えげれす通信、再び

20年ぶりに復活しました

【旧】えげれす通信_vol07:じゃこおろし (日付不明/10/1998)

こんにちは。久しぶりの「えげれす通信」です。


 
昨日は、居酒屋ちっくな日本料理店に行って来た。「外にのみに行く」という場合、パブ以外には、案外に選択肢がないのがえげれすである。日本料理屋系は、高いし、今まで一度も行ったことがなかった。しかしこの店は、料理屋あるいは飯屋というよりは、居酒屋っぽいと聞いていたので、いっぺん試してみても良いかなと、行くことにした。昨日は、総勢7名の飲み会だった。


 
良い頃合いになったので、勢い込んで突撃するも、店には「Closed」のプレートがある。しかし良く考えれば、まだ17時過ぎである。ひょっとしたら、もう少し遅く開くのかもしれないという提案に従い、近くのパブで時間をつぶしてからもう一度行ったら、今度はちゃんと開いていた。高緯度のえげれすの冬は、16時には真っ暗になる。みんな、飲みに繰り出すキモチになっていた。


 
さて、そもそも日本料理店は価格が高い。件の店も、「じゃこおろし」が700円もするというのは、経験者からの情報で知ってはいた。しかし、入店して、改めて店内のメニューを見てみると、


 
・塩辛
なめこおろし
・揚げだし豆腐
・焼き鳥
・厚揚げ
・焼き茄子


 
等々、いわゆる「居酒屋メニュー」がなかなかに充実しているのである。しかもそれぞれのメニューが「短冊」になって壁面にぶら下がっている、僕の大好きな「短冊系居酒屋」である。僕は自動的にコーフンしてきた。


 
しかし、冷静になって良く良く考えてみれば、大概のモノは、「作ろうと思えば作れるもの」である。コーフンして見境なく注文してしまいそうになったが、いったん落ち着けば、「値段を気にしなければ」ではあるものの、自作可能な(購入可能な)シロモノばかりである。うちの寮には料理設備がないから、うちで無理して自作しようとすると、電子レンジを再びあの世送りにしてしまう。しかし、例えばフラット(アパート)暮らしの連中などは、調理器具がちゃんと一通りあるから、やろうと思えば作れるのである。


 
確かに自作はできる。しかし、この、「短冊居酒屋」の醸し出すなんとも言えぬ雰囲気が、我々の判断を鈍らせた。加えて、スタッフの皆さんのホスピタリティにも、「ニッポンのお店」の良きところがガンガンに現れている。やはり我々はコーフンが止まらなくなってしまった。


 
店に入ると、バイトのおねぇちゃんが


 
「いらっしゃいませ」
「コートお預かりしましょうか?」


 
むぅ。久しく貰ってないぞ、この感じ。忘れていたぞ、その感じ。


 
我々のテンションは振り切れてしまい、もはや、「自作可能/不可能」の判断力が作動しなくなってしまった。我々は熱狂的に、ガンガン、頼んでいった。


 
「じゃこおろし!」
「塩辛!!」
「揚げ出し豆腐!!!」


 
しかし、「自作可能/不可能」の判断力は曇ってしまっていたものの、「えげれす暮らしの日々で培われたある種の感覚」は健在だったらしい。ある奴が、


 
「じゃがバター」


 
と、頼んだ刹那、


 
「さすがにイモはやめてくれ」


 
全員が間髪入れず、正当で的確なツッコミを入れた。


 
件の「じゃこおろし」も、醤油をぶっかけて食べるとまことに日本の味だったし、我々一同が感動の嵐に巻き込まれた「秋刀魚」も、非常に素晴らしかった。


 
みな、口々に、


 
大根おろしが添えてある」
「ちゃんと焦げもついてる」
「わたもちゃんと美味い」


 
そこは一瞬にしてナショナリストの集会場と化したのであった。


 
酒は・・・というと、しかしまあ、贅沢は言っていられない。「大関」と書かれた一升瓶が店内に並んでいたのは気づいていた。これが日本だと、僕は、大関白鶴松竹梅を選択することはまずない。しかし、ここはえげれすである。えげれすの寒い冬の夜である。店内に「自動燗つけ機」があったのを見つけた僕は、たとえ大関でも、たとえ機械燗であっても、やはり「熱燗」というアイテムが欲しくなった。連日、日本からのメールで「今日は寒いので熱燗を飲んだ」系の報告を聞くたびに発狂しそうになっていたので、千載一遇のこの機会を逃してはならぬ。


 
徳利とおちょこで正しく供された「熱燗」は、僕らをさらにうならせた。僕らは、日本の正しい熱燗の飲み方を実践した。


 
「じゃ、じゃ、じゃ、まず、一献」
「おととと。それでは返杯を」
「ではでは。まままま。」


 
基本形の踏襲は義務である。こうして、居酒屋の夜は、素敵な雰囲気を伴って更けていった。

 

 
バイトのおねぇちゃんはみんな、相変わらず愛想がいい。皿を下げるときは、


 
「お下げしてもよろしいでしょうか?」


 
グラスが空いたら


 
「何かご注文は?」


 
灰皿が一杯になったら、


 
「灰皿おとりかえします」


 
くぅ。なんて、ゆきとどいているんだ。なんて、素敵な心配りなんだ。なんて「気にして(mind)」くれるんだ。


 
僕らにはその度に、筆舌に尽くしがたい、深甚なる感動が広がっていく。


 
基本的に、えげれすのレストランでは、食事中にちょっとでもフォークを休めたりすると、その瞬間、店員のオネエチャンがスッと忍び寄り、間髪入れずに容赦なく皿をもっていく。どう見たって、まだ半分も食っていない皿だろうがなんだろうが、彼女らは光の速度でもっていこうとする。我々は、彼女らが既に抱えている「終わった皿たち」の上に、自分の「終わっていない」皿が重ねられて汚れてしまう前に、「Not yet」と叫び、その攻防戦を勝ち抜かなければならない。食べるのを小休止してしゃべったりしているときでも、もし傍にやって来そうな店員を感じた時には、フォークを手放さず「食べてるフリ」をし、自分の皿を死守しなければならない。


 
とくに、付け合わせの野菜などを「守り抜く」ことは、相当な難関である。慢性的な野菜不足に悩まされている我々日本人にとって、外食時に出てくる、ポチャっとした、頼りなさげな、「皿につけあわせの野菜」は、えげれすを生き抜く上で限りなく貴重な資源である。ここでは「新鮮な」というのが、重要なキーワードである。「新鮮」とは言えないような、クッタクタに煮込まれ、原色をとどめていない、歯ごたえニュルニュルのブロッコリーなどには、毎晩、寮のメシで、お目にかかれる。しかし「新鮮な」生野菜に出会える機会は限られている。


 
皿に付け合わせの野菜を、ゆっくりと、食を愉しみながら、「完食」するためには、技に熟達しなければならない。メインでさえ、半分残っている皿を持って行こうとする彼女らが、「付け合わせごとき」が残っている皿を見逃すはずはない。彼女らにとって「付け合わせの野菜」などは、所詮、「ウサギの餌」のようなものに過ぎない。あれは「食べるべきものである」という認識は、そもそも持ち合わせてない。刺客が背後から忍び寄り、下げようとする。我々は「Not yet」と言って、それを止める。一人クリアしたと思っても、次なる刺客が「finish?」と聞いてくる。それをこなしても、斜めくらいから新たな敵が来て「OK?」とか言ってくる。我々は、うんざりしつつ、根負けして、「・・・OK」と言うか、それとも、味を噛みしめる間もなく、ウサギのようにガツガツと喰い終えるか、どちらかを強いられる。すると、無事に皿を下げることに成功したオネエチャンは、満足そうに、笑顔で、「食事を楽しみましたか?(Enjoy your meal?)」と言う。


 
しかし、敵も敵なら、受け手もさるものである。大学のパブでも状況は一緒。先日、前のテーブルで食事をしていた西洋人の客が、まだ半分以上残っている皿を置き去りにして、トイレに立つという、クリティカルな行動を採った。彼は一人だったんだけど、「一人」というのはこの場合、致命的である。一人でメシを喰い、途中でトイレに行くのはまさに「命がけ」である。戻ってきて、食事を続けられる可能性は1mmもいない。


 
我々は、固唾を飲んで、この緊迫した状況を注視していた。すると果たして、オネエチャンがサッとやってきて、さも当然と言わんばかりの空気感で、秒速で片づけていった。


 
嗚呼、むべなるかな。


 
我々は、大きく頷きながら互いに顔を見合わせた。こうなると、次に見守るべきは、戻ってきた彼の反応である。


 
彼は、トイレから帰ってくると、悠々とテーブルを見まわした。それから、何事もなかったかのように、まるで、人生における重大事などこれっぽっちもなかったかのように、悠然と、新聞を読み始めたのである。


 
ううむ、これぞえげれす!我々は、声にならない声を上げつつ、感に入った。


 
長く横道に逸れたけど、この辺の事情にほとほとうんざりしてる我々は、この日本風の「お下げしてもよろしいでしょうか?」の台詞に、全員が、声にならない感嘆のため息を漏らしたのだった。


 
良い食事は心を寛容にする。一人だけいた、新米っぽい韓国人のバイトのおねぇちゃんが、持ってきた焼きおにぎりをテーブルの上に落としてしまった。彼女は途方に暮れていたが、我々はみんな笑顔で、「No Problem!」と答えたのであった。言うまでもなく、この「No Problem」は、「問題ない・・・わけないやろ!」という状況でえげれす人が言う「No Problem」とは異なる。


 
値段の高さも、一時ではあるものの、忘れて愉しんだな。「短冊系居酒屋」は僕の大好物である。壁一面に、あの赤い縁がある短冊に、「じゃこおろし 350」などと書いてあるわけだ。風情があるじゃないの。よくよく考えると、「350」は、「¥350」ではなく、「£3.50」である。冷静に計算すれば、「じゃこおろし=£3.50=¥700」である。・・・銀座ですか?・・・いえ、倫敦です。


 
なんだかんだ言って、大人数だったせいか、会計も想像したほど高くはない。一同、また来ようということで、話がまとまった。たまにはいいもんですな。

 

 

店員さんを呼ぶとき、「Excuse me」ではなく「すみません」と言った奴は、自分で苦笑いしていた。


 
そして勿論、〆は、「おあいそして!」。

 

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【2023年からの振り返り】

今回、店の確認はできなかったけど、まだ健在なのだろうか。駐在員向けの日本食レストランは恐ろしく高いけど、この店は学生街にあるだけあって、まだ良心的な方だったな。しかし今回、再訪してみて、あまりに日本食レストランが増えているのに驚いた。昔はあんなになかったのに。