかなか大きい上に、海に面していて、趣ある佇まいであるのを、既に確認していたのだ。町に入り、B&Bもいくつか見つけたところで、その中の一つを攻めてみると、何と「No Vacancy」の文字がある。・・・もしかして、落ち目なのか?!時代は、既に、貴乃花に代わったのか?

 
思案していると、一寸険しい感じのおばちゃんが中から出てきた。僕らは、ベルを鳴らした訳ではない。こういう、資本主義的行動は、えげれすでは珍しい。彼女は、相当のやり手なのか?オレらは、罠にはまってしまったのか??

 
「泊まるとこ、探してるの?」
「そうなんです」
「ここ行くといいわ。電話しておいてあげる」

 
こういう「紹介パターン」は、僕は二度目なんだけど、まぁ、親切は有難く受け取って、行ってみる事にした。ただし、こういう場合は、「紹介されたら断れない法則」によって、値段や部屋の感じを吟味する前に、物事が決まってしまうものである。紹介されたら、断るのは悪いと感じてしまう日本人は、たとえ、その隣に、より良い感じのB&Bを見つけたとしても、ズバズバと合理的に切り返す欧米人のようにはいかないものだ。さらに、こと、B&Bについては、「一軒見つけたら、近くにうじゃうじゃあると思えの法則」により、こういう状況は実際に、頻繁に起こる。

 
このときは、然し、出て来た若奥さん風の、感じのよさと、外観よりも、内装の素晴らしさに、若干感動すらを覚えたので、ここに決めることにした。若奥さんは、去年のコースのアカデミックアドバイザーの、エナルドというおばちゃんに似ている。エナルドは、恐ろしく仕事ができる「似非えげれす人」である。「一般的えげれす人」は、

 
期日に不正確、時間にルーズ、仕事は遅い

 
の三拍子が綺麗に揃っているのだが、エナルドは、

 
期日に正確、時間は守る、仕事は恐ろしく早い

 
然も、

 
しゃべりも速い

 
という、愛すべきオバチャンであった。若奥さんは、そのエナルドに似ていた。しゃべりは、弾丸トークのエナルドとは異なり、なかなかゆったりとした口調であったが、アクセントが素晴らしくきれいである。世間話の中で、こちらの大学の名前を聞いてきたり、然もその回答を受けて、今度はこちらの専攻を聞いてきたりするところから考えて、彼女は中流階級であることを確信した。後で聞いてみると、果たして、二人の子供さんは、エジンバラ大学グラスゴー大学に行っているのだそうだ。この国では、大学に行くということは、即ち、中流階級であることを意味する。

 
さて、例によって、パブに出陣する。昼は昼で試飲を重ね、夜は夜で、ろくに飯も食わず、モルトを飲む。全く良い旅である。最初のパブは若干ハズレだったので、次の店に替えたところ、ここは、何度かあったこの旅におけるクライマックスの一つになった。

 
最初、応対してくれたおばちゃんは、とっても感じがよく、シングルモルトが飲みたい旨を言うと、次々と色々な銘柄を薦めてくれた。おかげで、色々試すことが出来たのだが、途中で現れた、オーソンウェルズみたいなおっちゃんがカッコ良すぎである。オーソンウェルズは、常に微笑をたたえ、包み込むような暖かさを醸し出している。顔は、白い髭に覆われ、アタマも些か薄くなってるんだが、それが却って一層の貫禄を与えている。色々とモルト話をしていると、オーソンが突然、

 
「うーっす」

 
と言う。なんだなんだ?なんていう英単語だ?聞き返すと、再び、

 
「うーーっす」

 
続けて、

 
「サケ」
「こんばんわ」

 
などと言う。そうか、彼もまた、日本語を持ちネタにしているガイジンなのか。それにしても、なんで「うーっす」なんだ?教えるなら、もう少しまともな日本語を教えろよ、彼に教えた日本人さんよ。でも、前に住んでいた寮の、食器片付けの陽気な黒人おっちゃんに、

 
「おげんきですか」

 
と言われて、

 
「ぼちぼちですわ」

 
という返しを教えてしまった、僕の先輩(vol.27&28を参照)も似たようなもんか。陽気な黒人おっちゃんは、返しを教わると、「bochi bochi...」と繰り返していたぞ。

 
さて、うーっすオーソンと、暫くしゃべっているうちに、隣で飲んだくれていた、地元オヤジ二人組も、話に加わってきた。テレビのスポーツコーナーでやっていた、ラグビーのニュースがきっかけである。この日は、6NATIONSの、イングランドVSスコットランドが行われた日である。ラジオで途中経過は聞いていたけど、結末を知らない。それで、どちらが勝ったのかを聞いてみると、「勿論スコットランドだ!」という。おお、そうなのか。戦う前から、イングランドが当然勝つと思っていたし、途中経過でも、イングランドがリードしていた。よもや、スコットランドが勝つとは思っていなかったのだ。僕らは、

 
「郷に入ったらヒロミGOを褒めちぎれ、の法則」
「然し、ラテンの曲はカバーしてはいけない、の補則付き」
「街頭でゲリラライブを行うときは事前に届け出よう、のアドバイス付き」

 
により、満更お世辞のみではないながらも、スコットランドを褒め称えた。するとオヤジたちは、大いに気をよくし、スコットランド人特有の諧謔ネタを連発し、最後には、僕らに奢ってくれたのであった。別に、奢って貰うのが目的ではなかったけど、素直に嬉しかったし、何より、一等愉しい夜になったので、とても満足したわけである。

 
さて、翌月曜日は、主戦が続く。この日の成果如何で、この度の星取りが決まるも同然なのだ。土日が閉まっている事が多い蒸留所の状況に鑑みて、わざわざ一日ずらして、土-火で予定を組んだのも、月曜日に本格的に廻るつもりだったからである。

 
最初に行った「Glendronach」は閉まっていたので、素晴らしい景色の中を、僕の憧れの一つ、「Strathisla」に向かう。この名前は、サントリー系外食店の名前にもなっており、そこは、僕の人生を彩るなかなかに細やかなドラマの数々が繰り広げられてきたレストランバーである。その語源であるこの蒸留所には、かねがね、前から行ってみたいと思っていた。

 
ここは、とっても整備がされていて、自分で廻るセルフツアーの形を取っていた。麦芽粉砕物(グリスト)を70度の温水に浸してでんぷんを糖に変える過程、イーストを加えて麦汁をアルコールに変える発酵過程、発酵終了液(ウオッシュ)を蒸留する蒸留タンク(ウオッシュスティル)、出来上がった抽出液(ローワイン23%)を再度蒸留するタンク(スピリットスティル)、蒸留が済んだウィスキーの品質をチェックするスピリットセーフ、そして、バーボンをを貯蔵した樽、あるいはシェリー酒を貯蔵した樽を修繕した樽に入れて、最低3年間(法律ではそうなっている)貯蔵・熟成させる行程、等々を見て廻るのである。

 
説明をしてくれたおねぇちゃんをはじめ、全てのスタッフが、「愛想の塊か!」というくらいに素晴らしい応対である。応対は素晴らしいが、システムがどうも、えげれすっぽくない。商業的とも感じられるこの雰囲気は、矢張り、カナダの資本が入っているからなのだろうか。シーグラム社に買収されたこの蒸留所は、超有名なブレンドウイスキー「シーバスリーガル」の主モルトウイスキーを造っているところでもある。今までの、「蒸留所の仕事の傍ら、客にも見せている」という雰囲気ではなく、「客に見せることも、独立した商業部門として位置づけている」という感じがある。流石にカナダ。というか、流石に、えげれす以外の資本主義国だ。ただし、これは、なかなか複雑な気分にもさせる。整備されているのは、見るほうから考えると好都合だけど、過度の観光化は、趣を損ねてしまう。Visitorの勝手な感想だけど。

 

次は、日本でも有名な「Macallan」。ここは、日本にいるときに、「蒸留所を訪ねてくる人々にまつわる、ちょっといい話集」みたいなものを、申し込んだらくれるというので、貰ったことがある。それ以来、毎年誕生日になると、えげれすよりカードが来ていた。そんなこともあり、是非とも攻めたい蒸留所であったのだが、残念なことに、次のツアーの時間までだいぶ間がある。なかなかにタイトなスケジュールだったため、泣く泣くパスせざるを得なかった。然し、テイスティングだけはさせてくれたうえ、対応してくれたおっちゃんがめちゃめちゃ感じ良く、我々の心には、深く刻まれた場所となった。

 
この日は、こんな北国のスコットランドにしても、恐らく珍しいんではないだろうかというくらいの大雪であった。この国は、天気が兎に角ころころ変わるのが有名であり、雨が多いのも有名であるが、意外と雪は降らないし、たとえ降ったとしても、積もるまではなかなかいかない。然し、この日は、完全なる積雪であった。雹が降ったり、地吹雪になったり、嵐になったりと、猛烈な天気であった。そんな悪天候の中でも、奴らは矢張りそこにいて、いつもながらの行動を実践している。ただし、流石に、雪に埋もれている草を掘り出して喰うのはしんどいと見える。どこかに連れ去られて、いなくなってるのも多い。

 
でも、そこはそれ。奴らは白いので、保護色ということも考えられる。奴らに疑問を挟んではいけない。何があってもおかしくない。想像の斜め前からやってくるのが奴らである。散々これまで書いているけど、然し、見たことない人には、もう一つ実感できないとも思うのだけど、兎に角、どんなところにも、どんな体勢でも、どんな状況でも、奴らは必ずそこにいるし、いるからには、常に喰っているのだ。M氏は、既に羊の虜と化しているらしく、

 
「うーん、いませんねぇ。流石にこの雪だからなぁ」

 
と心配の様子である。彼もまた、実際に目の当たりにして、羊に取り付かれた人間の一人である。前出の先輩然り、矢張り、こればかりは、実際に見ないと、あの感覚はわからない。奴らがいないえげれすは、えげれすではない。この感覚は、知らず知らずの間に、目の当たりにした人間の神経を蝕んでいく。

 
僕らの心配をよそに、やはり、喰っている奴がいた。「一匹見つけたら、近くにうじゃうじゃいると思えの法則」から、目を凝らしてよくよく見てみると、果たしてうじゃうじゃいる。矢張り奴らには、雪なぞ問題ではないらしい。

 
他方、我々には、雪は問題だったらしい。雪のため、臨時で閉まっている蒸留所が結構あった。次の「Cardhu」、その次の「Glenfarcles」、そして「Tomatin」と、三連敗をしてしまった我々は、マッカランで、待ってでも見学して、勝ち星を増やしておくんだったと悔やんだけれど、それは後の祭りである。結局この日の戦績は、1勝3敗2分(MacallanとGlenfarclesは、試飲はしたので引き分け)であった。暗雲が立ちこめてきた感がしないでもないが、それはひとえに、大雪というイレギュラーな条件のせいであると、「責任転嫁」をするのを忘れない我々は、自らを鼓舞しつつ、気を取り直して、宿探しに目を転じた。時間も時間だし、場所も場所である。つまり、我々は、「蒸留所を一箇所見つけたら、近くにうじゃうじゃあると思えの法則」に拠っているスペイサイド地方を次第に離れてしまっている。石を投げれば蒸留所にぶつかる、というこれまでの楽観的な状況とは違ってきているので、蒸留所の場所を考えた行動計画を、綿密に練らなければならない。最終日である火曜日は、夕方までにエジンバラに着かなければならないので、それも視野に入れて、作戦を練らないといけない。そこで、火曜日の照準を、フォートウィリアムスの町にある「Ben Nevis」に定め、そこから近い、ネス湖沿いのどこぞの村で泊まることにした。僕は、この方面に行くのは二度目であった。前回は、ネス湖の北側のメインルートを通った。そこで今回は、通った事のない、ネス湖の南側の道を行くことにした。・・・これが、また、絶景の連続。もう、ため息が出るばかりである。そして、いくつかの湖を過ぎた後に着いた、ネス湖の西端の町、フォートオーガスタスに宿を取った。

 
この日は、今までで一番、時間的余裕があった。何せまだ、たかだか17時である。日は高く、人も多い。程々の規模の町なので、B&Bも多い。我々は、一軒一軒慎重に検討した結果、ネス湖畔の、絶妙の場所に経っている、恐ろしく素晴らしいB&Bに目をつけた。しかし、残念ながら、湖に面している部屋は埋まっていた。空いているのは裏側の部屋で、然も高かったので、おカネがない我々は、泣く泣くこの絶景ポイントを見送った。次に聞きに行ったB&Bは、生憎満室。すると・・・オーマイゴー。

 
「紹介してあげるから、そっち行ってみて。私の母親のところなんだけど」

 
紹介パターンである。然も、親切に、車で一緒に同行して案内してくれる。・・・なんてこった。こんな優しくていいのか。みんな。じわじわと逃れられなくなる、優しさの蟻地獄を感じつつも、僕らは素直に従った。すると、案内されたB&Bは、ビンビンくるものがあまりない。外観は、隣の別のB&Bのほうがよろしいみたい。決め手に欠けるので、どうしたものか、断るなら今のうちか、しかしこの状況で断りにくいよなあ。うーむ、と唸っていると、えげれすの典型的おばあちゃんが中からいきおいよく飛び出してきた。蟻地獄のラスボスは、この、「えげれす典型おばあちゃん」なのである。満面の笑みで、元気良く、我々の肩を抱かんばかりに、さぁどうぞと言う。・・・この笑みやねん。これを向けられると、断れなくなるねん。えげれすのすべての地域に棲息し、ラスボスぶりをいかんなく発揮する彼女たちの笑顔には、勝てる武器がないねん。えげれす人は商売っ毛がなく、はなはだ資本主義的ではないことは何度も書いてきたが、よくよく考えると、この笑みが、資本主義を底支えしてるのかしらん、とも思えてくる。

 
これまた「B&Bあるある」なのだが、外観とは打って変わって、内観はとっても綺麗で、洗練されており、うっとりするくらいに全てが行き届いている。おばぁちゃんはとてつもなく感じが良く、然も安かったので、我々はここに決めることにした。宿が決まったので、まだ日は高いけれど、パブで飯を食うことにした。攻めたパブは、先ほど目をつけておいた、なかなか良い感じの店である。夕食メニューも載っている。そういえば、今回、食事を出すパブに入ったのは初めてであり、まともな食事をしたのも初めてだった。僕は、鹿肉のキャセロールというのを頂いたんだけど、これがまた旨かった。臭みがそれほどなく、柔らかくて、滋味があり、昔日本で食べた「鹿刺し」を思い出させてくれる味であった。大いに気をよくした僕は、さて、「勉強」を始めようかと、酒瓶を眺めると、こちらもなかなかに品揃えが良い。ただし、値段は、若干高かった。倫敦よりは勿論安いし、決して高額なレベルではないものの、前夜の「うーーっすパブ」の値段が、信じられないほど安かったので、我々極貧パーティーは、撤退せざるを得なかった。我々は、

 
「徹頭徹尾節約倹約の事。然し、モルト購入に関してはこの限りではあらず」

 
という鉄則の下、行動している。M氏は、旅先であり、僕には、ディーゼルクラッシュというburdenが残っている。要するに、おカネがない。幸い、Bowmoreを買ってあるので、部屋でそれを飲むことにして、撤収した。宿に帰ると、おばぁちゃんがニコニコして、「暖炉の部屋にいらっしゃい」という。まったくもって、ホスピタリティの塊、「画にかいたようなおばあちゃん」、略して「画婆」である。この宿のもう一組の客である、フランス人男性とチリ人女性のカップル、そして画婆と共に、暖炉を囲んで世間話をした後、部屋に戻り、少し飲んで、寝ることにした。

 
さて、最終日である。なかなか感じの良いカップルと共に、なかなか眺めの良い部屋で朝食を取った後、本日最初の目的地、「Ben Nevis」へ向かう。スコットランド最高峰の山の名前から取ったこのウイスキーもまた、僕の行ってみたかったところの一つである。今回の旅で初めての、素晴らしい天気にも恵まれ、いい気分で、見学を終了した。ここは、ニッカに買収されているとかで、流石日本企業、痒いところに手が届く気配りのアトラクションは良かった。ただし残念だったのは、試飲が、選択の余地なく、ブレンドものだったことである。今回は、シングルモルト(単一の蒸留所でできたモルトを主原料に造ったウイスキー)のみを標的にしていたので、ブレンドウイスキーモルトウイスキーと、トウモロコシが主原料のグレーンウイスキーとのブレンド)は一切パスしてきた。ベンネヴィスには両方あるのだが、どうやらブレンドの方に力を入れているらしく、製品の種類も、圧倒的にブレンドが多かったのは残念であった。味見したら買おうと思っていたのに、これでは買えないではないか。最初の心配をよそに、現時点ではまだ三本(Edrador、Glenlivet、Strathisla)しか買えていない。次こそは買おうと思う。

 
若干ハードな行程になるが、海沿いの町で、僕の長年の憧れである、Obanに行くことにした。エジンバラには、絶対に、17時までには着かないといけない。車の返却はいいとしても、列車の時刻が17:30であり、これは、倫敦行きの最終でもあるのだ。しかも、我々の切符は、鬼のような割引率で購入したチケットなので、変更は不可である。それを考えると、Oban行きは、若干厳しいかもしれない。しかし、どうも戦績が芳しくないので、フィニッシュは、綺麗に決めておきたい。終わりよければ、全て良し。我々は、一路、西へ向かった。

 
Obanは、とっても風光明媚な街であり、しかも、とても大きい。イングランドで考えれば、さほど大きいとはいえない町だけど、スコットランドレベルでは、大きい町の一つに数えられるだろう。蒸留所は、町の真中にあると説明にはあったので、些か厭な予感がしていたのだが、それは現実のものとなってしまった。

 
そこは、これまでの、どの蒸留所よりも、ある意味、商業的なところであった。我々は、それなりの数を見てきたので、ある程度の「目利き」ができるようになっている。蒸留所にはそれぞれ、有料/無料の違い、売店の有無、ツアーの有無、予約のみ/予約無しでも可、などの違いがある。加えて、「見学というものをどのように位置付けているのか」を巡って、各蒸留所の「方針」の違いがある。製造のかたわらで序に見せているところ、見学専用のスタッフをおいているところ、ヴィジターセンター&売店を完備しているところ、そして、見学部門を一つの「商品」として大々的に売り出しているところ、などがある。Obanは、この後者の最たるものであった。まるで博物館のような建物があり、そこでチケットを買って入る。ツアーのセッティングも組織的であり、マッカランのような、牧歌的雰囲気はまるでない。試しに僕は聞いてみた。

 
「時間ないんですよ。試飲だけっていうのは駄目ですか?」
「どうも、申し訳ございません」

 
マッカランでは、向こうが勝手にグラスに注いでくれた。グレンファークラスでも、お願いする前に注いでくれた。ここはどうも、そういうのとは違うシロモノらしい。

 
残念だけど、仕方がない。我々には時間がない。終わりは・・・うーむ。でも、無駄足だったけれども、Obanの街自体は素晴らしかったじゃないか。それを確認できただけでも、まぁ良しとしよう。何だか言い訳が多くなってきたなぁと呟きながら、そして、千秋楽に勝ち星を挙げられなかった事を悔しみながら、あとは帰るだけになってしまった道を急ぐ。途中、絶景の連続は言うまでもないところなんだけど、どこか一つ、物足りないものを感じていた僕は、一計を案じた。そして、これは、単なる妥協策ではなく、正反合の弁証法的発展を含む、素晴らしい案であった。

 
車は、無事に、エジンバラに到着した。懸念された返却時間も、かなり余裕を残して着く事ができた。思えば、最初に挫けた、そして先行きに不安をもたらした元凶の、NationalレンタカーCity事務所も、この日は開いていた。返し終わった我々は、列車出発までの残りの一時間を利用して、エジンバラ城の近くにある、ウイスキー博物館に直行した。ここには、前に来た事がある。ウィスキー「博物館」ではあるが、地下にはテイスティングコーナーがある。「テイスティング」ではあるが、それは事実上、「飲み屋」である。「博物館」の付帯施設であるだけに、モルトの種類は圧倒的であり、また、安い。

 
「オレら、学生やんな?」
「そうですね」
「勉強せんなあかんし」
「復習も必要ですね」
「予習もかかせん」
「必修ですよね」
「終わりよければ・・・」
「全て良し!」

 
というわけで、我々は、列車の中で飲むための「Knockando」を、階上の売店で購入し、ぎりぎりの時間まで「勉強」を続けた。僕は、アイラモルトのうち、6種類を堪能できたので、大いに満足であった。

 
「ロンドンキングスクロス行き」という駅のアナウンスは、とっても旅情をかき立てる。ロンドンの駅で、逆のアナウンスを聞くのも好きだけど、こちらで、遥かロンドンの名前を聞くと、改めて、遠い世界に自分がいることを感じる。何と言っても、「国際列車」なわけなので、異国情緒も満点である。

 
列車は、なかなかの混み具合である。我々の席は、4人向かい合わせで、真中にはテーブルがある。向かいに、なかなかカッコいいおっちゃんがいた。することは一つである。

 
「飲みませんか?」
「ん?ビールのほうが好みなんだ。でも、じゃ、一寸だけ」

 
おっちゃんは、途中の、New Castleまで行くという。この名前が出ると、仕向けるべき誘い水はただ一つだ。大阪に行って、縦じまユニフォームの話を振るのと同じ理屈である。然も、この町の球団のユニフォームは、奇しくも白黒の縦じまである。更に、サポのガラ悪さも、トラと同じである。僕が餌を投げると、おっちゃんは、見事に食いついてきた。

 
「アランシエラー(イングランドフットボールチームのキャプテンでNew Castle Utd.所属)は素晴らしいですよね」
「彼は一番だ。彼は素晴らしい。彼は・・・(以下省略)」
「ボビーロブソン(New Castle Utd.の監督)は優秀ですよね」
「彼は、えげれす人で最も経験豊富な監督だ。アレックスファーガソン(ご存知Man U監督)なんて ラビッシュよ。彼は・・・(以下省略)」

 
ビールを奢り返してくれたおっちゃんは、我々をなかなか愉しませてくれる。口角泡飛ばし。アツい。アツ過ぎるよー。こうでなくっちゃ。散々語り尽くした後、ニューカッスルで彼は降りていった。さて、取り残されたのは我々である。New Castleから倫敦は、まだだいぶある。誰かいないかなぁと人待ち顔でぼんやりしていると、発車前に、別の車両からタバコを吸いに来た、なかなかカッコいいパキスタン人のおにぃちゃんが、再びこちらの車両へやって来た。そう、この車両は、喫煙車なのである。我々は、今度は彼にターゲットを定め、あれやこれやしゃべってるうちに酔いが廻り、気持ちよくなってきた。パキスタンにぃちゃんは、ドンカスターで降りたが、我々はその頃は、既に酩酊状態である。そして・・・お決まりの結末を迎えた。

 
「着きました」

 
車掌の声で目を覚ますと、何時の間にか、列車は倫敦に着いており、客は全員いなくなっていた。酒瓶は殆ど空である。僕は、M氏を揺り起こし、ようやくの思いでホームに降り立ったが、同時に自分の状態を理解した。はっきり言って、すぐに動ける状態ではない。めちゃめちゃキモチ悪い。M氏は、ぴんぴんしていたが、僕は、蒸留酒特有の気持ち悪さを目一杯感じながら、彼と別れて、家路についた。嗚呼、めっちゃキモチ悪い。

 
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現在、これを書いているのは、水曜日、つまり、帰ってきた翌日なのだが、僕には、また一つ、書き加えなければならない法則ができた。

 
蒸留酒の二日酔いは、復活まで鬼のように長い時間がかかるの法則」

 
溜息。