えげれす通信、再び

20年ぶりに復活しました

【旧】えげれす通信_vol22:資本主義的領有法則への転回 (13/06/1999)

大英帝国ってのは、資本主義における先進国だったはずだ」

 

 
僕は思った。

 

 
今週の月曜は、数少ないこの国の祝日の一つ、「バンクホリデー」である。しかし五月は、何と、そのバンクホリデーが二回もある。

 

 
そいつは兎も角、学校も休みなので、例によって、小旅行に出かけることにした。行き先はHastings。ノルマンディー公ウィリアムが、11cにこの島に上陸したときの、戦いの地らしい彼の地は、今ではすっかり、リゾート地らしい。イングランド最大のリゾート&避暑地であろうブライトンの僅か東に位置し、多くの、ブリテン島の南海岸沿いの街にありがちな、「砂利浜」「海岸線沿いにある繁華街」「走ってる奴が沢山」という「リゾート地」であった。

 

 
いいところだったんだけど、最近の倫敦には珍しい天候、えげれすの日常からいくと当たり前だという天候、つまり、「雨」だったので、若干、もったいなかった。

 

 
寒かったのね。僕は本を読みに行ったんだけど、寒過ぎて、何もする気にならなかった。

 

 
で、街を見てふと思った。

 

 
「この国は、マルクスが分析した当時、地球上で先進の資本主義国ではなかったか?」

 

 
ご存知の通り、マルクスは、当時最先端の経済機構をもつ「Great Britain」をその研究対象にした。


 

資本主義の、そのマルクスも指摘している本質的な傾向とは、「資本主義的領有法則への転回」である。下部構造たる経済関係が、その上部構造たる、文化的あるいは習慣的特性を乗り越え、根底的に、人間の意識を超越したところで、その行為を決定する。確かに、それは、説得的言説であった。


 

しかるに、この老大国の現状はどうか?


 

えげれすの現状は、とてもじゃないが、先進資本主義の体勢とはいえないのである。


 

つまり、端的に言えば、「富を追求する」という、資本主義的経済体系にとって本質的な関心が、どこか本格的に欠けていると言わざるを得ない。


 

先日、例の関西弁のキースと話した。日曜祝日に何故か閉まっているえげれすの店について。


 

「日本は、えげれすと違って、日曜に店を閉めたりはしない」
「どうして?」
「かきいれどきやんか」
「ふーん」


 

この「ふーん」が曲者である。仮に、日曜や祝日の、店の営業を促す法律を作ったとしても、恐らく、彼らは、自分のスタイルを崩したくないと思うに違いないので、きっと、きっと、「何も変わらない」のである。この国で生まれた「資本主義的法則」は、この国の国民性とは合致しないのか。


 

「どうして、儲かる日曜日に、店を開けないのか?」


 

と訝しがる日本人は、それだけ、資本主義的価値観に犯されているのであって、


 

「どうして、休みの日に仕事をしなければいけないのか?」


 

と考える(であろう)えげれす人の価値観は、それはそれで、相対的なものである。ただし、世界に先駆けて資本主義を完成させたこの国が、こういう逆の傾向をもつことが、
なかなか面白いんだけどね。

 

 

店が休みまくってるHastingsの街は、結構寂しかった。僕は、そこで、長いこと捜し求めていた、安いサンダルを買って、帰ったのであった。Hastingsは、海辺。海辺→ビーサン売り→つっかけも多い、というわけで、倫敦では考えられないような値段で
サンダルを買いましたが、それ以外の土産がないってのも、変なもんですな。

 

 

では。