えげれす通信、再び

20年ぶりに復活しました

【旧】通信番外編(海外旅行記)_vol02:伊太利通信revenge (25-27/08/1999)

僕はその時、寮の食堂で、夕食の皿を目の前にして、固まっていた。目の前の皿には、パスタが盛られている。

 
前回書いた通り、伊太利旅行は散々であった。人の対応に辟易し、暑さにうんざりし、列車の混雑でほとほと嫌になっていた。

 
二週間の有効期限がある「イタリアレールパス」と、その期限が切れる最終日の、飛行機の帰りのチケットがあるにも関わらず、僕は伊太利を脱出することになった。

 
そう、ほとほとうんざりしていたのである。旅の面白さを構成要素は、施設見所等のハード面もさることながら、人との交流等のソフト面から成る。伊太利はそれがひど過ぎた。少なくとも、今回の旅に関しては。

 
1999年8月21日に、ユーロスターでえげれすに帰ってきた僕は、早速入ったパブでえげれすを存分に感じ、かなりほっとしたのである。

 
知らない人を見ると、人懐っこく話し掛けてきたり、その逆に、異邦人に対して冷たかったり、そういう、人間の相互作用のプラスマイナス双方のベクトルが、絶妙のバランスを保持している個人主義の国、えげれす。基本は、

 
「我は我。彼は彼」

 
であり、決して他人の私的領域には干渉しない。お互いがお互いを尊重するところは、住んでみると、非常によく分かる。旅で訪れるなら、多少のメリハリがあってもいいと思うけれども、住むのであれば断然こちらである。

 
久しぶりに歩くTottenham Court Rdの風景を楽しみながら、僕は寮に戻った。そして、一年も食っていると、次第に様々な感覚が麻痺していき、プラスの感情もマイナスの感情もあまり湧かなくなるのが自分でも分かる、terribleな食事を取りに、実に久しぶりに寮の食堂に出かけたのであった。

 
最初の方の「通信」では、再三に渡り、この寮食をネタにしてきた。兎に角、半端ではなく、不味いんだけど、どういうわけか、一年も食っていると、次第にlovelyにさえ思えてくる。・・・何か入ってんのか?

 
大学の寮は他にも色々あって、メシ付き寮の住人同士では、低レベルの料理自慢合戦が繰り広げられる。

 
「そっちはサラダがあっていいねー。うちは鬼のようにでかいデザートはあるけど」
「でも、うちの野菜は茹ですぎて、色がないしねー」

 
要するに、「うちが一番不味いぜ」自慢大会なんだけど、うちの寮が保有する波動砲級最終秘密兵器は「パスタ」である。

 
「食い続けるとlovelyと思うようにさせるエキス」が入っているらしいうちの寮食の中でも、パスタにだけは、このエキスの効能が歯が立たないらしい。三種類あるソースは、どれもこれもくたびれた味で、塩っけは元々ない。そんなことはどうでもいいが(全然、どうでもよくないが)、問題は矢張り、麺の茹で具合にある。

 
煮込み饂飩?(根気強く、粘り強く、とことん茹で続ける)
団子?(ほぐさないのでひっついている)
蕎麦湯はわかるがパスタ湯?(恐らく茹で汁には麺の半分くらいが溶け出しているに違いない)

 
「奴ら」でえげれすを存分に感じ、実にいーー気分で寮に戻ってきた僕は、寮食を楽しみにさえ思っていた。懐かしい気持ちさえあった。・・・しかし、余裕こきすぎた僕をあざ笑うかのように、本日のメニューでは、最終奥義の「パスタ」を、しれっと出してきやがった。メニューの中には、比較的初心者向けのものもある。それなのに、そして伊太利帰りなのに、のっけから、波動砲級最終秘密兵器を繰り出してきやがった。

 
北斗の拳ならサウザー
ウルトラマンならゼットン
ガンダムならシャアザク

 
僕の中で何かが壊れたらしく、笑いながら全部食ってしまった。

 
飢餓状態にある人間に、急激に物を食わせたら死ぬらしい。ショック死なのかね、胃の。僕のこの日の状態も、これに近い(逆パターン)ものがあった。落差がありすぎ。そこで僕の心に怒涛の如く蘇ってきたのは、伊太利で食した数々のパスタの中でもひときわ旨かった、Reggio.D.C.のレストランで食ったボンゴレである。そして、この衝撃は、衝撃的な三段活用を生み出した。

 
喰いたい
喰わねば
喰おう

 
即断、である。なんと言っても、期間がまだ半分残っているレールパスと、帰りの航空券が手付かずである。行きさえすればなんとかなる。行きさえすれば、天使のように旨い(天使を食ったことはないので味はわからない)パスタが食える。食い物に対する執着ってのは、底知れぬパワーをもっているらしい。

 
僕は、LCCのGO-FLYで伊太利までのチケットを探した。目的地は・・・どうせならまだ行っていないところがいい。Veniceだ!ヴェネチィアは、結局行かずじまいだったのである。かなり行きたい順位が高かったのにもかかわらず、未踏であった。・・・チケットは取れた。

 
旅立ちは8月25日。伊太利リベンジ旅行の幕開けである。傷ついた心を癒してくれるパスタを食わねばならないし、このまま伊太利を「あかん国」にランク付けしたらいけないだろうというそっちのリベンジも兼ねている。

 
一度行っているので、どんなものなのかは承知している。いらない衣服は極力カットする。ローマで買った短パンを穿いて、ジーパンは持たず。前回活躍した、もっこりハミだし海パンも、今回は不要である。サンダル履きなので、大阪なら、

 
「一寸天下茶屋まで行ってくるし」

 
くらいの軽装である。

 
空の上から見るVeniceは、予想通り素晴らしく綺麗であった。天気は抜群に良く、海が輝いている。オレの行く手も輝いている。はっはっはー。

 
空港からバスで、町外れのバスターミナルまで行く。全ての車、全てのバス、あらゆるvehicleは、ここに駐車を余儀なくされる。ご存知の通り、Venice市内には、車は全く入れない。それを本で読んで知っていたし、頭でも理解しているけれども、現代人の我々にとって、「自動車がない街」というのは、かなりの不思議感がある。日本でも、街並み保存地区なんてものが結構あったりするけど、スケールが違うわな。街全体だし。限られた区画だけというのではない。

 
広島の竹原とか、兵庫の出石とか、秋田の角館とか、僕の好きな街並みも確かに素晴らしいが、ここまで完全に車をシャットアウトしていると、なんというか、既視感がまったくない。完全に初めて体感する世界である。道は、小路ばかり。やっと開けた!と思うと、そこは大運河。そう、初めて感じる感覚のもう一つの主は、言わずと知れた運河網である。

 
あても無く小路を彷徨う。すると運河に出合う。また歩く。今度は袋小路だったりする。観光客のいない方向へ行ってみると、ひっそりと人の住んでいる区域に出たりする。そしてまた行き止まり。

 
こんな一つ一つが楽しい。歩き疲れたら、相当細かく路線が張り巡らされている「ヴァポレット(水上バス=船)」に飛び乗る。適当に降り、適当に歩く。適当な島に渡る。島は無数にある。

 
素晴らしい

 
なにせ、綺麗なのである。水は、人の心の渇きを潤してくれる。僕はゆったりとした心持になって、存分に水の都を堪能していた。

 
南北格差ってのは、どうしてこうも、ある意味普遍的なのか、時々不思議になる。どうしていつも、北が上で、南が下なのか。大阪でもそうだ。伊太利の場合も、南伊太利が貧しいのに対して、北伊太利は豊かであるとされる。南北では、雰囲気もがらりと変わる。南の代表のナポリなど、非常におどろおどろしい雰囲気であった。かたやこの地は、ヴェネティア公国の昔から、相当の権勢を誇っていた。その雰囲気は、今でも随所に表れている。人の対応もゆったりとしている。

 
えげれすは、非常に「大人」の国であり、「大人」の文化をもっている。それに対して、伊太利は、「幼い」、あるいは、「成熟していない」文化であると、前回は感じた。然し、ヴェネチアは、その差分を取り返してくれた。伊太利に実際住んでいる人にも聞いたのだが、曰く、南と北では、人間性、文化、全てがかなり異なる、と。中でもヴェネティアは別格である、と。確かにそれは感じた。豊かな含みが広がっていて、街と人を包み込んでいる感じ。

 
大いに気をよくした僕は、ここでの最大の目的地、Murano島に渡った。ここは、Muranoブランドを世界中に送り出しているヴェネティアグラスのメッカである。僕は、ガラスがこの上も無く好きなので、隅から隅まで見て周る。買う気は最初から満々なので、問題はどこで何を買うかである。結局、どこへ行っても、何を見ても、行き着く先は「酒」というキーワードである僕は、矢張りここでも、酒器にのみ目が行く。

 
コーフンしてきたぞ。

 
うおー。目は、だんだんイってくる。
うへー。そのうち、「キツネ目の男」状態になってくる。
うっひょー。最後は、狂牛病の牛の目になる。

 
結局、悩んだ末、デキャンタセットをメインに、その他こまごまと買い揃えた。僕のすかすかのデイバッグは、一瞬にして満杯になった。でも、今回は、僅か二泊である。クラゲ状態で泳ぐこともないし、ゲロのニアミスもない(←それはわからない)。多少荷物が増えても、全然余裕なのである。

 
残る目的はただ一つ。Reggio D.C.リストランテで、あのボンゴレを食うことである。僕は、Venice発の夜行に乗った。心が豊かなので、

 
「蒸し風呂全員窓から顔出し状態」

 
にも動じない。はっは。オレも顔を出してやる!

 
翌日、伊太利半島の、足に喩えると膝の裏くらいにあるVeniceから、ブーツのつま先にあるReggioに戻ってきた僕は、実はそんなに時間がないので、町の散歩と、リストランテの確認だけをした。VeniceからReggioまでは、実は1263kmもある。東京-博多くらいだね。但し、新幹線などないので、在来線急行を利用するわけだ。然も、帰りの飛行機はミラノ発なので、また北のミラノまで戻らなければならない。ミラノは、足に喩えると、丁度すね毛の辺りである。つまり、パスタを喰う「ためだけ」の理由で膝裏からつま先に移動し、そこからすね毛まで戻って帰国するという強行軍なのである。さくっとパスタを食い終わり、そのまますぐに夜行に乗らないと、最終日、すね毛には着けないという寸法。ただし、こうした「TAMEDAKE」旅は、僕はちょくちょくやっている。

 
例えば、学部生時代の出雲&津和野合宿。最終日の津和野の宿で飲みまくった僕は、翌日の津和野観光ができず、津和野の駅でレゲエ状態で死んでいた。皆が、

 
「まぁきれい」
「あっちに戻ってみましょうか」

 
等とやっている間、僕は駅のベンチで、

 
「ううきもちわるい」
「もどしてみましょうか」

 
等とやっていた。もうああいうときは、恥も外聞もあったもんじゃない。

 
サークルの連中が戻ってきて、いざ津和野を離れる段になっても、僕は「復活にはまだ遠し」という状態である。そこから我々は、山口市内観光という日程だったので、瀕死の状態をおして山口へ移動した。そして丁度昼時なので、ある喫茶店で昼飯を食うことになった。そのとき、僕の前に座っていた友人が、

 
「やきそば」

 
を注文した。僕は、まだ胃袋がシュラバラバンバ状態だったので、慎重に検討を重ねた結果、

 
「ぞうすい」

 
にした。ま、妥当なところでしょう。僕の選択には誤りはない。

 
例えば外科手術のために入院している患者さんなどは、歩けないとか、立てないとか、そういう肉体構造上の物理的不具合はあるけれども、内臓は確り、健康体と変わりないことがある。しかしそれとは逆で、二日酔いの僕は、歩けるし、立てるし、目も見えるし、肉体構造上の物理的不具合はないのだが、「胃」が死んでいる。気持ちは向かっているんだが、胃が受け付けない。

 
彼の頼んだ「やきそば」が来た。

 
鉄板は焼けるように熱い。焦げるソースの匂い。上に落とした卵の黄身が妖しくテカり、大きなかつぶしが踊っている。要するに、視覚的には、実に旨そうである。そして奴は、実に旨そうに喰う。時々、

 
「食うか?」

 
と言ってくれるんだけど、胃が全く受け付けない。ぞうすいも満足に食えないので、やきそばどころの騒ぎではない。目は食いたし、されど食えず。いい匂いが鼻腔をくすぐるが、やばい臭いも食道から上がってくる。

 
この「テカりやきそば」は、後日、散々ネタにされ、僕はいつかきっと、リベンジを果たそうと心に誓っていたのだが、その機会は案外早くやってきた。まだ車を持っていなかった頃、無性に運転したくなって、レンタカーを借りたことがある。運転するのが目的なので、行き先はどこでも良い。僕は何となく、大阪から北に上がり、R9(山陰経由の京都-山口)を走っていた。そして「山口」の標識を見た途端、

 

 
目的は、瞬時に定まった。そしてめでたく「テカりやきそば」を喰い、あとは何もせず、ひたすら大阪へ戻ってきた。「成し遂げたこと」は、「テカりやきそばリベンジ」のみである。

 
なので、ただ単に何かを食いに行く「TAMEDAKE旅」というものは、僕の行動パターンにはよくあることである。このReggioのパスタも、特段、珍しい行動ではない。

 
リストランテは、ちゃんとそこにあった。イタめしのコースは、

 
Antipasto(前菜)
Primo Piatto(第一の皿)
Secondo Piatto(第二の皿)
Formaggio(チーズ)
Dessert(デザート)

 
となっている。前菜に「生ハム&メロン」、第一の皿に「ボンゴレ」と、予め決め打ちしていたものを頼んだ僕は、第二の皿、つまりメインを物色した。最初の二つが目的なので、このメインには、はっきり言って、あまり重きをおいてない。で、適当に頼んだら、前回と全く同じものがでてきた(笑)。名前なんて、覚えてないしなー。

 
大いに満足し、素敵な伊太利を後にしたのはその翌日である。夜の移動は、例によって、「万人顔出し急行」であったが、んなもん、天使のパスタの余韻で吹き飛んでしまうわい。

 
ミラノで最後のパスタを堪能した僕は、この、紆余曲折満載の伊太利旅行を締めくくる機上の人となったのであった。

 
寮に戻り、飯を食う。敵もさるもの、同じ手段を二度とは使わない。今回は通常の、パスタではない、「ただのまずい飯」である。然し、パスタの感動はここでも持続している。僕は笑って完食した。当然、前回のパスタの時の「笑い」とは意味が異なる。同じ寮の友人が、

 
「今日もまずいよねー」

 
と言うも、

 
「そう?オレは笑って食えるけど。はっは」

 
等と余裕である。しかし、言ってから気づいた。そんなこと、自慢になれへんやん。まずいもんを笑って食えるって、それ、あかんやつやん。

 
実は、敵の新手の攻撃なのかもしれない。第一弾「lovelyに思わせるエキス」の後、第二弾「過去の「旨いもの」の記憶を持続させて、実際の舌を麻痺させるエキス」。

 
結果は・・・シャアザクと戦うときに出るでしょう。