えげれす通信、再び

20年ぶりに復活しました

【旧】えげれす通信_vol03:売れない演歌歌手 (日付不明/10/1998)

さて、僕は今、イギリスに住んでいる訳である。「住む」ということは、単なる旅行とは違って、もっと生活じみた事柄が関わってくるということである。
 
歯磨き粉を買わなきゃならないとか、洗濯をしなきゃならないとか、替えのパンツを買うにはどこに行ったらいいかと悩むとか。
 
勿論、髪も伸びるので、散髪もしなければならぬ。今日は、散髪屋に挑戦してきた。
 
大学からいったん寮に戻り、荷物だけおいてきた。ターゲットの散髪屋は、寮から徒歩2分くらいのところにある。何回か、外からだけど、下見はしておいた。
 
入るときの言葉をあれこれ考える。
 
Can I have a haircut today? 
 
なのか、
 
Could you please cut my hair now?
 
なのか。そんなことを悩みつつ、ドアを開けた。
 
おばちゃんがニコニコして迎えてくれる。Cut?って言うもんだから、Yes、please.と答える。まぁ、世の中、こんなもんだ。
 
待たされること10分弱、オレの番がきた。前の客が終わったのだ。場所は同じところ、つまり同じ椅子である。
 
・・・掃除をする様子はない。勿論、椅子の上にも、髪の残骸はたくさん落ちたままである。
 
しかし、そんなことにいちいちひるんでいては、この国では生きていけない。
 
「かぁ。。。スーツなんて着てくるんじゃなかった。。。」
 
そう思いながら、ままよ、と、腰掛ける。
 
カットしてくれる人は、でかいおねぇちゃん。どんな風にする?と聞いてきたので、予め考えていた表現で伝える工夫をしたが、果たして通じない。

 

ツーブロック」つまりは、かぶせてください
やっと髪が伸びてきたので、今回は、長さ、特にサイドの長さを保ったまま、ツーブロックにしてちょうだい
あと数ヶ月したら、ストレートパーマをあてたいんだ
でも、僕の毛はクセ毛だから、横は膨らまないように、刈上げをきっちりとしてね
 
・・・と言いたかったんだけど、そんなもん、まあ、英語で言えるわけがないわな。
 
ツーブロック」の意味が伝わらなかったので、四苦八苦しつつ、持てる表現能力のすべてを駆使して説明すると、おねぇちゃんは、すべてを理解した、任せておきなさい、みたいな表情で、鷹揚に大きく肯き、「All right」と言った。
 
All Right(すべて大丈夫よ)
No Problem(問題ないわ)
Everything goes well(すべてうまくいくわ)
 
全く信用ならない三兄弟である。えげれすでは、全然大丈夫じゃないし、うまくいく見込みが全くない時に、満面の笑みと共に必ず登場するフレーズである。
 
僕は思いっきり不安になった。しかし、僕はもはや、囚われの身状態。なるようにしかならないのである。
 
おねえちゃんはこぼれる笑顔で、「頭を出せ」と言った。おっ。調髪前の洗髪をしてくれるらしい。「かゆいところはないですか?」「湯加減はいかがですか?」などは一言もなく、洗髪は実践的に、光の速さで終わった。そしておねぇちゃんは、えげれす製とおぼしき、ごっついバリカンを取り出し、おもむろに僕の髪を切り始めた。
 
なんというか、
 
櫛で押さえながら切るとか
バランスを見ながらゆったり切るとか
丁寧に繊細に切るとか
 
そういったものからは、全く程遠い作法で、喩えるならば、「羊の毛刈り」のような感じの、practicalな(訳:実践的な、実務的な、実用一点張りな、手腕をみせつけるような)作法で、僕の頭はグリグリと刈られていく。
 
おいおい、これなら、オレでもできそうだぜ
 
鏡を見ながら、僕は考えていた。ただ、これはどう考えても「ツーブロック」の工程ではない。「ツーブロック」は、日本では、クリップみたいなものでサイドの髪を上に持ち上げ、落ちてこないようにとめた上で、中の髪をバリカンで切るのである。
 
然し、おねぇちゃんは、
 
泰然自若たる風情で
片手は腰に当てたまま、もう片方の手だけで
ぐいぐいと、思いつくままに、しかし、躊躇することなく
 
バリバリ、ワサワサと、「刈っていく」のであった。
 
・・・まあ、羊の毛を刈るのに、躊躇してはいられんわな。
一匹に、そんなに時間をかけていられんわな。
「実用一点張りに」刈り進めていかなあかんわな。
 
僕は、「頼むから、長さだけはとっておいてくれよ、おねぇちゃん。短いのだけは嫌やで」と心で叫びつつ、しばし、彼女の仕事を眺めていた。しかし、彼女の動きは、髪をすいているとか、揃えているとか、そういう動きではなく、全く実務的に「刈って」いる動きである。あっという間に、僕のサイドは、地肌が見えるほどに短くなってしまった。
 
なんというか、あの、髪の毛が服につかないように被せてくれる、ポンチョみたいな布がありますわな。日本では、まずはタオルを一枚首に巻き、充分に髪の毛が服につかないように配慮しつつ、その上から例の「ポンチョ」的なものを被せてくれる。しかも、「きつくないですか?」なんてことを聞いてくれたりもする。

 

しかし、ここはえげれすである。タオルセッティングなどある筈もなく、ポンチョ的布はゆるゆるである。切った髪は、服の中に思いっきり入ってくる。さらに、そのポンチョに溜まる髪を床に払う時も、おねぇちゃんは、バサバサと、僕の目の前で、実務的にやる。そいつが僕に振りかかっても、気にしないのである。
 
・・・まあ、羊の毛を刈るのに、ポンチョなんか要らんわな。
毛が飛び散っても、気にしていられんわな。
いや待てよ、毛こそ命だから、そっちは慎重にするのか(混乱)。
 
ちょっと考えられないような短時間でカリトリ仕事を終えると、彼女は、「満足のいく仕事を十分にやり切った感」を出しながら、次の段階へ移ろうとした。僕は、当然、「仕上げの洗髪」だろうと予想した。
 
日本の場合は、この後、念入りな洗髪作業に移る。そしてその後、仰向けになり、顔に熱い蒸しタオルなんぞを載せられて、「熱くないですか」とか尋ねられる。顔剃りが始まって、「そり残しないですか」とか尋ねられる。マッサージなんかもやってきて、「こっているところはないですか」とか尋ねられる。その次の「乾かし」ステージに進むまでには、たっぷり15分以上費やされる。
 
しかし、ここはえげれすであった。おねぇちゃんは、シャンプーではなく、ドライヤーを手にした。
 
僕は今、「濡れたままカットされた」という状態である。切られた毛の切れ端、もとい、刈られた毛の切れ端やら、なにやらが、むちゃくちゃに、いろんなところに、くっついている状態である。当然、「乾かす」作業は必要だけど、その前の「洗い」はないのか。
 
おねぇちゃんは、軽快に、豪快に、手腕を見せつけるように、乾かし始めた。ムースをどっさりつけられる。とりあえずオールバックにされる。そして最後に、真中で分けられた。・・・オールバックからの、真ん中分け。。。
 
出来あがりは、というと、勿論、「ツーブロック」なんてものとはかけ離れている。でもまぁ、そいつは、半ばあきらめていたからいいよ。しかし、全体に、メリハリのない短髪なのであった。
 
Please keep the length of side long.って言ったオレの英語は、きっと、発音が悪かったんだね、おねぇちゃん。
 
鏡の中には、売れない演歌歌手のような髪型の兄ちゃんがいた。
 
ひと仕事をやり遂げ、Thank you, bye!と屈託なく笑うおねぇちゃんを後に、僕は、寮までの2分の道を歩いて帰ってきた。むっちゃ寒くなってきたなぁ、ロンドンも。しかしそれは、髪が薄くなったせいなんだな。
 
ううむ、It's very British!

 

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【2023年からの振り返り】

僕は、若かりし頃は、普段着がスーツという人だったので(笑)。今と逆です。しかし、「海外散髪」はネタの宝庫ですなあ。この後、フィジーでも一回やってます。まあ、なんというか、日本の日常空間から離れているので、「普段じゃない自分」とか「生まれ変わった自分」とかに変身しても、むしろそれも良いかもしれない、みたいな、開放的な気分になるんですね。人生で初めて髪を染めたのも海外だったし、人生で初めて指輪を買ったのも海外だったし、人生で初めてアフロにしたのも海外だった(笑)。あと「ツーブロック」ってのが、時代を感じさせますな。
この散髪屋は、現在の「Brunswick Shopping Centre」の中にありました。預けてすぐに閉店し、ワイシャツが回収不能となったクリーニング屋の近くでした。