えげれす通信、再び

20年ぶりに復活しました

【旧】えげれす通信_vol45:ヒッコシ (27/09/2000)

ガソリン代に占める税金の高さと、それに伴うガソリン代そのものの高さを不満としたデモが、海を隔てたフランスで始まった。トラックが、ドーバートンネルを封鎖したというニュースを、僕は部屋で寝転びながら見ていた。

 
「なかなか思い切った行動に出たねえ」
「流石、おフランスは、血が濃いわ」

 
***

 
愈々、倫敦を離れる日が近づいてきた。諸事情を勘案すると、次第に日程が決まってくる。客人に会う日、雑務を片付ける日、飲みに行く日、等々。常に引越し前というのは、慌しいものである。

 
今回の引越しプランは、次のようなものであった。

 
・第一次引越し(レンタカーで荷物運び)
・一旦倫敦に戻り、二泊した後、ビザ更新のため海外旅行
・第二次引越し(身一つで新居に移住)

 
ヤサガシという最重要事項を片付けて、残る懸案事項は、次の二つである。すなわち、「レンタカーに荷物が載り切るか否か」「学生ビザの更新がスムーズに行くか否か」。然し、この第二の点に関しては、前年の西班牙旅行の際、全く問題が無かったし、「語学学校」ではなく「大学」の、レターがあれば、鬼に金棒、黄門様に葵の印籠、である。問題は起ころうはずもない。余裕綽々な訳である。しかし、第一の点、車の件は、頭が痛い。僕は、一人暮らしのくせに、荷物が多い。然も、その殆どが、割れ物と本なので、扱いがなかなかに大変なのだ。

 
今回借りた車は、ワゴンの中型である。載り切らなかったら郵送することも考えて、それなりの荷造りをした。テレビは既に処分済み、パソコンは、電話を止めたため、ネット接続ができない。数日間の、完全に情報から遮断された生活が始まった。

 
前日、僕は友人と日本食レストランにいた。「倫敦に住む」と云うことは、すなわち、日本のモノには事欠かないということであるが、「倫敦を離れる」ということは、今度はむちゃくちゃ事欠くということである。これまで、見向きもしなかった日本食レストランでさえも、しばらく来られないかと思うと、万感の思いがある。「地球最後の日」の前日に食べるものを選ぶ心境に似ている。初めて行った店だったが、僕の最も好きな、「酒菜」系が充実してる店で、僕は大変に満足した。

 
然し、暫く外界から遮断された生活をしていた僕に、突然降ってきた情報は、実際、かなり痛いものだった。

 
「石油(ガソリン)危機が起きているらしい」

 
数日前、寝そべってぼんやり見ていたフランスのデモが、ヨーロッパ中に波及して、えげれすの地でも、ガソリンを運ぶローリーがストを起こしたり、基地を封鎖したりして、ガソリンの供給が麻痺しているのだそうだ。

 
おいおい、こっちはヒッコシなのよ。勘弁してくれ。

 
然し、そのときはまだ、僕は事態を甘く見ていた。依然として、僕の心を占める最重要事項は、荷物を完全に積載できるかどうか、である。ガソリンなんて、ららーらーららららーらー♪という感じである。僕は、その飲み屋で、花わさび漬けを摘みに冷酒を飲み、いい気分で家に戻った。

 
さて、当日は雨であった。全くこんなときにも、やっぱり雨かい、うーむ、as usual...、ぶつぶつ言いながら、レンタカー会社に向かう。そこは、家からバスで15分くらいの、めっちゃ近所である。余裕ぶっこいていた僕は、契約が13:00からなので、まぁ12:00ちょい前に出ればOKだろうと思い、雨の中出発した。

 
世の中は全て普段通りであった。雨も降っているし。

 
異変を感じたのは、バスに乗って5分くらい行ったところであった。対向車線が、やたらに渋滞している。なんかイベントでもあるのか?どっかのスーパーが開店セールをするとか、劇的な大安売りがあるとか?でも、この国で、そういうイベントとか、それに伴う渋滞とかは、あんまり見たことがないなぁ。

 
幸いこちらの車線は空いていたので、バスは快調に飛ばした。で、地図を見ながら、どのバス停で降りようかと、ぼちぼち考え始めた矢先、今度はこちらの車線も渋滞し始めた。

 
あちこちで大安売りがあるんだな。鬼のように美味い「フィッシュ&チップス」屋が開店とか、かな。

 
進まない。

 
そうか、分かった。ドライブスルー「フィッシュ&チップス」という、画期的な店ができたんだな。

 
進まない。

 
「当店では、作り置きはしません。注文を受けてから揚げます」という殺し文句を考えたものの、客の導線には気が回らず、むちゃくちゃ渋滞しているのかな。

 
進まない。

 
「コッド&チップスください」
「ハドックもお付けしましょうか?」
「あ、お願い」
「プレイスはどうしましょう?」
「それも良いなぁ」
「ビネガーはいかがしましょう?」
「体、柔らかくなって、ふにゃふにゃになって、立たれへんようになるくらいかけて」
「お時間10分ほどよろしいでしょうか?」
「待っています」
これを一人一人やっていて、進まないのかな。

 
・・・

 
然し、まったく進まない。レンタカー会社に13:00までに着くのが怪しくなってきた。30分で、進んだ距離は500mくらい。歩こうかとも思ったが、地図を見ると、まだ遠いし、チューブの駅も、ちと遠い。困ったぞ。

 
40分くらいじわじわ進んで、漸く、渋滞の先頭が見えたとき、僕は一気に全てを悟った。片側一車線、しかもえげれすの道幅は狭いというこの状況で、みんな、ガソリン待ちをしているのだ。そして、ガソリン待ちじゃない車も、それを追い抜いていけない状況であった。それで、絶望的な渋滞が起きているのだった。

 
然し、僕はまだ楽観的だった。何故なら、僕は、「レンタカー」を借りるのである。レンタカーってのは、ガソリンを満タンにして貸してくれるものである。世の中の苦しんでいる人々を尻目に、こちらはさくっと走ってやれ。中型で、荷物を積むから、燃費は悪くなるとはいえ、倫敦を脱出することくらいはできるだろう。

 
・・・甘かったのだ、認識が。このガソリン危機は、僕が想像していた規模を遥かに超えているらしいことが、次第に分かってきた。気をつけて見てみると、街中のガソリンスタンドは、8割方、閉まっている。補給のローリー車がそもそも来ないので、各スタンドの貯蔵タンクが空になって、売るにも売れなくなっている状況のようだ。で、たまに開いているスタンドがあると、そこでは鬼のような渋滞が生じている。そして、何よりショックだったのは、借り出すレンタカーのガソリンが、何と半分しか入っていない!

 
「すみませんなぁ。知ってのとおり、ガソリンがないもんで、今日は、半分しか入ってないんですよ。だから、返すときも、半分で返してね」

 
レンタカー会社のおばちゃんは、こうほざく。すると、そこに、ある兄ちゃんが、車を返しにきた。

 
「満タンですか?」
「いや、だめです。入れられなかった。その分払いますね」
「(溜息)」

 
何だか、レンタカー会社の車のやりくりも、相当大変そうである。「貸してもらえるだけマシ」だと思わなければならないのか。

 
外は雨。土砂降りになってきた。僕は暗い気持ちで、家に戻った。兎にも角にも、積み込みをしないといけない。僕はずぶ濡れになりながら、何とか作業を終えた。心配していた積載量問題は、何とかクリアできた。然し、あと一箱でも増えていたら、載りきらなかったところであった。

 
さて、ここから遥々400kmを走ることになる。僕の新居は、Durham(ダーラム)。非常に歴史のある、素晴らしい街である。積み込みに時間を食ってしまい、出発は夕方になってしまった。これから夜を走ることになる。前回のアイラ旅行のときの、ガス欠の悪夢が頭をよぎる。とりあえず、一度満タンにしておかないと。時間がかかるのを承知で、兎に角、近所の、唯一空いていたスタンドの行列に加わった。今度は、事情を知っているので、さくっと並び、遅々として進まない列にもやきもきすることなく、フィッシュ&チップスなどを摘みながら、余裕ぶっこいて、待っていたのだった。時間はかかるが、あとはDurhamまで走るだけなので、別になんてことはない。

 
40分くらい並んで、あと3台、というところまできた。

 
ところが、なんたることか、ここにきて、突然、列が進まなくなった。今までは、交通整理のおっちゃんが、ちゃんと誘導してくれていたのに、突然、仕事をしなくなった。なんだなんだ?紅茶の時間か?

 
しばらくすると、ポリが来た。ポリは、3台前の車のところに行き、何やら話している。順順に話をして、僕のところにポリが来た。

 
「すみませんな。なにやら、コンピューター制御装置が故障したとかで、今日はもうだめらしいですよ」
「はぁ?だめって??それって、もうガソリンを買えないってことですか?」
「そうらしいですなあ。すみませんなあ」
「並んだの、無駄ってこと???」
「そういうことみたいですね。はっは(笑)」

 
泣けてきた。男泣きに泣いた。むせび泣いた。世の中、正直者はバカを見るらしい。

 
愈々もって、事態の深刻さが分かってきた。供給が安定していないので、いつ売り切れるかわからないわけだ。然も、ここはえげれすなので、あっけなく何かが故障するかもしれないわけだ。車を借りに行くときに通った道にあった、さっきは開いていたスタンドが、今見ると、閉まっていたりする。無くなった時点で、即閉店となるわけだ。並んでいても、買えるとは限らない。

 
いろいろ考えたが、矢張り、先に進むことにした。一時は、家に戻って、翌日改めて出発しようかとも思ったが、ここは予定通り、行くことにした。翌日は土曜であり、これから夜がやってくる。この状況で前に進むのは、危険が多いかなとも思ったし、今ならまだ引き返せる状況だったが、まぁ何とかなるだろうと思って、賭けに出ることにした。

 
初めて満タンにできたのは、高速道路のサービスエリアのスタンドであった。ここでも40分くらい並んだが、それでも入れることができた。兎に角これで、何とか、ダーラムまでは行き着けるだろう。

 
ところが、クソ重い荷物たちを満載した我が車は、予想通り、めちゃめちゃ燃費が悪い。見たこともないくらい、やたら速い動きをする燃料計の針に慄きながら、次の給油を考えなくてはならなくなった。どうやら一回の給油だけでは、着きそうにないのだ。

 
幸い、サービスエリアのスタンドは、どこも開いているらしい。然も、24時間営業らしい。ただし、倫敦から離れるにしたがって、夜は閉めるところもでてくると思われた。

 
残量が半分をきったところで、僕は二度目の給油のため、スタンドで列に加わった。ここは、今までのところよりは、ずっと、空いている。待つことには慣れていたので、家から持ってきた麦茶を飲みながら、余裕をこいて待っていると、またしてもポリが登場した。うーむ、嫌な予感。

 
「すみませんなぁ。ここ、緊急車両のみなんですよ」
「げ。いや、僕も緊急なんですがね。。。」
「(残量計をちらと見て)まだ残ってるようですなぁ。ニヤリ」
「は、はぁ。」

 
えげれすのポリは、誠実で、いちいちちゃんとしている。まぁ仕方ないかなと納得し、次のスタンドへ向かう。そんな感じで、スタンド見つけては給油をし、漸く22:30、新居に到着した。そして荷物を部屋に運び込んだ。

 
今回の新居は、前に書いた通り、改修されることになっている。その作業は、

 
「8月末には終わる予定」

 
と、最初に言われた。そして次には、

 
「9月の二週目までには終わるらしい」

 
と言われた。よって、僕は、

 
「まぁ10月までに終われば上出来だろう」

 
と読んでいた。こうした「作業」が、予定通りに終わることは、この国では決してあり得ない。信じたものが、バカを見るのである。決して信じてはならない。ロンドンアイ(観覧車)とか、ミレニアムブリッジ(テムズにかかる橋)とか、そういった、国家的規模の「作業」でも、必ず「何か」が起きて、「予定が伸びる」のがえげれすである。因みに、ロンドンアイの場合は、寝かして製造していた観覧車を、いざ起こすときに、二度だか失敗している。やってみたが、起きなかったらしい。・・・いや、そういうのって、最も根本的なところなんじゃないの?そして今度は、起こしたはいいが、構造上の欠陥が見つかったそうである。・・・いや、寝かしているときに、それはわからなかったの?構造上の欠陥って・・・。そんなわけで、2000年の元旦に予定されていた開業が延期になった。また、ミレニアムブリッジは、人がいっぱい乗ると「揺れる」ことが判明したそうだ。実際に人が乗ってみたら、「揺れた」のだそうだ。それで、現在は、閉鎖中である。

 
分かろうや。最初から。作るときから。

 
どれもこれもそんな感じなので、個人の家の改装作業なんてシロモノは、何が起こっても不思議ではないし、予定通りになど、そもそも、いく筈がない。案の定、この日到着してみて、内部を見てみると、前回のヤサガシ時よりは、いくらか進んではいるらしいが、「終了」には程遠い状態である。因みに、この日は、「9月の二週目の週末」である。ただし、最初から信用もしていないし、また、これは、「第一次ヒッコシ」である。住むわけではなく、倫敦に一旦戻るわけである。なので、作業が終わっていなくても、いっこうに問題はない。ハナから、その辺を見越して予定を組んでいる。

 
はっは。えげれすに住むということは、こういうことなのだ。

 
兎に角、重たい荷物たちを運び込む作業で、僕はくたびれ果ててしまった。ただし、これから一週間、留守にすることになる。工事のおっちゃんたちの出入りもあるだろうし、荷物はちゃんとまとめておいた方がいい。そう思って、わが部屋を見ると、木でできた、重厚な、ワードローブがある。ほほう。良きものがあるじゃないか。荷物の一部をその中に仕舞っておこう。僕は、段ボール以外の荷物をその中に仕舞いこみ、扉を閉めた。しかし、閉めた瞬間、なんだか嫌な音と手ごたえを感じた。

 
カチ

 
「カチ」って何だ?見ると、木製の厚い扉には、なにげに鍵穴が開いている。西洋風の鍵っぽいシロモノである。

 
全てを一瞬で悟った僕は、「体、柔らかくなって、ふにゃふにゃになって、立たれへんようになるくらい」ビネガーをかけたフィッシュ&チップスを喰った人の如く、崩れ落ちてしまった。哀れ、荷物たちは、囚われの身になってしまった。なんで鍵なんかついているんだよ?しかもなんでオートロックなんだよ?

 

契約の時に渡された鍵束を、一応、確認してみたが、えげれす人が、ワードローブの鍵を渡すほどの細かい神経を、持っている筈がない。とにかく大家さんに連絡しなければ。しかし、僕はさらに絶望的なことに気がついた。大家さんの連絡先を書いた紙は、哀れ、ワードローブの中である。

 
嗚呼。えげれすに住むということは、こういうことなのだ。

 
焦ってはならぬ。兎に角落ち着くべし。僕は冷静に、対処方法を考えた。

 
1.鍵穴に何かを突っ込んで、回してみる。
2.合鍵屋に相談する。
3.大学のaccommodationオフィスに、大家さんの連絡先を聞き、鍵の有無を確かめる。

 
1は、無残にも、即、敗退した。2は、ざっと探したが、見つからなかった。また、仮に見つかったとしても、このサービスはなかんかお高いのだ。なので、矢張り、3にすることにした。差し当たり、当面必要なものは、檻の中ではないのが幸いである。

 
アコモオフィスは親切であり、かつ迅速に返事をくれた。僕は後日、大家さんに電話した。大家さんは、何故か、Mr.ではなく、Mrs.Maitlandさんである。ただし電話に出たのは、おっちゃん、つまり旦那さんの方であった。

 
「すみません、奥さんに代わって貰えます?」
「あ、今、いないんですよ。何か伝えましょうか?」
「お願いします。僕は部屋を借りている者ですが、実は問題が起こりまして。部屋にワードローブがあるんですが、鍵がついているのを知らなくて、扉を閉めたら、鍵がかかってしまいました。何とかしてもらえませんか?」
「あらら。それは大変だ。今から行ってあげたいんだけど、今、酒を飲んでしまっていて、車の運転ができないんですよ。明日でも良いかな」
「いや、それはもう。勿論です。で、鍵はありそうですかね?」
「いやぁ、、、無いだろうなぁ。もし、今夜中に必要なものがその中にあるのなら、、、簡単な解決法がある」
「それは・・・?」
「扉をぶち破るのさ(笑)」

 
彼は、なかなかいい人っぽいが、酔っているらしい。話すのは初めてだけど、奥さんの方が、どう考えても、確り者らしい。彼は、

 
「I allow you to smash it. Can you do it?」

 
と、上機嫌で言った。おお。「allow 人 to do」構文じゃないか。いや、そんなことより、それって、どうなのよ?

 
別に急ぐわけでもないし、奥さんに確かめてからの方がいいとも思ったので、有難うと礼を言って、電話を切った。

 
翌日、奥さん登場。事情を説明すると、おやまぁと言って笑いながら、どこかに行った。

 
鍵を探すのかな。それとも、鍵屋に連絡するのかな。もしかしたら、家具専門の、そういう業者がいるのかもなぁ。何にしても、あの旦那よりは合理的な方法をとるに違いない。

 
Mrs.Maitlandは、笑顔で戻ってきた。手にはナイフを持っている。

 
ナイフ・・・?

 
訝しげな表情の僕を尻目に、彼女は、「さぁやりましょう」と言って、ワードローブに近づいた。そして、扉の隙間に、ナイフをガシガシ入れつつ、扉を無理やり引っ張った。

 
バキ

 
かなり派手な音を立てて、扉はぶち破られた。彼女は、

 
「やったわ!(We've done it!)」

 
と嬉しそうに言った。

 
・・・ううむ。えげれすに住むということは、こういうことなのだ。