えげれす通信、再び

20年ぶりに復活しました

【旧】えげれす通信_vol31:大家問題 (17/11/1999)

ここんとこ、腹立ってしゃぁないことが多かったので、なんとなく、気分的に、鬱積している。

 
大家のことよ。

 
彼は、最初こそ良い人そうだと思ったものの、暮らしていくうちに、かなりの潔癖症で、なおかつ、相当神経質で、アホみたいに偏屈な人間だってことが、最近突然わかった。ちなみにうちのフラットは、大家も同居するパターンのヤツである(フラットには、「大家同居型」と「大家非同居型」とがある)。そこでは当然、大家のニンゲンとしての性質が、生活の質を決定する。

 
いや、この前、夜中に電話していて、声がでかかったのは悪かった。それで、初めて、注意を受けたのだが。それに、何回か、うちでパーティーをしたのも、結構遅い時間までだったし、それもこっちの落ち度だ。しかしそれが、不動産屋に、クレームという形でタレ込まれた。

 
不動産屋から来たfaxには、それ以外の項目も、何故か追加されている。

 
1.4回(日時の注釈付き)、パーティーをしたこと。
2.飲み会が深夜にまで及んでいたこと。
3.風呂場が大変汚れている。
4.10月分の家賃支払いが遅れた。
5.洗濯機の使い方が間違っている。

 
激怒したオレ。さっそく、まず、不動産屋に電話した。

 
「受け取りました」
「そうなんですよ」
「まず、言わせてもらいますと、1と2は基本的に、その通りです。この点に関しては、全く僕の落ち度であり、全面的に謝ります。但し、時間については、全て深夜にまで及んでいたわけではないんですが」
「でも、全て、日にちと時間と面子が書いてありますよ」
(監視しているのか?!)
「日にちを間違っているものもあるし、大体、この前注意されたときは、そもそも誰も来ていなかったんですが」
「基本的に人を泊めてはいけないって、契約書に書いてありますよ」
(このおっさんは奴の味方らしい)
「で、3ですが。こんなことはないです。僕は、使うたびにきちんと洗っています。むしろ、僕が入る前に、『汚れているな』と思ったこともあります。僕はいちいち髪の毛まで始末し、水も拭いていますが」
「そうですか。そう伝えましょう」
(誰の髪の毛か?とか、遺伝子レベルでチェックしそうだ)
「4。これは、大家さんにその時に事情を話し、了承を得ているんですが。その数日前、僕は財布を落として、カード現金すべてなくなり、再発行に一週間くらいかかるんで、それまで、申し訳ないけど、待ってもらえますか?と大家さんに聞いたら、本当に心配してくれて、ぜんぜん問題ない、と答えてくれたんですよ」
「そうは言っても、お金のことですから、友達に借りてでも、必ず期日までにきちんと払ってください」
(いや、おかしいだろ。聞いたとき、もしだめだったら、そう言ってくれれば、なんとかしたよ。笑顔で「問題ない!」って言ったのは、なんなんだよ。あれを信用したオレが悪いのか?)

 
多少腹が立ってきて、

 
「言葉を信用してはいけないということですね」
「そうじゃないですよ。ただ家賃は、どんなことがあっても、きちんと払ってください」
(いつも延滞してるみたいな言い方しやがって、この、安藤のおやぢ。ていうか、さっきから、そちらが反論できない点には、答えをすらしているじゃねぇか、このやろ)
#不動産屋は、安藤氏という。

 
「5ですけど、何でこんなこと言うんですかね。確かに最初使ったとき、使い方がわからなくて、がちゃがちゃやっていたら、大家さんがきて、説明してくれたことはありました。次の時も、一点だけ、方法を教わりました。大家さんが来たのは、この二回のみ。すべてやり方を教えてくれて、その後はそれを守っていることばかりです。それを、『誤作動して困る』とはなんですか?」
「伝えておきましょう」

 
ここで既に、かなり腹が立っていたが、更なる攻撃が来た。

 
「もう一点、ここには書きませんでしたが、何か変な臭いがするっておっしゃってました。何か吸ってるのでは?と」

 
キレた。
キ・レ・た。

 
「ふざけないでください。なんですか、それは。僕が薬でもやってるっていうんですか。人を疑うのもいいかげんにしてくださいよ」
「誤解ですか?」
「多分、僕が、葉巻を吸うからでしょう」
「ああ、そうですか。で、それは確認しましたか?」
「たばこを吸ってもいいと言われたので」
「葉巻は?」
「いや」
「それは確認してください。葉巻は特別ですから」

 
安藤のハゲおやぢに言っても仕方ないんだけど、そして、どうやらコイツは大家の「友人」らしいので、基本的に敵対的なサイドに最初からいて、公平な判断はそもそも望めないんだけど、かなりうんざりした。確かに、葉巻は「特別」かもしれん。問題はそんなところじゃない。あの大家は、オレがもってきたスプーンやフォークまで選り分けて、別においておくような奴なのだ。とにかく、いちいち細かい。細かすぎる。食器はシェアっていっただろ?包丁も、僕がもってきたのを決して使わないらしい。ということは、同時に、「オレのも使ってくれるな」ってことなんだな。

 
他人と同居する、というのは、僕にとっては初めての経験である。日本での一人暮らしは、完全に「一人暮らし」であった。しかしえげれすの所謂「フラット」は、大家にせよ、他の間借り人にせよ、必ず他人と何かをシェアすることになる。そこでは、それぞれの生活スタイルの違いから、多少の「常識ギャップ」が生まれる。それはこれまで色々なところで聞いていたことではあった。だから僕は、細心の注意を払っていた。パーティーの件は完全にこちらが悪いので、以後は一切していない。しかし、それ以外の点は、多少の「常識ギャップ」をもつ他人と同居する暮らしにおいては、ある程度、互いに擦り寄せをするべきところなんじゃないのか?(したことないけど、これは、他人と同居する「結婚」でも言えることなんじゃないのか)

 
相当腹が立って、数日が過ぎた。するとある晩、もう一人の韓国人同居人、李さんが、台所に僕を呼んだ。彼は、日本語ペラペラである。

 
「いやぁ、聞きましたよ」
「まったくね、大変でした」
「細かい人ですからね。僕も時々うんざりするんです」
「ねぇ、ほんとに」
「根はいい人なんですがね。少々細かいですねぇ」

 
僕は、彼に、状況を説明した。

 
「思うに、僕は韓国語を話すから、会話に不自由がないけど、あなたは細かいところのコミュニケーションをとるのが難しいでしょう。そこら辺も理由の一つなんじゃないですかね」
「そうでしょう、きっと」
「でも、僕は言ったんです。何も、不動産屋に告げ口みたいなことをすることはないでしょう、って。直接言えば、彼も、気持ちが重くならないだろうに、って」
「それはそれは、どうもありがとうございました」
「とにかく一度、みんなで飲みましょう。そうすりゃ、すべてが片付く。これ韓国式」
(良くも悪くもアジア的だ。本当に、良くも悪くも、である)

 
でも、まぁ、僕もそれは吝かではない。なにせ、まだ一年近く、住まなければならないのだ。ケンカするよりは、仲良くなった方が良い。

 
そこで、昨日、李さんが、大家を呼んできて、飲み会を行った。大家は、ベロンベロンに酔っ払っていた。普段はめちゃくちゃ静かなのだが、酔っ払うと、相当やかましくなる。いや、アンタさぁ、自分だって、かなりうるさいやないか。ヤツがあまりにうるさいので、時間も時間だし、下の階に聞こえるかもしれないので、僕はとりあえず、飲み会部屋のドアを閉めた。すると、大家曰く、

 
「心配ないですよ。今は我々三人だけだから」

 
そういって、大声で歌を歌い出した。僕は半分あきれながら、彼の演説調のよっぱらい噺を聞いていた。

 
彼は、韓国のエリートらしい。韓国社会は、ご存知のように、完璧な学歴&ステータス社会。むかーしむかしの、日本と、ほぼ同じか、もっと強い。それ自体は、ひとつの文化だから、別に批判しようとかは思わないんだけど、ヤツは、そういう訳で、僕を、「大学の名前」というレッテルで見ている。ステイタスの高い大学に所属しているから、という点のみで、僕を評価している。仮にそうでなかったら、あの通達は、もっと敵意に満ちていたかもしれない。こういう人間は、本質ではなく、形式でしか人を判断しないから、僕という人間を理解している、あるいはしようとしているのではなく、「大学の名前」に敬意を払っているに過ぎないのだ。つまり、僕が、もっとも軽蔑するタイプの人間である。まぁ、韓国文化が、そういう側面を持っているのは確かだから、そこは差し引いて考えるけれども。

 
日本の大学の話になると、東大、京大、東北大、云々といい、李さんが通っていた北大を、馬鹿にする。李さんも、これまた韓国人なので、

 
「いや、北大は、北海道ではトップの、エリート大学ですよ」

 
と、本人は気づいているのかどうかわからないけど、同じ論理で切り返す。さらに、大家は、アホみたいに偏固な、偏見をもっており、それを硬く信じている。曰く、

 
「ヨーロッパ人は、ぜんぜんだめ」
「韓国人も、あまりよくない」
「日本人、最高」

 
これらの価値観は、全て、彼の個人的特殊的な経験からきているんだろうけど、もう凝り固まって、決して崩れることがないだろうな。物事を相対的、客観的に見る、ということは、ヤツには一切、期待できない。

 
大家は、歌い始めて、調子に乗り、カセットをかけ始めた。それが終わった時、今度は、李さんが、自分のお気に入りをかけようとすると、

 
「そんなもん、つまらん。かけるな。こっちがいい」
「いや、今、終わったばかりじゃないですか」
「いらんいらん」

 
うんざりするような、ジコチュー。儒教文化のいちばん影の部分。

 
基本的に、飲み会自体は、終始和やかに進んだ。…と、言うより、僕は、開始5分で、すべてを察したので、あとは、ただ、ニコニコしていたのであった。若かりし頃だったら、こうはいかなかっただろうに。さすが、29歳になっただけのことはある(笑)。

 
途中、僕は、餌をなげてみた。何々人、の話になったとき、僕が、

 
「イタリア人は、rubisshじゃないですか?」

 
とふってみた。僕は、「通信」で散々書いたし、積極的にまた行きたいとはあまり思わないけれど、だからといって、イタリアやイタリア人そのものを全否定する気はサラサラない。物事は、全て、相対的だ。しかし案の定、大家は盛り上がり、

 
「その通り。その通り。よく言った」

 
大喜び。まったく。なんというか、「友達になりたくない」とか「距離を置きたい」とか、そういう消極的なネガティヴではなく、「憎悪の対象」とか「とことん軽蔑」とか、そういう積極的なネガティヴの対象で、1ミリも酌量の余地無しだ。人間の屑、と言って差し支えないだろう。

 
ではまた。