えげれす通信、再び

20年ぶりに復活しました

【旧】えげれす通信_vol43:旅と居住 (27/08/2000)

刑事モノドラマを見ていて、よく登場するのが、

 
「住所不定無職」

 
という設定である。これは、実に、言い得て妙な文句ですな。というのは、「旅」と「居住」の違いは何ぞやと考えるとき、この二つの条件、つまり、「棲家」と「所属」というのはかなり大きな意味を持つのである。「長期間の旅行」と、「居住」との違い。簡単に言えば、

 
「ご旅行ですか?」

 
と、問われたときに、

 
「はぁ、旅しております」

 
と答えるのか、


「いえ、住んどります」

 
と、答えるのか。これは、突き詰めて考えてみるに、なかなか面白い問題ではないか。そして、これを決定するのは、先にあげた、二つのポイント、つまり、棲家と所属なのではないか。

 
「ホテル住まい」と、短期であれ「フラットを借りている人間」とでは、これは自ずと、意識も違ってくるだろう。そして、「学校」乃至「大学」に所属しているとなると、これはすなわち、

 
「オレはこの街におるべくしておるのだ」


というような実感というか、帰属意識のようなものが、が本人に湧いてくるのではないか。

 
然し、次に考えたいのは、「住んでいる」とは、一体如何なることであるのか?

 
我々は、ニッポン人である。ということは、えげれすは「異国」なわけである。なにゆえに、異国暮らしを選んだのか。さらに、なにゆえに、えげれす暮らしを選んだのか。それは各人それぞれ色々な背景があるのだろうけれども、「異国」、あるいは「えげれす」というものに、何らかの関心を持っていたからだということは仮定できるだろう。その興味の持ち方や関心の方向性は、人それぞれであろうけれども。

 
言うまでもなく、僕がこちらで知り合った人間は、こちらに「居住」しており、こちらの何かしらの機関に「所属」している。そして、恐らく、「えげれす」に興味を抱いて、ここまでやってきた人々なのである。

 
その彼ら、だが、その多くが、今年の秋に、えげれすを引き上げてしまう。

 
異国に留学するということは、非常に、色々な意味で、覚悟を要する。その「覚悟」あるいは「期するところ」というのは、各人でそれぞれ違ってはいるけれども。

 
最初にこの地に降り立った時、我々は、それぞれの志は異なれど、「留学」という同じラインに立っていた。最初の一歩においては、同様の知識と、同様の経験値を得ていた。しかし、二年の月日が経つと、もともと潜在的にはあったそれぞれの方向性や関心の違いが、次第に顕れてくる。それは当たり前のことなんだけれども、かつて同じラインを踏んでいた「同僚」としてそれを眺めてみると、ある意味、興味深い差異に映る。

 
ある者は、倫敦に関して誰よりも精通するようになった。通りの名前を言っただけで、大体の見当が付く位。ローカルな地名、あるいはチューブの駅名を言っただけで、大体そのエリアの雰囲気を答えらえる。

 
ある者は、芸能関係に精通するようになった。本日どこで何のパフォーマンスがあるとか、どんな劇団がどこそこの劇場で公演するとか、そういった情報を完璧に押さえていたりする。

 
ある者は、気の向くままにあちこち出向き、特定の得意分野は持たないが、満遍なくイングランドについて知っている。

 
ある者は、出歩くことを遂にそれほどせず、自分の日常の領域のみを押さえることによって、十分に満足していたりする。

 
それぞれ、系統はかなり細かく分かれるのだが、見事なまでに、個人の方向性あるいは関心事というものは、二年も過ぎると、分かれてしまうものなのであるなと、僕はある意味感心するのである。

 
みんな、それぞれ、「自分は手を伸ばさない方面」の事柄に関して、機会さえあれば手を伸ばしてもよいというような、ある種の興味と義務感みたいなものは、実はもっていたりもする。だから、機会ある度に、「伸ばさない方面に詳しい友人」に対して、「誘ってくれ」と頼んだりもする。ただし、最後は、自らの情熱があるかどうか。結局のところは、自分の燃えることにしか、手を伸ばさない。まあ、ある意味、当然至極のことかもしれない。

 
もしこれが「旅」ならばどうか。「旅」という名目で滞在しており、たとえそれが長期の「旅」であったとしても、あくまでも「旅」というカテゴリーに分類される滞在ならば、意気込みは違ってくるのではないか。「旅」には、「限定された自由」が付きまとう。各人が意識するとしないとに関わらず、「旅」には「期限」がつきまとう。まあ、期間を限定しない「旅」もあるのだが。しかし、「居住」となると、「限定されない自由」があり、意識の上では、「期限の束縛」から解放されるのではないか。荷物をもって移動するのかどうかでも、意識の上で、差は出てくるのではないか。

 
自分は「居住」しているのだと、自ら思ってしまうと、その瞬間からこの地は、「非日常なもの」ではなく、「日常のもの」になる。「旅」の途中では、「効率よく」とか「網羅的に」とか「もったいないから」「義務感」とか、そうした心持で、名所旧跡や観光名所等を廻ってしまう。それはやはり、「腰を落ち着けていない何か」つまり「非日常感」が、その根底にあるからではないだろいうか。

 
「えげれす」という異国に暮らそうとも、「旅先」ではなく「居住地」として、「日常の一部」としてみなしている我々が、満遍なく、名所のあれやこれやに、ガツガツと訪問しなくなる、代わりに、自分の関心事だけに的を絞っていく、という傾向は、もしかしたら、当然の成り行きなのかもしれない。我々は、もはや、「えげれす生活」というものに、エキゾチックさを感じなくなっているのかもしれない。

 
それぞれが、独自の方向性を研ぎ澄ましつつある中で、僕の方向性はといえば、地の利を生かした「旅の可能性」である。それは日本時代から変わってはいない。仙台にいるときは、まだ若くて、財力も足もなかったから、それほど地の利は生かせなかった。大阪時代は、十二分に、その地理的条件を生かした旅をしてきた。僕にとっては、今は、それと何ら変わりがない。旅にふらりと出かける頻度も、通常の人から見たら、信じられないくらい多いのかもしれないけれど、実は、大阪時代と、さほど変わりはない。移動距離も、変わらない。ヨーロッパは、かなり狭いのである。大阪-仙台の900kmをこの地で走ったら、一体どれだけの国境を越えることになるのか。しみじみ、日本というのは、細長い国だと思う。

 
結局、この地で僕がやっていることは、昔と何ら、変わらない。えげれすだからと言っても、所詮、落ち着くところに落ち着いたといえるか。やりたいことをして、やりたくないことはしない。そして、これはやはり、留学している連中も、二年越しで見ていると、同じなのだなと実感する。「旅」という、非日常な世界ではなく、「居住」という日常的な世界にどっぷりと落ち着いた彼らは、それぞれの地金を徐々に曝し、彼らの日常の通りに、やりたいことをして、やりたくないことはしてない。

 
おもしろいね。
いや、ネタとしては、おもんないね。