えげれす通信、再び

20年ぶりに復活しました

【旧】えげれす通信_vol42:アイラ (19/08/2000)

僕がハマっているものはいくつかあるのだが、いくつかは、持続的にハマりまくり、いくつかは、一時的な熱病のように、関心が去っていく。

 
例えば、一時期、数の子にハマったことがある。普通の人は、正月とか、結婚式とか、何か特別な日にしかお目にかからないこのシロモノを、一週間と言わず、恐らく一か月以上、食べ続けたことがある。コレステロールだの、塩分だの、そんなことはお構いなしで、延々食べ続けた。

 
大阪時代、自宅の傍にあった中華料理屋では、学部時代の4年間、ほぼ毎回、「あげそば(大)」を喰い続けた。うちのサークルの先輩が皆に紹介したこの一品は、どこのあげそばよりも旨く、本場の長崎よりも旨いのではないかと思えるほどだった。

 
先輩曰く、

 
「あんかけが染みとおって、ふにゃふにゃしなった辺りが旨いのんや」

 
4年も喰い続けていると、食べ方の「作法」が確立してくる。最初に、麺を箸でバキバキに割る。ここの中華屋は、よく不味い中華屋がそうであるような、回毎の味のばらつきが少ないので、あんかけの味が違ったり、粘度が異なったりすることは少ない。なので、バキバキにすると、毎回、安定した「好きな感じ」に落ち着き、麺がしんなりする。ただし、最初に少しだけ、麺のバキバキ感も味わう。

 
僕がハマるものは、必ずしも「食」のみではなく、多岐に渡っている。割と持続的に好きなものに、

 
「島」
「果て」
「悪路」
ケルト

 
などがある。例えば「島好き」には、小学校二年生から続く、壮大なるストーリーがある。これはあまりに壮大すぎるので、今回は省く。例えば「果て」に関しては、「通信vol.04」にも書いた通りである。ちなみに「果て好き」であって、「果てるのが好き」ではない。あしからず。「悪路」については、日本で車を所有していた時には、日本の有名な悪路は、結構制覇している。道幅狭い系、未舗装系、その他キワモノ系道路などなど、まあ、マニアと言っても良いかもしれない。「ケルト」は、えげれす先住民族ケルト人の遺した文化一般のことであり、ケルティッククロスとか、ケルティックデザインとかが有名である。えげれす人、特にスコットランド人は、何でもかんでも、むやみやたらと「Celtic」という枕詞をつけるのが好きだと言われる。ちなみに発音は「セルティック」という。

 
ここ最近の「ハマり」に、「ウィスキー蒸留所」が加わった。

 
前回の「蒸留所紀行」(通信vol.37)で触れたが、そもそもは、モルトウィスキーに対する造詣が深いわけでもなかったし、持続的な関心を抱いていたわけでもなかった。ただただ、酒好きの観点から、または、地域の文化に対する興味から、たまたま観に行ったに過ぎない。

 
人間の嗜好というのは、環境要因に左右されるらしく、僕の酒の嗜好は、こちらに来てから大きく変わった。日本にいる時にはそうでもなかった「日本酒」が、現在では、最上位にくるようになった。手に入らないと思うと、欲しくなる。人間、なくなってみると、そのものの良さを痛感する。和食、温泉、日本酒・・・、もともと、当然好きではあったものの、だからといって執着しまくっていたかと言えば、必ずしもそういうわけではなかったこれらのものが、今では一番恋しい。現在の境遇で、何の酒が飲みたいかと問われれば、何をおいても「日本酒」と答えるだろう。したがって、モルトは、別にハマっているわけではない。

 
今回は、ISLAY島へ行ってきた。ISLAY島(アイラ島)のモルトは独特で、その筋には有名なところである。今回の旅の「行先」に関しては、それを選んだ理由はあくまでも、上の四つ、「島」「果て」「悪路」「ケルト」であって、「モルト」が主というわけではなかった。しかし、行くからには、蒸留所見学はマストである。そして、旅を終えてみると、僕の「ハマりリスト」には、「モルト」「蒸留所」が加わることになった。

 
かつて、SKYE島へは行ったことはあるが、この島は橋で繋がっているので、純粋な島とは呼べないかもしれない。船で行かねば渡れない、文字通りの「島」への旅は、今回が初めてである。

 
グラスゴーまで飛行機で飛び、空港で、MICRA(日産マーチ)の緑を借りる。

 
ん?
偶然の一致が過ぎやしないか??

 
前回の「蒸留所紀行」(通信vol.37)の時もマイクラだったし、「ディーゼルエンジン事件」(通信vol.36)の時も緑だった。おまけに、先月、エジンバラに行ったとき、友人が借りた車も緑だ。「スコットランド」「マイクラ」「緑」と三拍子揃えば、過去のアレヤコレヤの記憶が蘇る。

 
何かの意思が働いているのか?
また何か、起こす気か?
陰謀か?しかし、誰の?

 
MICRAは、走る。実際、いい車だ。快調に、すいすい走る。燃費も良い。良すぎて、ついつい、ガスの残量を気にしなくなってしまう。

 
島へ渡るフェリー乗り場の、Kennacraigに到着した。話には聞いていたけど、乗り場以外、本当に何にもないところである。何もないのに、地名がある。この地名の「Kennacraig」というのは、何からとったのか?えげれすの田舎を走っていると、地名の不思議を感じることがしばしばある。僅か数軒の家しかないようなところでも、必ず、集落名や村名が付いている。そして、さらに興味深いのは、集落であろうと村であろうと、その「始まり」と「終わり」に、必ず、標識がある。「居住地区」と「そうでないところ」が区別されている。たとえ、それが、僅か数軒の村落であっても。

 
欧州の都市のほとんどがそうであるように、えげれすでも、城壁で囲まれた都市は多い。中世から始まる都市は、大抵、城壁が未だに残り、その多くは、環状道路となって機能している。その昔は、教会を中心に居住区が形成され、城壁の外は、人間がうろつく所ではなかった。そうして、「町」と「そうでない所」は区別される。例えば、町の端に位置することが多かった「パブ」に、「World's End」という名前が多いのは、そのためである。

 
さて、そんな何もないフェリーターミナルで過ごすこと半時間。その間には、もぎりのおっちゃんが現れたりする。彼は、「青汁」CMの、「うーー。不味い。もう一杯!」でおなじみ、悪役商会八名信夫に似ていた。彼は、素晴らしく低音の声で、「チケット拝見」と言う。もぎりをさせておくのには勿体無いような美声である。

 
フェリーは快調に飛ばし、2時間ほどで、ISLAY島に到着した。とりあえず、今日中の蒸留所見学は無理なので、兎に角、島の中心地「Bowmore」に行こうと思った。

 
ところで、ここで一人、同行者が増えた。フェリーの中で知り合った、Fくん(仮名)は、大阪出身のワカモノであり、今の仕事をやめてバーテンになるべく、蒸留所めぐりをしにきたのだそうだ。なかなか殊勝な心掛けではないか。島内は足が不便なのだが、彼はバスで周るつもりだという。それは大変そうなので、とりあえず、Bowmoreの町まで乗せていくことにした。彼は、物静かなワカモノなのだが、めちゃめちゃ大阪人なので、こちらも、影響される。また、顔立ちが、Mという、大阪の堺出身の、僕の後輩(男)に似ている。

 
このMに似ている人間に出会うのは、Fくんで既に3人目である。

 
一人目は、去年のコースの同級生(泰人・女)であった。いくら目をこすって見ても、翌日改めて見直しても、横顔を見ても斜めから見ても、どこからどう見たってMなのである。性別は違えど、そこはそれ、泰なので、もしかしたら本人なのではないか、という疑念も湧く。しかし、日本に帰国して、大阪での飲み会でM本人を追及すると、

 
「まだ見ぬ、異国の地に暮らす腹違いの妹ですよ」

 
と言って、兄貴としての情愛を切々と語ってくれた。・・・いや、待てよ。「兄貴」じゃなくて、「アニキ」なのでは?

 
二人目は、うちの近くの美容院に貼ってあるポスターである。この被写体は、そもそも、どこの国の人なのか、そして、オトコなのかオンナなのか、まったく判然としない風情なのだが、そういったところを超越して、めちゃめちゃそっくりなのである。僕は、Mはこんな仕事もしていたのかと、本人に問い合わせたけれども、このときには、Mのコメントはなかった。まだ見ぬ兄弟が多すぎて、当人もたじろいだか?

 
そして、今回である。Fくんは、大阪の平野区の人である。まだ見ぬ兄弟も三人目となると、Mの異母も、だんだんと堺に近づいてきたな。泰→倫敦→平野。なかなかにワールドワイドではないか。そして、とにかく、濃い顔立ちなのだ。なかなか男前でもある。

 
Bowmoreの町は、混雑していた。島で一番でかい町とはいえ、元々がちっこい島である。着いたのは、それほど遅い時間ではなかったけれども、「i」で頼んだ宿泊予約は、全敗であった。焦ったが、自力で各所に聞きまくり、漸く一軒のホテルを取ることができた。旅は道連れ、Fくんも同じ宿に落ち着く。

 
ここのホテルの管理人(?)のピーターは、いつも口笛を吹いている、陽気なおっちゃんである。ローリングストーンズのミックジャガーに似てる。

 
先月、友人とスコットランドを回ったとき、エジンバラで宿が見つからず、困り果てて、ある一軒のB&Bに入ったところ、そこのおっちゃんが親切に、他を紹介してくれたことがあった。彼は、親切に地図を書いたりしてくれたが、その後で、僕のTシャツを指差し、握手をしてきた。僕が着ていたのは、ローリングストーンズのベロTである。おっちゃんも、RSのTシャツを着ている。矢張りこの国では、RSは根強い人気がある。

 
ピーターは、顔が似ているだけに、絶対、RSファンに違いない。もし、世間話する機会があったら、

 
「元奥さんが、この前、舞台でヌードになったねぇ?」

 
とか、

 
「赤ん坊、元気?」

 
とか、弄り倒そうと思っていたのだが、僕はこの時、朝飯を抜いたので、遂に機会はなかった。残念。

 
さて、島には、8つの蒸留所がある。ArdbegBowmore、Bruichladdich、Bunnahabhain、Caolila、Lagavulin、Laphroaig、Portellen、の8つのモルトは、総称して「アイラモルト」と呼ばれ、スモーキーな独特な味わいを持つことで有名である。そのうち、BruichladdichとPortellenの二つは、現在は閉鎖されており、操業を続けているのは6つだという。

 
時間が時間なので、とりあえず、閉まっているBruichladdichを見に行った。香りが高く、僕の好きなモルトの一つである。然し、内部は、閉鎖されて3年が経ち、その時の流れを確実に感じさせる廃墟と化していた。人間がいないと、朽ち行くのは早い。

 
その後、島の先っぽの町、Portnahavenに行った。ここは、島の西に突き出た半島の南西端にあたる。先っぽには灯台があり、町は結構でかい。

 
日本でも思うことだけれども、人間ってのは、つくづく凄いと思う。何故に、こんな果ての地に、棲家を設けるのか。何か必然性があったのか。海はあるけれど、然し、海以外、資源は乏しい。歴史はあるだろうし、それは色々語るところがあるのだろうけど、僕は、もっと単純に、こうした「果て」の地に住んでいるというその事実だけに感動を覚える。

 
例えば、南太平洋の多くの島々には多種多様な人種が住んでおり、そのルーツには謎が多いけれど、兎にも角にも、「人が住んで」いるのである。それも、脈々と、時代を超えて。周りは太平洋。海産資源は豊富すぎるだろうと考えるのは、我々の浅はかさである。実際には、多くの島では、大規模な港湾設備や流通設備が未不備であり、豊富すぎる解散資源を存分に活用できる状況にはない。彼らは大海原を相手に、実に細々とした漁を行っている。勿論それは、現代の、例えば日本の状況と比較してのことだけれど、それぞれの時代に、それぞれの困難はあった筈で、それは、多分に、厳しい自然との戦いであっただろう。例えば、グリーンランドなんかにも、かなり昔から人は住んでいる。しかし、なぜ、あんな厳しい環境に、わざわざ?もうそれだけで、僕は感動してしまう。

 
「果て」には、そうしたロマンがある。想像力が逞しくなるのが、いつもの僕のパターンなのだが、このアイラの「果て」も、そうしたことを考えさせてくれるのに十分な風景であった。ただし、町自体は、結構でかい。どうして、こんなところに、まずまず大きい集落が形成されたのか。謎は深まる、興味も深まる。

 
帰り道、相変わらず、どこにでもいて、どこででも喰っている奴らを見ながら、そしてまた、もはや「どこもかしこも絶景な」風景を見ながら、車を走らせていると、ひとつの古い教会を見つけた。廃墟と化している石造りの教会は、前回のハワースの「荒れ野」にあった廃墟を彷彿とさせる建物である。日本を旅するときには、僕は、屋根の形に注目する。そして、えげれすを旅するときには、僕はいつも、建材に注目する。えげれすで木造はほとんど見たことがないが、石造りの家は、スコットランドウェールズに多い。スコットランドの北部海岸線沿いなどでは、未だにほぼすべての建築が石造りであったりする。このアイラでは、石造り建築の比率はさほど高くない気がしたが、廃墟になると、比率がぐんと上がる。石造りは趣があるんだな。基本的に頑丈だし、なかなか崩れ落ちないが、長い年月をかけて徐々に崩れていくと、「朽ち果てていく美」のようなもの表れる。風雨に晒され、それ自体が風化していく様がよくわかる。この島には、そうした廃墟が数多く見られた。

 
ホテルに戻り、今回の最大の目的の一つである、Lochside Hotelのバーに行く。ここには、400種以上のモルトが揃っており、蒸留所ツアーなんかも企画している。食事をした後、飲みモードに入る。最後に、晩に部屋で飲む分を買って帰ろうとした時、トラブルが起きた。

 
ここはバー(というかパブ)なので、ストックは基本的に置いていないというのである。そう言われてみれば、パブでワインのTake Awayはしたことがあるが、ウィスキーはやったことがない。確かに、それはそうかもしれぬ。しかし、飲み足りぬ。

 
最初に頼んだおばちゃんは、

 
「私、わからないのよ」

 
と言って、どこぞに電話をかけた。すると、次に登場したのはおばちゃん二号である。彼女は、しばらくあちこちをごそごそした後、

 
「私もわからないのよ。ボスを呼ぶから待ってて」

 
と言って、また、どこぞへ、電話をかける。

 
さぁて、何だか大騒動になってきたぞ。現在、店にいるスタッフたちは、どうみても「ボス」ではなさそうだ。おばちゃん一号は、なかなか愛想もいいし、働き者だが、モルトに詳しそうではない。おばちゃん二号は、一号よりは詳しそうだが、それでも限界がありそうだ。

 
現在、このパブをまわしているのは、どことなくMr.ビーン然としたガキンチョである。眉毛がほどよくビーンな彼は、食事時間帯にはまめまめしく働いていたおねぇちゃんの弟分といった位置付けか。ときに、ここまで僕らが出会ってきた人々は、そこそこ観光慣れしており、訛りをそれほど感じなかった。Bowmoreの「i」のおばちゃん然り、ホテルのミックジャガー然り。おばちゃん一号はかなり訛っていたが、おばちゃん二号は、なかなかsophisticatedされた発音であった。然し、このビーンはいただけない。どうにも、「ビーン眉毛」と「ビーン目ん玉」が気になって、まともに彼の顔を正視できないのだが、それはそれとして、彼のしゃべりはまるで聞き取れない。あれは英語なのかい?

 
町の人間たちと盛り上がるビーンの横顔を飽きることなく見ていた僕の前に、次に現れたのは、なにやら、重鎮っぽい貫禄を身に纏ったおっちゃんである。今まで登場したのは雑魚キャラだったのか、と思わせる、ラスボス感あふれる貫禄である。彼は、僕らとは微妙な距離に落ち着き、早速モルトを飲み始めた。ん?客なのか?ボスなのか?

 
これはえげれす全土に当てはまることだけど、そして、スコットランドやアイラでさえもそうなのだが、パブでウィスキーを飲む人は、少数派である。この国の人間は、ビールが好きである。何も食わずに、ビールを飲む。立ってひたすら、ビールを飲む。パブの外でひたすら、ビールを飲む。これが、えげれすのパブの、正しい風景である。また、仮に、ウィスキーを飲む人間がいたとしても、頼むのは大抵、ブレンディッドと、相場は決まっている。モルトを飲む人間はあまり見たことがない。それは、このような、モルトの専門パブでさえも、そうなのである。然るに、この貫禄おやじは、一敗目からいきなりモルトである。・・・矢張り、タダ者ではない。そして、何ともいえない微笑を浮かべつつ、こちらをチラチラと見る。

 
なんだなんだ。
やっぱり彼が「ボス」なのか?

 
それにしては、この情勢がピクリとも動きそうにないのはどういうわけなのか。おばちゃん二号は、「ボスが来たら、全ては解決する」と言ってたのに。

 
そうこうしてるうちに、貫禄重鎮おやじは、電話をかけ始めた。

 
さっきから度々登場するこの電話は、内線専用の電話なのである。つまり、おばちゃん一号も、おばちゃん二号も、そして貫禄重鎮モルト飲みおやじも、内輪の誰かと話しているのだ。

 
矢張り、ボスは他にいるのか!
彼は、青レンジャー的ポジションなのか?


おやじは、こちらをちらちら見ながら、電話を続ける。想像するに、

 
「日本の若いのがきてんで」
「今、風呂やねん」
「どうしよ?」
「髪の毛乾かすから、それまで待たせといて」
「わかった・・・って、じぶん、ハゲとるやないか!」
「はっはっは」

 
想像を膨らませていると、程なくして、アロハシャツ系を着たおっちゃんが登場した。顔を見ると、貫禄おやじと似ている。当然、ハゲている。そして、どうやらアロハおやじがボスらしい。ここで、事態は一気に流れ始めた。彼は、つやつやしたアタマをこちらに向けつつ、なにやら指令を出した。誰に、何を、命令したんだ?

 
数分後に、我らに差し出されたのは、実に実にフツーの、Bowmore12年&17年とLaphroaig10年である。

 
こんだけ待って、これだけかい!

 
然し、アロハおやじの素敵なバスタイムを邪魔してすまなかったので、我々はおとなしく引き下がった。彼は、妙に血色の良い顔で「バーイ」と言った。

 
翌日は、蒸留所巡りの本番である。ただし、ツアーの時間が決まっており、なかなか数を稼げない。結局、Ardbegを皮切りに、Lagavulin(外観のみ)を見て、最後はLaphroaigで、この日は終わった。

 
Laphroaigは、スコットランド蒸留所の中でも4箇所しか残っていないという、「今でも自らモルト造りをしている蒸留所」の一つである。ここでの「モルト」というのは、「シングルモルトウィスキー」のことではなく、文字通り「麦芽」のことを指す。ここで、初めて、キルンの内部を見ることができた。これはなかなか貴重である。実際に、ここで、ピートが燃やされ、麦の発芽が止められるのと同時に、あの独特の「ピート香」がつくのである。然も、Laphroaigは、アイラモルトの中でも、ひときわきっつい香りがあるので有名である。土産で買ってきた、Laphroaigのマウスパッドには、「好きか、嫌いか。その間はない」と書いてある。

 
さて、蒸留所もいいが、果て好きとしては、果ても極めないといけない。島の南に位置する三つの蒸留所、Laphroaig、Lagavulin、Ardbeg、はそれぞれ並んでいるのだが、Ardbegから先の道は未舗装で、かなり荒れてくる。悪路好きとしては堪えられない。攻めねば。

 
いったい、えげれすというのは、流石に福祉国家の老舗だけあり、公共施設の充実振りに関しては、目を見張るものがある。電気の通ってない地域はあるんだろうか?電話の無いところはあるのか?こんな、僻地の島でさえも、全てのインフラ整っているところは本当に凄い。ゴミの収集も来るらしく、規定の容器が置いてある。奥の奥に行っても、きちんと公衆電話がある。そして、どこまで行っても、基本的に、道は舗装されているのだ。日本だと、例えば、数年前に、かなりの数の道が新たに国道認定を受けたので、嘗ては林道だった道が、いきなり国道に昇格した、なんてこともある。つまり、国道でも未舗装の道が結構誕生したが、えげれすを走っていて、未舗装だった経験はない。

 
だから、これは、初めての経験であった。これほど荒れ果てた道を通るのは、初めてだ。地図上では、この道は、最終的に、Ardtallaという地で終わっている。そして、そこに着いた。完全なる最果て。文字通り、最果てである。そしてそこには、一軒の家屋がポツンと建っていた。この家しかないのだ。この家は、セルフケータリングのコテージらしい。つまり、有人の集落ではなかった。

 
うーむ。
いいねぇ。
無人の家が一軒。
そこで果つる道。
果て好きの心を存分に満たしてくれる。

 
帰り道、とある場所にあるケルティッククロスを見た。これは、スコットランド最古の現存クロスらしい。僕がもし金持ちになったら、絶対買いたい品物のひとつに、「WATERFORDクリスタルの、ケルティッククロス(ロット番号入り・セルフリッジで売られている)」がある。本当に惚れ惚れするもので、どれだけ眺めていても飽きない代物であり、僕は暇があると、セルフリッジへ出かけて、それを眺めることにしている。そして、今、目の前にあるケルティッククロスは、なんとなくそれに似ているような気がした。

 
Port Ellenの蒸留所跡を見た後、Bowmoreの町に戻ることにした。アイラの空港の傍、ゴルフ場がある辺りが、Laphroaigで使うピートの掘り出し現場らしい。蒸留所でそのように聞いていたので、注意してみると、あった!これか!ただ、よく見ると、そこらじゅうで掘られまくっている。うーむ、これが、アイラウィスキーの源なのか。なんとも感慨深いぞ、これは。

 
この日は、夕食を、シーフードレストランで取ろうということになった。これまでのパターンとして、えげれすの海際の町に行ったとして、

 
「海が近いし、新鮮な魚介類でも食べるか」

 
と、期待に胸を膨らまして店に入ると、

 
「シーフードレストランなのに、鯖のスモーク」
「シーフードに力入れてます系パブなのに、鮭を無造作に焼いたやつ」

 
そして、一番ありがちなのは、

 
「シーフードだと思ったら、みんな大好きFish&Chips」

 
という結末を迎えるパターンである。

 
他の魚はないのか?
他の喰い方は知らんのか?
すぐに揚げるな!何処ででも揚げるな!港なのに揚げるな!

 
何度、ツッコミ入れてきたことか。「シーフードレストラン」ってのは、「海のモノを喰わせるレストラン」って意味じゃないんだよ。「イロイロな海のモノを喰わせるレストラン」って意味なんだよ。「イロイロな海のモノを、イロイロな仕方で、喰わせるレストラン」って意味なんだよ。おっきくて、広い海には、鯖と鮭と鱈以外にも、イロイロな生き物がワンサカ棲んでいるんだよ。焼くなら焼くで、微妙な火の通り加減、煮るなら煮るで、微妙な出汁の加減、生、洗い、焼く、煮る、蒸す、干す、料理にはイロイロな仕方があるんだよ。そして、揚げるってのは、一番最後の手段なんだよ。

 
しかーし、なんてこった!アイラはやってくれたのだ。このレストランは、素晴らしく繊細な味付けと、素晴らしく洗練された盛り付け、という、どちらもえげれすではまずお目にかかれないワザを繰り出してきた。そして何よりも、旨い。僕が食べたのは、ホタテのバター焼きだった。最初にメニュー見た時には、正直なところ、平平凡凡だなぁと思った。しかるに、こいつは、やってくれた。えげれすでは、ホタテなどというものは、そもそもお目にかかる機会が少ないし、お目にかかったとしても、揚げられ、芋と共に、つまりは「フィッシュ&チップス」の姿に成り果てて供されるのが常である。バター焼きなんて見たことがない。半信半疑だったが、このレストランはやってくれた。絶妙な火加減と、味付けである。えげれすの「火入れ」は、ブロッコリーを脱色させて黄色にし、パスタをふにゃふにゃして伊勢うどんの如く変身させるものである。「火加減」という概念は存在せず、すべては「とことん、煮込む」に統一されるものである。ところがこのバター焼きは、本来のバター焼きがそうであるように、そうであるべきように、中心が半生で、周りがカリっと、そしてその余熱がじんわり浸透して絶妙になるという、空前絶後のワザを見せてくれているのである。その上、これまたあろうことか、キモの部分が切り離されていて、それはそれとして、綺麗に盛り付けられている。

 

旨い!このレストランは、「ためだけ」に、わざわざ行ってもいいと思うところであった。

 
最終日、残りの蒸留所を巡った。まずはBowmore。僕の最も好きなアイラモルトの一つである。ピートの香りもさることながら、なんとも優しい甘さが共存していて、僕の好みに合う。ここは、最もビジター設備の整った蒸留所の一つでもある。蒸留所の隣にある、元倉庫は、町に寄付されて、今では、蒸留過程で発する熱を利用したスポーツセンターになっているとのこと。名実共に、Bowmoreの町の中心企業なのであろう。然も、18世紀の終わりから既に、税金を払っていたという。昔は、密造が主流だったウィスキー蒸留は、合法化の過程で、その多くが廃れていったという。

 
これまた道の終点にあるBunnahabhainを見た後、時間が多少あったので、隣のJura島に渡ることにした。この二つの島は、とても近く、肉眼でも余裕で、向こうの船着場が見える距離である。車5~6台くらいしか載らない小さいフェリーが頻繁に行き来をする。

 
Juraは、本土との直接の便がないせいか、より、離島の趣があった。大抵のえげれすの道では、牧羊地との境界には囲いがある。また、道路上を「境界」が横切っている箇所には、道路上に、Cattle Gridと呼ばれる溝がある。牛や羊は、足が挟まりそうなその溝を超えられず、彼らが「境界」の外へ逃げ出せない仕組みになっている。然し、Juraの道では、牧羊地と道の「境界」そのものがほとんどない。奴らはうじゃうじゃと、そこら中を無造作に歩き回り、馬も牛も、そして鹿までも、道に遠慮なく侵入してくる。気分は、「えげれす版サファリパーク」である。

 
この島には、一本の道しかない。道の途中に、中心集落のCraighouseがあるが、それ以外は、集落とは名ばかり、ほんの小さい単位の家の塊があるのみである。ここでも、果ては極めなければならないので、北の端まで行くことにした。この島は、本当に「最果て」を感じさせる風景ばかりで、果て好きの心を激しく揺さぶってくる。然し、何故、こんな「果て」の島にさえも、蒸留所(Isle of Jura)があるのか?人が住むようになった経緯だけでなく、蒸留所があるという事実にも、歴史の不可思議を感じさせる風景であった。思えば、こんな島で作られたウィスキーが、遠く8000kmの彼方、日本に運ばれ日本で飲まれているってことは、まったくもって凄いことだ。「島の暮らし」というものに興味を覚えるのと同時に、他の離島にも行ってみたいという気持ちを強くしたのだった。

 
えげれす本土に戻ったのは、21:30くらいであった。月がきれいに出ている。僕は、このフェリーが着くKennacraigからさらに南へ伸びるA83道路を攻めようと思っていた。地図上で見る限り、この道の先には「果て」がある。そして、その目的地、Campbelltownからさらに南に向かい、Mull of Kintyreに行こうと考えた。ここは半島であり、半島なので最後は行き止まりである。この半島の存在は、知ってはいたものの、倫敦からは距離があり、面積も大きいので、先端を極めるような機会にはなかなか恵まれない。この機を逃してはいけない。

 
夜の道は、魑魅魍魎である。猫が出る。兎が出る。馬もいるし、牛もいる。奴らもいるし、やはり喰っている。泰然と、喰っている。おいおい、夜中だぞ。いつ寝るんだよ?寝ても覚めても喰っているのかい?

 
アイラとジュラが素晴らしすぎたので、僕は確かに、いい気になっていた。油断をしていた。失念していた。そう、これが「緑のマイクラ」だということを。

 
Campbelltownは空港もある大きな町である。だから、給油できると踏んでいたのだが、夜に営業しているガススタンドが見つからない。どんなに田舎に行っても、どんなに僻地に行っても、ゴミ収集サービスはあり、公衆電話はあり、郵便ポストがあるえげれす。公共的なインフラは網羅的なえげれす。しかし、資本主義的なモノゴトになると、とたんに怠惰になるのがえげれすであった。夜?んなもん、やってられるかい。閉めるに決まったるがな。夜ってのはな、寝るもんや。寝る前にはな、飲むもんや。ガススタンドのおやじは、さくっと店じまいをして、パブで飲んだくれているに違いない。

 
ガス欠になった「緑のマイクラ」の救助を求めて、なんと、スコットランド二度目の、「JAF的なもの」を呼ぶことになってしまった。いやはや、なんてこった。呆然自失とは、まさにこのことだ。我を失うとは、まさにこのことだ。落ち着け。落ち着かねばならぬ。

 
ふとあたりを見ると、月明かりに照らされた奴らが、何物にも動じず、喰っていた。泰然と、落ち着き払い、変わらぬ調子で、喰っている。

 
・・・ううむ。