えげれす通信、再び

20年ぶりに復活しました

【旧】えげれす通信_vol39:笑いの殿堂 (16/05/2000)

例えば、20:50になっても、まだ助さん格さんが闘っていたら、にっぽん中がざわめくのではないか。

 
いったい、マンネリというものは、一度軌道に乗ってしまえば、大変に偉大なものである。日本人の心象風景に深く刻まれているであろう「葵の紋所」は、決まったタイミングで決まった形で出てこないと、我々を不安な気持ちにさせる。いつもの出方であれを見ると、大抵の日本人は、安心するのである。

 
例えば、「サザエでございまーす」と聞くと、大抵の社会人は、「あー、日曜日も終わってしまった・・・」と暗くなりながら、食卓の魚をくわえるのであろう。

 
例えば「パトラッシュ」と聞けば、それだけで、目がうるうるしてしまう。

 
これらみな、「反射」的な反応である。人間の感情は、ある程度の反復的過程を経ると、自分の中に、内面化されてしまうらしい。然もこの「反復過程」による反射は、割と柔軟性のあるものらしく、多感な幼少時代に経験したものだけが得るとか、「三つ子の魂百まで」的な厳格さをもつもの、などではないらしい。

 
倫敦在住の人なら誰でも知っているミニコミ誌の一つに「LONDON族」というのがある。この月刊誌5月号の表紙は、あの「藤井隆」であった。

 
この月刊誌は、僕が倫敦に着いた頃に発刊されたもので、僕は最初から読んでいる。そしてこの表紙モデルは、一般から募集している。我々の間では、誰か応募しようという話もあったが、最近では、割と、有名人が多くなってきた。坂本龍一とかのときもあった。今回、何故、藤井隆なのかといえば、吉本が本日(と明日)、倫敦公演を行うのである。「LONDON族」では、前もって彼にインタビューを敢行したらしく、今号のメイン企画になったわけだ。

 
藤井隆ってのは、昔はめっちゃ下っぱであった。大阪ローカルの「テレビのツボ」というMBSの深夜番組にちょこっと出ていたのを知っているけれども、その時は大しておもろい奴ではなかった。その後、新喜劇に出るようになったけど、今、一世を風靡している「オカマ」ネタなども、当時はどちらかといえば、見ていて「痛い」系であった。しかし、まあ、それは兎も角、今では、歌を出したり、ミュージカルに出たりと、日本では売れまくっているそうな。

 
この記事を読んでみると、当の藤井隆は兎も角として、僕にとっては懐かしい名前が沢山出てくる。僕は、大阪暮らし8年間で、真性の「似非関西人」になるべく、色々な修行を積んだ。そしてその核となるのが、「新喜劇」を見ることであった。初めての体験は、一年目、なんばグランド花月(以下NGK)に行ったときである。

 
演目は確か、「圭修」(清水圭和泉修)の漫才、「ちゃらんぽらん」の漫才、「いくよくるよ」の漫才、その他数組。そして、新喜劇は、桑原和男池乃めだか内場勝則、未知やすえ、末成由美島木譲二井上竜夫、という、当時の基本布陣であった。

 
僕にとっては、漫才はまだ知っている人たちだし、何度もテレビで見ているので、めちゃめちゃ笑えた。・・・そう、初心者だとしても。

 
ただ、新喜劇は、自分が周りについていっていないことに気づいた。はっきりいって、何がおもしろいのかわからない。後に友人たちに聞くと、彼らが言うことは皆同じである。

 
「来る、来る、、来る、、、来たぁ!いう感じ」


わからん。何で「わかっていること」がおもろいねん。

 
然し、環境は人を変えるのである。いや、人は環境に同化してしまうのである。二度、三度とNGKに行くうちに、さらに、土曜の昼12時の4チャンネルを毎週録画して、新喜劇を繰り返し見ているうちに、僕は知らず知らずのうちに、「おもしろさ」を体得していった。水戸黄門で、紋所が来るのがわかっているのに、いざ、来た瞬間、「きたー」と思うように、新喜劇のギャグも、「来る、来る、、来る、、、来たぁーー」なのである。「わかっていること」が、おもしろい。

 
今回、藤井隆の記事を読んでみると、その当時の名前が沢山出てくるので、僕は懐かしさで一杯になっていた。いや、懐かしいっていうよりも、名前を見ただけで、色々思い出されてきて、思い出し笑いをしてしまった。僕の先輩で、当時、僕にこう言っていた人がいた。

 
「めっちゃおもろい奴はな、名前聞いただけでわらかしよる」

 
視聴側としてのこの極意に達するのは、当時、なかなか困難であると感じていたが、現在の僕は、その域まで達していたらしい。名前を見れば、顔が浮かぶだけではなく、自然と「シーン」が脳内を流れる。例えば「辻本」と名前があれば、

 
辻本「こんちわ」
桑原「あらまぁ、初対面やのに、この人無作法やわぁ」
辻本「何がですのん」
桑原「何がって、あんた、無作法やっていうてんねん」
辻本「だから、何がですかっていうてるんですわ」
桑原「あんた、なんやのん。しゃべりながらパンくわえて」
辻本「パンなんかくわえてないですよ」
桑原「くわえてるやないの。ほらここに、、、」
そう言って、桑原、辻本のアゴを触りもって
桑原「アゴや。。。」
(註:辻本茂雄アゴが出ている)

 
と、一連の動画が自動的にアタマに浮かぶ。更に、

 
桑原「(アゴや。。。)」
辻本「何でヒソヒソ声やねん!」

 
という展開も自動再生される。どうやらこの「似非関西人」も、吉本の笑いの回路は、既に「反射」の域に達したと見える。

 
その吉本が、我らが倫敦に来るのである。然も、出演者が凄い。最近の新喜劇には、ベテラン勢はあまり出なくなってきているし、出たとしても、ベテラン勢同士の絡みはあまり見られなくなってきているから、

(出演)
間寛平
内場勝則
辻本茂雄
池乃めだか
島木譲二
末成由美
島田珠代
中山美保
井上竜夫
未知やすえ
藤井隆

ジョニー広瀬(マジック)
トミーズ健トミーズ雅(漫才)

という、この、堂々たる布陣を見たら、是が非でも行きたくなってきた。

 
当日。前売り自由席を取っていたので、開園一時間前くらいで大丈夫かなと思って、それまでパブで一寸飲んでから、会場の前まで行った。するとそこには大行列がある。しかも、なんというか、並んでいる人のキャラが、人種が、放つ光が、所謂「倫敦のニッポン人」とは大きく異なっている。

 
喩えて言うならば、NGKの開園前の行列から、

 
「団体のおばちゃん」
「仕出し弁当を持っているおばちゃん」
「551の豚マンを持っているおばちゃん」
「たこ焼きの舟を持っているおばちゃん」

 
これらを差し引いた、くらいの感じかな。

 
ここが難波ならば、それでも良い。しかし、ここは、倫敦である。どことなくスノビッシュで、どことなく気位が高く、どことなくシュッとしているニッポン人しか存在していない倫敦である。背後を振り返れば、そこには「通天閣」ではなく、「ビックベン」が聳える倫敦である。

 
いやはや参った。こんな人たち、倫敦に棲息していたのか。普段、どんなところにいるんだ?三大在住である、「駐在員系」「留学生系」「芸術系」は、基本的に、こんな空気感は出さないはずだろう?あの、いつもの「オスマシ顔」はどうした?!並んでいるみんなは、顔が緩んでいるぞ?

 
一時間前で、既に200人は並んでいる。当日券は売り切れである。開園一時間前に並び始めた僕らの位置は、行列全体では、半分より一寸前くらい。行列を見てみると、案の定というべきか、殆どが日本人である。聞こえてくるのは、案の定というか、やはり関西弁である。思うに、客層は、大きく、

 
「吉本経験者」
「吉本初心者」

 
に分かれると思われる。中でも前者は、この公演の詳細を見たときに、きっとこう思うに違いない。

 
開場 19:00
開園 19:30
自由席 £20
指定席 £40

 
「誰が指定なんて買うねん。倍やないの。そんなん、吉本かて、『売れたらもうけもん』と思ってんねんで。自由席に決まってるやん。ほんで、みんな自由席買うから、一時間以上前に行って、並んどかなあかんで」

 
後者は恐らく、こう思うに違いない。

 
「えっとぉ、やっぱり落ち着きたいから、指定席とりましょう」
「私は自由席でいいんだけど、19:00開園って書いてあるし、10分前に行ったらいいかなぁ」

 
果たして、僕の付近に並んでいる、行列の前方にいる人たちは、ほぼ関西弁トークを繰り広げ、後方にいる人たちは、標準語でしゃべっている。

 
返す返すも、この日本人の数はどうでしょう。倫敦の中心ピカデリーには、その名も「Japan Centre」という、いわば、日本人の「巣窟」のようなところがある。そこは、チケットから食料品まで、まあ何でも扱っていて、完璧な「日本」である。ただし、同時に、そうした「スかした」(笑)、ニッポン人の「巣窟」でもある。いずれにしても、ジャパセンに行けば、恐ろしいほどの日本人率に遭遇することになるのだが、今日のあそこの、あの日本人率は、その比ではない。

 
タクの運ちゃんは振り返る。
BTのエンジニアは口笛を吹く。
隣のパブで飲んでいるおっちゃんたちは、驚愕の表情でこちらを見る。

 
実際、そこここで、

 
「や、加藤さんやないですか」
「あ、部長さんも来てはりますよ」

 
と挨拶を交わす背広組とか、

 
「せんせ、この列、自由席みたいやでぇ」
「あっちちゃうん?」

 
とあちこち走り回るジャパンスクール小学生組とか、

 
「あんた、きとったん?」
「あんたこそ」

 
と言う学生組とか、辺りはさながら「社交界のパーティー会場」のような観を呈してきた。倫敦中の日本人はすべて、ここに集まっているのではないかと思うほどである。尤も僕は、知った顔には二人しか会わなかったが(会ったんかい)。そして終いには、

 
「お、あっこにガイジンおんで、なんでおんねん」

 
みたいなノリになってきたことは言うまでもない。

 
さて、開場である。重厚な内装と、ドーム型の天井、パイプオルガンも置かれ、壁には彫刻が多数あって、とても趣のある建物に入る。ここは教会なのだ。ただし、その教会の中央にある、特設ひな壇には幕が張ってあり、その横には、「吉本」の字と共に、「くいだおれ人形」の絵がある。

 
くいだおれ@教会

 
まぁ、アリかな。

 
会場は瞬く間に埋まり、立ち見は出なかったけど、完璧に満員状態である。いやはや、まったく凄いことである。そして19:35、ここに「吉本 in LONDON」の幕が切って落とされたのである。

 
しょっぱなはトミーズの漫才であった。掴みは大事である。流石にトミーズ、雅は冴えていた。こてこて、基本形のどつき漫才で、会場は盛り上がる。

 
健「いやぁ、うちら結構心配していたんですわ。3割くらいは外人さんやろって」
雅「ハハ。どこがやねん!」

 
20分強の漫才に続き、今度は、ジョニー広瀬のマジックである。NGKなら、マジックはある意味「息抜きタイム」だけど、ジョニー広瀬ならば、マジックでもおもしろい。特に子供たちにウケが良かった。鳩を出して、バタバタさせてから、わざと落として、

 
「いや、エサいらん鳥ですねん」

 
とか、色々なものを出してみては、それを客席に投げつける、等の基本ネタをこなして、無事終了した。帽子の中から出した林檎が、えげれすの代表種「COX」だったので、僕は個人的におかしかった。

 
さて、そこからが真骨頂、新喜劇である。今回のは、作・演出、ともに寛平らしい。あらすじは割愛するけれども、今日の新喜劇は、6月4日に、読売テレビ系で放映するらしいので(15:30から90分)、ぜひそちらでどうぞ。

 
今回の新喜劇は、NGKのとは違って、出演人数が少ない。基本的に若手がいないので、最初からどんどん、大物が出てくる。然も、トータルで一時間半以上もある(三幕)。なので、各人の持ちネタがかなりたくさん出てくるし、絡みもひっぱるひっぱる。

 
ライトが点いて、まずそこにいたのは島田珠代だった。旦那の内場勝則との絡みで、会場は爆笑である。矢張り珠代の絡みは分かりやすい。その後、杖をもって、寛平が登場する。お決まりの、池乃めだかとの絡みも、かなりひっぱる。ただし、間延びすることなく、適当な間隔でギャグが入るので、流れがスムーズである。今回の演出は相当上手かったと思う。

 
それにしても、ネタがおもしろいのは良いけど、観客の反応も、これがまた、結構おもしろい。上で分けた分類を、もう少し細かく言うと、

 
第一カテゴリー「主に関西系の吉本経験者」
第二カテゴリー「主に非関西系の吉本初心者」

 
以外に、もう一つ、

 
「多分吉本なんてさっぱり知らないんであろう、海外暮らしが長い、駐在員の子供たち」

 
という第三のカテゴリーがある。

 
僕は、似非ながらも、「反射」の域には達しているという自負があるので、例えば、内場・珠代夫婦の父親である寛平が海で遭難したという知らせを聞いた珠代が、

 
珠代「あなたー、大変よぅ」
内場「どないしてん」
珠代「お父さんが、事故で亡くなったって・・・」
内場、無言無表情で立ち上がる。
内場、無言無表情で隣の部屋に消える。
内場、無言無表情で再び隣の部屋から現れる。
内場、無言無表情で湯呑みを持ってテーブルにつく。
内場、無言無表情でお茶をすする。
・・・
内場「・・・えぇぇーーーーー?」
(爆笑)

 
なんていう「定番」も、最初に彼が立ち上がった瞬間から、もはや笑ってしまっているわけだ。あるいは、めだかが背広を脱いで猫をやる前に、ネクタイをもったら、やることは一つである。

 
「オレの背とおんなじや」

 
これも、矢張り、ネクタイを外した瞬間から、既に笑けている。そしてそういう「漏れ笑い」があちこちから聞こえてくるということは、彼らは、この、第一カテゴリー「経験者」なんだろう。では、第二のカテゴリーはどうなるか。彼らの反応が一番明確に表れたのは、藤井隆である。

 
演者が、一人、また一人と、現れるときには、拍手や声援が上がるのは当然である。そしてそれは、人気と実力と、あとは登壇のタイミングによって、それらの量と質とが異なる。しかし、彼の出てきたときの客席の反応といったら・・・。いやはや、なんというか、「黄色い声」とでも言うのかどうか。まぁすごかった。全く以って「にっぽん人」だなぁ、と強く感じた瞬間であった。

 
新喜劇は、大方の顔見世が終わり、各々の絡みに入っていった。

 
寛平(猿)とめだか(猫)の絡みは、かなりの時間を取って繰り広げられ、僕は涙で前が見えなくなるほどに笑った。そして最後にあのキメを、ここは「教会」なのにも関わらず、やる。

 
交尾@教会

 
ま、いいでしょう。

 
猿の寛平が、猫のめだかにバックから刺し、めだか、果てる。

 
イく@教会

 
まぁね。繁栄の為。

 
辻本がやってきて、珠代と絡む。

 
珠代「あーん」
辻本「なんやねん」
珠代「ああーん」
辻本「ぶっさいくやのぉ、お前誰やねん」
珠代「うーん、ああーん。好き」
辻本「やめい」
珠代「あーん、うーん、いやーん。チーン」
辻本「お前、旦那の前でチーンはないやろ。はよこっち来い」
辻本、珠代を壁へ。珠代、壁に激突。
珠代「オトコなんて、シャボン玉」
(爆笑)

 
チーン@教会

 
まあ、ええやろ。・・・いや、ええのか?

 
島木譲二は、いかつい顔をした役者であり、もとMBSの警備員をしていたという経歴を持つ。彼のギャグ(言う方)は、基本的に、おもしろくない部類に入るのだが、やる方のギャグは、まぁ吉本を代表するものといっても差し支えないくらい有名である。ご存知「大阪名物パチパチパンチ」。彼は、内場に絡ませると、おもしろい型ができあがる。

 
島木、やってくる。
内場、それに気づき、そぉっと忍び足で部屋の隅へ。
珠代、同じくそぉっと忍び足で部屋の隅へ。
内場、ゆっくりひっそりうつ伏せに。
珠代、ゆっくりひっそりうつ伏せに。
・・・
内場「熊や、死んだフリせぇ」

 
さて、彼は、ここ倫敦でも、大阪名物パチパチパンチをやってみせた。

 
島木「よぉ見てみぃ。これが倫敦名物、パチパチパンチや」

 
パチパチパチ

 
内場「そんな、正面だけやらんと、左のお客さんにも見せな」
島木「よっしゃ、ほんなら」

 
パチパチパチ

 
内場「そんなん言うたら、右のお客さんにもせな」
島木「よぉ見てや」

 
パチパチパチ

 
内場「二階にもお客さんいてんねんで」
島木「パチパチパンチやぁ」

 
パチパチパチ

 
内場「次、三階」
島木「やったんでぇ」

 
パチパチパ・・

 
内場「あ、三階あれへんわ」

 

くーーー。ベタがたまらん。

 
案の定、次があった。

 
内場「どないなきっかけで、それ、やろう思いはったん?」
島木「どないもこないもあれへんがな。会長(寛平)が好きやったんやー」
内場「あ、そう。ほんなら、もうええからあっち行って」
島木「いや、まだやねん。会長の好きやったん、まだあんねん」
内場「なんやねんな。はよやって」
島木「これが、ポコポコヘッドや!」

 
彼は、灰皿を二つ出して、頭にポコポコぶつける。

 
島木譲二は、大きな紙袋を持っている。・・・ということは、まだ、ある。

 
島木「最後にもう一つ。カンカンヘッドや!」

 
これらはまぁ、「おつけもん」みたいなもので、なければないで、なんか寂しい。しかし、主食では決してないので、三つも見ることはほとんどない。今日は倫敦公演ということで、えらく張り切ってはるらしい。すると・・・、ここで一番反応したのが、先ほどの、第三カテゴリーであった。子供たちは、とっても喜んでいるのである。矢張り、視覚的にわかりやすいのか。

 
「カンカンヘッド」の「カンカン」は、料理屋が使う油が入っている、四角い、カネで出来た缶である。叩けば潰れるけど、かといって、柔らかいものでもない。彼は、汗だくになりながら、それを頭にぶつけ、そのカンカンをベコベコに潰して見せた。子供たちは大はしゃぎ、コーフンの坩堝である。なんというか、島木譲二にあれほどの拍手歓声が上がった場面を、僕はこれまで、一度も見たことがない。当の島木譲二もまた、若干面食らっているではないか。

 
例によって、内場が、定番の突っ込みを入れる。

 
内場「そんなん、その平らなとこやったらできるやろけど、その角のとこでやってぇな」
島木、ひるむ。
内場「なーんや、でけへんのかいな」
島木「よっしゃ、やったるわい」
島木、構える。

 
僕らは結末を知っているし、知らなくても、大人であれば大体、予想はつく。しかし、純真な子供たちは、本気で心配する。なんと、会場には、本気の悲鳴があがる。「カンカンヘッドに悲鳴」というのも、NGKではありえない状況だ。ここですかさず内場が、絶妙なアドリブを入れる。

 
内場「そんな。やれへんって」
(爆笑)

 
島木「やったるで」
再び構える。
会場、再び悲鳴の嵐。
僕には、悲鳴が微笑ましい。

 
島木、やるフリをして、寸止め。
島木「・・・でけるかい!」

 
彼が舞台から袖に下がるときのあの歓声を、僕は忘れることが出来ないのである。第三カテゴリーの子供たちにとっては、この演芸は、大変印象に残ったらしい。彼らは、この先、外国を転々と移動し、ニッポンの心象風景をあまり持たないままに大人になっていくのだろうけど、小さい頃に見たポコポコヘッドの、一寸怖いおっちゃんの画は、深く心に刻まれたのではないかな。

 
長丁場の新喜劇も無事に終わった。そこにはかなりのアドリブがあったのだが、恐らく彼ら自身もノってきていたんだろうと思われた。後説で、内場が言う。

 
「いや、大阪より、お客さんの反応よかったですわ」

 
これは、あながち、お世辞ばかりとは思えないくらいの、実際の会場の盛り上がりだったと思う。寛平曰く、

 
「一寸見たところ、会場は大体、日本のお客さんやねんけどな。でも、あの外人のお客さん、ずぅーーっと笑ろぉてはんねん。・・・わかっとんか?」

 
辻本続けて、

 
「でもこっちの外人さん、ずぅーーっと怒ってはんねん」

 
そら、猿猫@教会をはじめ、ガイジンにはタブーのシーンが多すぎでしょう。辻本曰く、これまでもいろんなところで、怒られてはるらしい。確かに、ガイジンの反応は見たかった気がする。

 
大満足のうちに、幕が引け、皆が出口の方へぞろぞろ移動しかけたとき、ふと舞台を見ると、袖から島木譲二がそっと現れた。彼が手に持っていたのは、あの凹んだカンカンである。彼は近くにいた若者に、そのカンカンをプレゼントした。

 
・・・僕の近くの席にいた小学生くらいの女の子が、それを見ていた。彼女はとっても羨ましそうに、キラキラと目を輝かせて、

 
「いいなーーー」

 
僕は、何ともいえないあったかい気持ちになって、会場を後にしたのであった。