冬のロンドンの朝。。。この感じ、懐かしすぎる。天気が良いんだか、悪いんだか、なんともどんよりした、気が滅入るような感じ。しかし、今日もまた、昨日に続き、むちゃくちゃ晴れの、暖かい、気持ちの良い日でした。
安物のティーバッグでも、これでもか、とお茶が出る出る、硬水で淹れたモーニングティーを楽しみ、えげれすの一日目が始まった。
とはいえ、本日は、ワタクシが学問を修めた地、Durhamへの移動がメインである。列車の出発は14:30、キングスクロス。ホテルのチェックアウトは11時だったので、ぎりぎりまで部屋で粘り、それからゆっくりと移動をした。
これら近接する三駅は、我ら、SOASで学んだ者にとっては、地理的に愛着のある駅である。例えば「駅の格」からいけば、ヴィクトリアなどの方が上だけど、SOASはロンドンの北の方にあるので、北に位置するこれらの三駅には馴染みがある。
列車の発車時刻まで余裕があるので、最初は、キンクロのパブあたりで時間をつぶそうかなと思っていた。なので、ピカデリーラインで向かう。
時間があるので、最初はセントパンクラスを探訪した。
セントパンクラス。
ゴシック様式、なのかどうかわからないけど、とにかく、尖塔のように聳え立つ、威風堂々たる外観からは程遠く、かつてのこの駅は、はっきりいって、しょぼかった。ロンドンからの近距離中距離路線がちょぼちょぼ発着するだけ。あの威容を見ると、どんだけの優等列車が発着するのか、と想像するけど、実態は、かなりしょぼい。
かのユーロスターの発着駅が、ウォータールーからセントパンクラスに移ることは、僕が住んでいた時から決まっていたことである。知ってはいたけれど・・・あのしょぼいセントパンクラスにユーロスターが?!
ほんまに来るんか?!
んなわけないやろ!
と、当時は思っていた。
言ってみれば、
みたいなもんだ。
あるいは、
新大阪を廃止して、芦原橋に、新幹線駅を設置します。
みたいなもんだ。(どちらも威風堂々たる建築物はないけれど)
・・・んなわけないでしょ(笑)。
ところが、本日行ってみたところ、あのセントパンクラスが、威風堂々建築を残しながらも、近未来的部分をくっつけて、半魚人みたいになっていたぞ!
すげー。
本当にブリュッセル行きが止まってるーーー。
物事は変わるもんだねえ。。。
Things have changed.
かるくコーフンしたまま、隣のキンクロに移動する。こちらは・・・安定の、オレの知ってるキンクロだった。安心したぞ。
・・・と思ったら、何かが違う。何か、違和感があるぞ。
まず、この導線は何だ?次に、このオサレな、ロゴは何だ??
中に入ると・・・
!!!
なんじゃこりゃーーーーーーー
こんなの、キンクロじゃない。ホームレスとかっぱらいの街、それがオレたちのキンクロだろ?なんでこんなにオサレになっちゃったの?背伸び感が半端ないよーーー。
・・・あれ。どっかで感じたこの感じ。ホームレスとかっぱらいとオサーンの街が背伸びしちゃってる感。。。
天 王 寺 ですやんか
日本一の高さのビルを作っちゃう町、天王寺。
日本一の座をあの横浜さんから奪っちゃう町、天王寺。
渋谷109をもってきて、「渋谷109天王寺」というわけわからん店を誕生させる町、天王寺。
そうか、キンクロは天王寺だったのか(違)。
変わったのは駅舎だけじゃなかった。列車も、そしてオペレーションも、変わっていた。
入り口で感じた、導線の違和感。あれは要するに、「改札」を設置したことによるものだった。日本の鉄道では、「改札」はあるのが基本で、きっぷに入札してもらわないと入れないエリアと、誰でも入れるエリアとが区別されている。他方、えげれすを含むヨーロッパでは、基本的に「改札」はなく、乗車するときに入札してもらう必要はない。不正乗車が見つかれば、鬼レベルの罰金が科されるけど、基本は、「人間の良識に任せる」というオトナのシステムだった。僕はそこが好きだった。
そんなえげれすのキンクロには、見張りが立って厳格にチェックしている改札ができていた。さらに、あろうことか、車内検札が導入されていた。しかも、駅に停車するたびに、新規の乗客の検札をいちいちしに来る。
んーん、これはえげれすじゃない。
ここはオトナの国じゃなかったのかよ。
なんか、ちょっと、哀しくなった。
さらに車輛は、オソロシイ進化を遂げていた。
なんと、ドアは自動開閉式でボタンで開け閉めができるのだ。
えげれすの鉄道のドアというのは、長らく、人力ロック解除式だったのです。しかも内部からは開かない。ロック解除のハンドルは外部にしかない。ということは、乗るときは良いけど、降りるときは、
①窓を開ける(下す)
②腕を外に伸ばして外部のハンドルを回してロック解除
③やっと降りられる
これが伝統なのですよ。なんでかというと、紳士淑女のみなさんは、ご自分でそんな動作は致しませんので、ドアの開閉という作業は、「係」の仕事なわけですよ。
その伝統を捨てやがった!
なんてこった。
古いものを大切にする国じゃなかったのかよ(二回目)。
もろもろ衝撃を受けつつも、列車はキンクロを後にした。
次に欲しいのは、当然、「奴ら」の姿である。奴らはどこにでもいる。どこででも、草を食ってる。気を抜くといつでもすぐに現れる。そう、羊。
えげれすのどんな町でも、車でも鉄道でも、10分も行けば、すぐに姿を現すわけだ、ロンドンでも、20分は要しないだろう。
しかし、これが、現れない。第一村人、ならぬ、第一奴らを確認したのは、40分が経過したときだった。
なんだ、どうした?物事は変わってしまったのか?
ブレグジットで、奴らもどっかに行ったのか?
金融引き締めで、奴らも引き締められたのか?
そんなこんなでDurham到着。本日のメインイベントは、ワタクシの師匠に会うことです。駅で待ち合わせ。14年ぶりの再会で言葉が詰まる。ワタクシの留学生活及び研究生活は、この師匠と、日本の師匠抜きには成立しなかった。
ここからは個人情報満載の話になるので、要点のみで。
・ダーラムの宿を三泊予約し、支払い済みなんだけど、結局、師匠邸に泊めてもらうことになった
・奥さんと息子氏に初めて会った
・毎週火曜日は息子氏の料理担当日らしく、彼の作ったディナーをご馳走になった
・えげれすの家庭の、オーセンティックな「ディナー」というやつを初めてフルに体験した
・えげれすの家庭の、オーセンティックな住居のありようというやつを初めてフルに見た
例えば、写真とか絵がたくさん飾ってあるわけですよ。そしてその絵を描いたのは、「師匠のひいばあさんの父親」だとか、とにかく、ファミリーヒストリー感がすごい。そういや、当時住んでた家の大家のおばちゃんが、僕が台所にあった皿を無造作に使ったのを見て、
「・・・それは、私のひいおばあちゃんから受け継いだ皿なの」
と、遠慮がちに言ったことがあったな。決して「使わないで」という言い方はしなかったが、「できればあまり使わないでほしい」という控えめな感じを出していたな。僕も何も知らなかったので無造作に使ったわけだけど、えげれすの、ある階級の家ってのは、そういうものを大事にしてきたんだろうな。そのあたりの感覚というか、感触というか、そういうものは、彼らのプライベートな空間にある程度入り込まないと、見えてこないものだわな。なんというか、しみじみとしてしまいました。
あともう一つ。
ホンモノ暖炉を初めて目の当たりにした。
パブなんかで、結構、暖炉は見かけるんだけど、よく見ると、似非なことが多い。ブツは本物だけど、現在は使用していません、みたいな奴。たまに田舎のパブとかに行くと、ホンモノの炎がガンガン上がっている「ガチ暖炉」を見ることはある。しかし、「点火」のプロセスを完全に目撃したのは今回が初めてだ。
昔は石炭が使われていたわけで(今は法的に禁止)、この古い暖炉の奥からは、嘗て使用された石炭の滓がいっぱい出てくるんだそうな。石炭の方が「つけ方」は難しいのかと思って師匠に聞いてみたら、
「同じかな。時間はかかるけど。でも原理は一緒だから(the same principle)」
じんわりくる表現ですなあ。
さて、今宵の宿は、えげれすでよくある「パブの二階」でした。そういや前回のちゃんちゃんこ式の時も、泊まったのは「パブの二階」のB&Bだったな。受付兼パブスタッフのおねえちゃんが北部訛で何言ってるのかほぼわからなかったけど、悪いところではなさそうだ。ただ、師匠の自宅泊という魅力的な事態になったので、明日からの二泊分は、無駄になるけど、これもまた、旅というものでしょう。
さて、明日は、今回の出張(not「旅」)の目的である、「僕の論文についての、師匠とのディスカッション」を行います。まじめな一日なので、報告することはないかもしれませぬ。